1995年6月から1996年3月までJR横浜線矢部駅の近くの社員寮に暮らしていました。
毎日横浜線で通勤していましたが、横浜線が矢部駅を出発すると隣の相模原駅までの区間ずっと、
右側にはフェンスで区切られた広大な空き地が広がっていました。途中建物がポツン、ポツンとあるだけで
人気もありません。そう、それは在日米軍・相模原補給廠でした。
何しろJR一駅分連なっている敷地が強烈で、当時ただただ呆然と眺めながら通勤していました。
中には何があるんだろう...と。
2004年2月から2005年6月くらいまで、当時仕事で協力関係にあった東京都青梅市のある会社まで
頻繁に通うことになり、よく社用車で出かけました。道のりはR129号、R16号と北上するのですが、
やはり途中右手にフェンスに囲まれた広大な空き地に出会います。こちらは相模原補給廠ほど静かじゃないです。
在日米軍・横田基地です。軍用カラーと思しきボーイング747???、でっかい飛行機がよく頭上を通過しました。
一番怖かったのは2001年8月から2002年5月まで住んでいたさがみ野です。
これもすぐ1km先に在日米軍と海上自衛隊の厚木基地。前にも話しましたが住み始めてすぐに9.11テロが発生したので、
しばらく緊張が解けませんでした。夜遅くまで残業して相鉄さがみ野駅を降りると結構体格のいい外国人の皆さんがいらして
人を外見で判断してはいけないと思いつつも、どきどきして帰ったのを思い出します。
夜中でも5分おきにF14が離陸するし、正門の前にはなんだか物騒なもの構えたMPさんがいるし...
まぁ、自分で自分の身を守れないんだから仕方ないという人もいるし、
兵隊さんにも別に罪はないのかもしれないけど、
一つだけ思ったのは、「まぁ、色々言うんだったら実際基地の近くに住んでみればいいさ」ということ。
何か感じることはきっとあるから。
昨日の爆発はとっても怖かったんだと思います。