昨日、新聞やTVなどで集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更に向けた
安倍首相の記者会見の様子が報じられました。
会社から帰って幾つかの新聞に目を通し、
それから政府インターネットTVで会見の一部始終を視聴しました。
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg9798.html
便利ですね。でも驚きました。
新聞やTVニュースを見聞きした後と
会見の一部始終を視聴したあとでは印象が異なるからです。
確かに新聞、TVともに「要点」という意味では間違っていないです。
なのにどうして異なる印象を受けたのか?
新聞でポイントになるのはまず「2つの見解」
1.個別、集団を問わず自衛のための武力、
国際法上合法とする活動には憲法上の制約はない
2.わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、
限定的に集団的自衛権を行使することは許される
1はこれまでの政府の憲法解釈とは論理的に整合しない、
憲法がこうした活動のすべてを許しているとは思わないとした上で
2は「従来の政府の基本的立場を踏まえた」と言い切る。
自制的だと思わせる反面、要は2を言いたいがために
わざわざ1を否定して見せたとも見えます。
でも2は従来の政府の基本的立場なんだったけ?
次に例証で挙げられる
a. 邦人輸送中の米輸送艦の防護
b. 駆け付け警護(PKOやNGO活動中邦人の警護)
これだけだと確かにリーズナブルに感じるかも知れません。
でも実際に会見の始終を見て感じてほしいと思いますが、
・都合のいい例証だけの抜粋
・要点では触れられないだろう三段論法による論理の飛躍
・同じく関係ない脅威を引用することによる煽り
カンボジアの中田さんの話や
北朝鮮のミサイル射程や核兵器の話
・質問に対するおうむ返し、答えになっていない返答
「私たちの命を守り、私たちの平和の暮らしを守るため、切れ目のない...」
Emotionや使命感に訴えられ同感する人も多いかも知れませんが、
わざと都合のいい部分だけを見せ、なるべくそれを気付かせない
恐らく報道されるときの要点にまとめられるときの結果まで見込んでいる
用意周到なシナリオの怖さ、新聞やTVの限界を感じました。
ところで、
命を守るために命を落とす人は誰なのでしょうか?
「あなたたちのお子さんやお孫さん」というのは
どちらにも当てはまると思います。
ひょっとしたらNGOじゃなくて石油とか企業など既得権益の警護に
権益に関係ない家庭のお子さんやお父さんが犠牲になるかも知れません。
会見で連呼された憲法における平和主義の信念と
憲法9条の武力放棄、不戦の誓いは
同じ意味ではないのでしょうか?
この議論が本当に「私たち」国民全員のためなのか、
それとも「私たち」はかなり限られた人たちのことか、
なるべく全部を見て考える必要があると思いました。
政府はインターネットTVの形で国民全員が等しく情報に触れられるように
しています。
だから情報をきちんと判断する責任は国民の側にあるのかも知れません。