まだ10歳で出会った当時、
彼は違うクラスだったけど、
サッカーが上手くて話がおもしろい、
いわゆる人気者でした。
僕は勉強も運動も
僕は勉強も運動も
取り立てて見るところのない
ただの転校生でした。
思い返せば、
ただの転校生でした。
思い返せば、
小中で同じクラスになったことは
なかったのでは?
ん、一体どこで知り合ったんだ?
中3で僕の陸上の県大会に向かう
バスにサッカー部の彼が
同乗してたのはなぜだったっけ?
そうだ、中2の生徒会で一緒だったんだ。
お互いに少し性格がひねくれていて
同乗してたのはなぜだったっけ?
そうだ、中2の生徒会で一緒だったんだ。
お互いに少し性格がひねくれていて
毒のある会話を繰り返すうちに
仲良くなったのでは。
仲良くなったのでは。
時に言い過ぎることもあったけど。
それぞれ違う高校に進みました。
それでも家が近所だったから
それぞれ違う高校に進みました。
それでも家が近所だったから
頻繁に行き来してました。
ある年の夏休みの日、
ある年の夏休みの日、
家のポストに観光地の饅頭の箱が
無造作に入っていました。
我が家で後にまで語り継ぐ毒饅頭事件。
それはもちろん毒饅頭なんかでは
それはもちろん毒饅頭なんかでは
なかったんだけど、
誰が投函したか分からず
ちょうどグリコ森永事件などの
余韻もあって
最寄の警察に届け出てしまいました。
警察に届け出た後になって
あの饅頭どうだったとその彼。
慌てて警察には投函主が
分かりましたと届け出て
事なきを得ました。
と思ったのも束の間、
と思ったのも束の間、
後日の新聞地方欄に
○○町で留守中に不審物投函騒ぎ、
○○町で留守中に不審物投函騒ぎ、
実は学校の友人の土産だった
みたいな短い記事が掲載され、
みたいな短い記事が掲載され、
少し話題になりました。
彼は翌年の年賀状に
その記事の切り貼りを載せて
みんなにおもしろおかしく。
おたがいにひねくれて
おたがいにひねくれて
毒のあるコミュニケーションの象徴的な
出来事でした。
市内の進学校に進んだ私に対して
出来事でした。
市内の進学校に進んだ私に対して
地元の普通の感じの高校に進んだ彼。
でも高三になって
でも高三になって
常に模試の偏差値が高かったのは
彼でした。
なぜか学校に勧められるがままに
なぜか学校に勧められるがままに
遠くの旧帝大の一つと早慶など
東京のあまた私大、
東京のあまた私大、
多分7~8校受験してすべてに合格し、
本当は早慶のどっちかに
本当は早慶のどっちかに
行きたかったんだけど、
受験でお金を使い切り? 国立にしか行けないと真剣にどうしようか
相談に来て我が家に一晩
泊まったことがありました。
こっちは一番行きたい大学は
こっちは一番行きたい大学は
落ちてたし、
我が家に届いたばかりの
大画面テレビで映画を観ながら
適当に相槌打っていたら、
適当に相槌打っていたら、
4月には仙台に旅立っていました。
大学四年間はアイスホッケーに
大学四年間はアイスホッケーに
熱中してたけど
なぜかからだがどんどん
なぜかからだがどんどん
大きくなっていきました。
そして文系の学部に進んだのに
そして文系の学部に進んだのに
何故かSEになった彼。
その頃には何故って考えるのは
面倒くさくなって気にしませんでした。
社会人二年目にもう一人の友人含め
社会人二年目にもう一人の友人含め
三人で東北縦断の旅に出て
男鹿半島で見た本当の水平線に沈む
男鹿半島で見た本当の水平線に沈む
夕陽は今でも印象に残ってます。
その数年後、勤めていた東京の会社を
その数年後、勤めていた東京の会社を
辞めて愛知に戻った彼。
仕事と旅を適当に織り交ぜて
過ごしていたと思います。
愛知に戻って落ち着いた住みかは
愛知に戻って落ち着いた住みかは
これまた何故かうちの実家と
同じ団地、棟、階段で
同じ団地、棟、階段で
うちの実家は1階で彼は5階。
何故か、私より私の親に頻繁に
何故か、私より私の親に頻繁に
会ってました。
ある年、やはり同じ棟、階段の4階に
ある年、やはり同じ棟、階段の4階に
同じ小学校だった女の子が
もう女の子じゃなかったけど、
引っ越して来ました。
その子は訳あって離婚して
その子は訳あって離婚して
こども三人と一緒だったけど、
彼と仲良くしてくれました。
実は小学校のとき少し憧れていた子で
彼と仲良くしてくれました。
実は小学校のとき少し憧れていた子で
毎日仲良くできる彼に
嫉妬を感じたりもしました(笑)。
僕の実家の周りはそんな感じで
嫉妬を感じたりもしました(笑)。
僕の実家の周りはそんな感じで
少し賑やかなんですよね。
来年もそんな同級生と桜が見たいです。