久し振りにのんびりと本を読む。
石川九楊「文字の現在 書の現在」は、書家である筆者の文字成立に関する考察が詰まっている。
初出が1990年ということもあり、文庫化された現在から見て杞憂な面も、予測に合致した面もあるのだが、書・文字と意味・表象という相反しつつも依存する両者を、文字の成立という視点で追い続けた読み応えのある一冊だった。
言われてみれば、なるほど文章は書体から解き放たれ、書き文字は古来練り上げられて来た縦書きの重力から横書きの速度に適応を進めている。連綿の美を再び見せるまでには、長い時間が必要になるだろう。
論文などは明朝で書くものだが、Web上の情報はゴチックで読む事が多い。
フォントの違いではあるが、全体としてひとつの宇宙を構成する文章と、散文的な情報を書き留めた文章の違いと考えると、字形の使われ方にも源流があるようで興味深い。
石川九楊「文字の現在 書の現在」は、書家である筆者の文字成立に関する考察が詰まっている。
初出が1990年ということもあり、文庫化された現在から見て杞憂な面も、予測に合致した面もあるのだが、書・文字と意味・表象という相反しつつも依存する両者を、文字の成立という視点で追い続けた読み応えのある一冊だった。
言われてみれば、なるほど文章は書体から解き放たれ、書き文字は古来練り上げられて来た縦書きの重力から横書きの速度に適応を進めている。連綿の美を再び見せるまでには、長い時間が必要になるだろう。
論文などは明朝で書くものだが、Web上の情報はゴチックで読む事が多い。
フォントの違いではあるが、全体としてひとつの宇宙を構成する文章と、散文的な情報を書き留めた文章の違いと考えると、字形の使われ方にも源流があるようで興味深い。