「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県豊後高田市 ・ 九州最古の木造建築物 「 富貴寺大堂 」

2017-01-07 10:51:00 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣
































































富貴寺のある国東半島は、神仏習合の信仰形態をもつ宇佐八幡と関係の深い土地であり、
古くから仏教文化が栄えていた。

富貴寺は、国東半島の他の多くの寺と同様、養老2年(718年)、仁聞の開創と伝える。
仁聞はほとんど伝説のなかの人物で、確かな事績は不明だが、
国東半島の六つの郷(武蔵、来縄(くなわ)、国東(くにさき)、
田染(たしぶ)、安岐(あき)、伊美(いみ))に28の寺院を開創し、
6万9千体の仏像を造ったといわれている。
国東半島一帯にある仁聞関連の寺院を総称して「六郷山」または「六郷満山」といっている。


国東半島に点在する「六郷山」の寺院群については古い時代の遺品や記録が乏しく、
その成立経緯等はなお不明な点が多いが、
日本古来の山岳信仰の霊地、修行の場としてあったものが、
奈良時代末 - 平安時代初期頃から寺院の形態を取り始め、
宇佐神宮の神宮寺である弥勒寺の傘下に入ったものと推定される。
弥勒寺は当初法相宗の寺院であったが、平安時代後期には天台宗となり、
六郷山の寺院も比叡山延暦寺の末寺となった。
仁安3年(1168年)の『六郷二十八山本寺目録』という文書によると、
六郷山は本山(もとやま)8寺、中山(なかやま)10寺、
末山10寺の28か寺のほかに37か寺の末寺があり、合計65か寺からなっていた。
富貴寺はこの65か寺の1つで、「本山」の西叡山高山寺という寺の末寺とされている。

富貴寺には、久安3年(1147年)の銘のある鬼神面があり、
このころまでには寺院として存在していたと思われるが、
それ以前の詳しいことはわかっていない。
宇佐神宮大宮司・到津(いとうづ)家に伝わる貞応2年(1223年)作成の古文書のなかに
「蕗浦阿弥陀寺(富貴寺のこと)は当家歴代の祈願所である」旨の記載があり、
12世紀前半 - 中頃、宇佐八幡大宮司家によって創建されたものと推定されている。
現存する大堂は12世紀の建築と思われ、天台宗寺院にしては、浄土教色の強い建物である。
富貴寺を含め六郷山の寺院では神仏習合の信仰が行われ、
富貴寺にも宇佐神宮の6体の祭神を祀る六所権現社が建てられていた。

天正年間(1573年 - 1592年)、キリシタン大名大友宗麟の時代に、
多くの仏教寺院が破壊されたが、富貴寺大堂は難をまぬがれ、
平安期の阿弥陀堂の姿を今に伝えている。


所在地  / 大分県豊後高田市田染蕗


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