「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県五島市富江町 「 陣屋石蔵 」

2016-01-21 11:33:36 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )














































富江中学校の校門脇に設置されている 「 説明板 」










陣屋の石藏を造ったのは、富江藩六代領主・伊賀守運龍 ( いがのもりゆきたつ ) で、
年々新穀をここに納め、藩士の蔵米支給や藩の用途に備えたと言われている。
その蔵の巧妙な築造は今日に至るも少しの狂いも生じていない。
石材は地元富江産玄武岩の切り石で築かれ、
西南に面し、幅25m、長さ9m、高さ4m、厚さ115㎝。
正面入口2ケ所に高さ2m、幅115㎝、
また裏面の3ヶ所に高さ50㎝、幅85㎝の高窓が開けてある。

明治5年3月に大蔵省立ち会いのもと払い下げられたが、
富江藩陣屋の遺構として残る貴重な文化財である。


富江陣屋は現在の富江中学校の北にある運動場の辺りに築かれていた。
陣屋の大手は東側にあり、大手門は現在の実相寺に移築されたが、
部材は新調されたようである。
陣屋石蔵が北側の民家の裏側に残っており、これが現存する唯一の遺構のようである。


五島、富江の陣屋は、寛文2年 ( 1662年 ) 五島盛清によって築かれた。
盛清は福江藩二代五島盛利の三男で、
兄の三代藩主盛次が病弱であったことからその政務を代行し、
没後は幼小で家督を継いだ盛勝の後見人として活躍、
その功績によって三千石を分与され旗本交代寄合となった。

富江領は初代盛清から代々続いたが八代盛明のとき、
朝廷より福江藩に合併して蔵米三千国を新たに支給するとの指示が降った。
これに反発した領民たちが一揆を起こすなどの富江騒動が勃発、
その結果、五島盛明は謹慎の後、禄百三十石の只の士族となり、富江藩は消滅した。

歴代領主は、五島盛清、五島盛朗、五島盛尚、五島盛峯、五島盛恭、
五島運龍、五島盛貫、五島盛明 で、
富江中学校の校門脇に説明板が設置されている。


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