![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/27/8327541c457155055e7d950c5c55dfa7.jpg)
城外から見た虎の口付近
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ca/d8e306401cc4bcffa2a70d729ee5ed58.jpg)
伊波城址碑銘
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/33/6b53f8511b048c42e4a39220109cbbb0.jpg)
グスク内にある説明版
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/64/84d5613f7130c40e640d2a6e1390ea41.jpg)
グスク内に所どころに残っている石積
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8f/4089ef843de55614777d9b59e79c8124.jpg)
自然石を用いた野面積み
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/38/65cbceccd4ccca41b5682ff665fa9561.jpg)
朝日が差し込む東側の物見台の跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/8f/cd11e14a9ca7d9bc2e16dd6359e4170c.jpg)
東側物見台付近の拝所
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/d7/23003cf483c775cea5d4d1bc7d5a2f6d.jpg)
グスクの物見台付近より朝の石川火力発電所を望む
伊波グスクは、1322年に北山王となる怕尼芝・羽地(はにし)按司に滅ぼされた
今帰仁城主の子孫(伊波按司)が、この地に逃れて来た後に
力を付け城を築いたものとされる。
華麗なる一族
村人に推されて伊波按司となった今帰仁子から、伊波按司・初代伊覇按司(八男)、
瀬長按司(六男)、玉城按司(四男)、高瀬按司(二男)、
今帰仁子(長男)、大湾按司(三男)、山田按司(五男)が生まれている。
また、初代伊覇按司からは、中城按司(十男)、幸地按司(八男)、勝連按司(六男)、
安慶名大川按司(五男)、二代目伊覇按司(長男)が生まれている。
そして、これらの諸按司の中から、琉球の戦国史に名を残した護佐丸、阿麻和利、
鬼大城なども生まれている。
今帰仁子からの血は脈々と受け継がれ、琉球の歴史を巻き、彩った華麗なる一族である。
城の構造は、一重だけの城壁をめぐらす単郭式で、
石垣のほとんどが自然石をそのまま用いた野面積みで積まれ、
東北面は切り立った自然の断崖を利用し、
南面は自然岩を取り込んで石垣をめぐらしている。
伊波城跡へのアクセス
伊波城は、うるま市(旧石川市)の石川市街の伊波地区にあり、
石川インターを下りて石川バイパスを沖縄方面に進み、
トンネルを出てから、県道6号線を伊波小学校手前を左折し、
150mほど行くと右側に社会福祉センターがある。
その向かいの道を入って200m~300mほど行ったところの右側にと鳥居がある。
わかり難いときは、「ココガーデンリゾートオキナワ」で検索すればいいと思います。
なお駐車は、グスク入り口が少し空いているので、
鳥居のそばの空地に停められると思います。