「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島  ・  沖縄の文化財 「 大和井 ( ヤマトガー ) 」

2013-03-04 05:13:12 | 沖縄の文化財



宮古島 「大和井 ( やまとがー )」



















入り口付近にあるブトゥラガー






上まで高く積み上げられた石組み








一番下にある井泉部分






大和井があるロータリー







目印となる道路の案内板












宮古の人々は古くから「うり井」を中心に集落をつくり暮らしをたてていた。
戦後、水道が普及するまでは平良のまちにおいても同様であった。
「うり井」は一般に上り下りの通路に石段を設ける程度で、
多くは自然のまま利用されていた。
なかでも大和井(やまとがー)は全般にわたって人工がほどこされている。
下部に大きな石を置き、上部につれてだんだん小さな石に変わり、
さらに石も自然のままでなく、切り石を円形に積み上げており、
その力学的な工法は周辺の風致とともに訪れる者に安定感を抱かせる。
石造技術の枠を傾注したことが想定される。

隆起珊瑚礁の島である宮古島には川はなく、雨は地下水となって海に流れこむ。
海岸付近などにはその流れが湧き水となって湧き出す箇所があり、
ガーと呼ばれて、住民の貴重な生活用水として利用されてきた。
大和井は、宮古島市の市街地近くにあるガーのひとつで、
すくそばにあるぶとら井(ぶとらがぁ、プトゥラガーとも言う)とともに
「大和井(やまとがー)」という名称で1992年(平成4年)12月18日 に国の史跡に指定された。

大和井は、石段を降りた下にある降り井(うりがぁ)で、
周囲約20メートル、高さ約6メートルの円形の石積みの穴の底に石敷きの広場を設け、
その奥部が取水口とされている。
広場までは、折れ曲がった石段が続いており、その途中には門扉が設けられたと思われる閂の跡がある。
『雍正旧記』の記載から、1720年に掘られたものと考えられている。

伝承によると、この井戸は、首里王府や薩摩藩から派遣された役人専用の井戸であったといわれている。
宮古島に他に類のない見事な石細工や、厳重な管理の様子をうかがわせる閂の跡は、
この伝承を裏づけるものである。

プトゥラ井は、大和井から50メートルほど北西に位置する井戸で、
より簡素な造りを持ち、一般の住民用として用いられていたものと考えられている。




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