「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

山口県萩市 ・ 世界遺産 「 恵美須ケ鼻造船所跡 」

2015-10-22 02:12:41 | 世界遺産














































1853(嘉永6)年、幕府はペリー来航の衝撃から、
各藩の軍備・海防力の強化を目的に大船建造を解禁し、
翌年には萩(長州)藩に対して大船の建造を要請します。
次いで1855(安政2)年、幕府は伊豆戸田村(へだむら)において、
ロシア人の指導のもと西洋式帆船の君沢型(きみさわがた)(スクーナー)を製造しました。

それを受けて1856(安政3)年1月、
萩(長州)藩は藩士の桂小五郎(後の木戸孝允(きどたかよし))の軍艦製造の意見書に応じ、
洋式造船技術と運転技術を学ばせるため、
船大工棟梁の尾崎小右衛門(おざきこえもん)を伊豆と江戸に派遣しました。
4月、尾崎は戸田村でスクーナー船建造にあたった船大工棟梁の高崎伝蔵らとともに萩に帰り、
近海を視察、小畑浦(おばたうら)の恵美須ヶ鼻(えびすがはな)に
軍艦製造所を建設することを決定しました。
1856(安政3)年12月には
萩(長州)藩最初の洋式軍艦(スクーナー型)「丙辰丸(へいしんまる)」が進水しました。
丙辰丸は全長25メートルの木造帆船で、尾崎を通じてロシアの造船術が用いられました。

1857(安政4)年8月には造船所は閉鎖されますが、
翌年、萩(長州)藩は安政の軍政改革を開始、
その総責任者に山田亦介(やまだまたすけ)を登用するとともに2隻目の洋式船の建造を企画します。
山田は閉鎖されていた恵美須ヶ鼻造船所の引き渡しを受け、現場を整備します。
また萩(長州)藩は13名の技術者を長崎海軍伝習所に派遣して、オランダの造船術を学ばせます。
オランダの造船術を習得した技術者により
1860(万延元)年4月に、2隻目の洋式軍艦(バーク型)「庚申丸(こうしんまる)」が完成しました。
このように、恵美須ヶ鼻造船所跡では2隻の洋式軍艦が建造されましたが、
1隻目はロシア、2隻目はオランダの造船術が用いられており、
異なる外国の技術が共存する他に類例のない造船所の遺跡であると言えます。

なお、丙辰丸建造に際しては、萩市紫福の大板山たたら(国指定史跡)の鉄が使用されました。
現在、造船所跡には地下遺構と、当時の規模の大きな防波堤が遺っています。
2013(平成25)年10月に国の史跡に指定されています。


所在地 / 山口県萩市大字椿東5159-14

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