沖縄県本部町渡久地にある 「 大米須親方の墓 」
「 大米須親方之墓 」 と書かれた墓碑
沖縄県本部町の渡久地公民館の隣の崖下に
「 大米須親方之墓 」 と書かれた墓碑が建っている。
大米須は、金丸 ( 尚 円王 ) の義兄にあたり、
伊是名島から首里へ上り、第一尚氏最後の王、尚 徳王に仕えた。
その尚 徳王が死去し、義弟の金丸こと尚 円王が即位したが、
先王に対する節義を重んじて退隠。
首里を離れ、渡久地で暮らして浜元のヌルを妾にした。
このヌル墓は渡久地北岸にある食堂 「 まーすやー 」 の裏にある。
大米須は息子の米須里主と一緒に渡久地に来たという。
里主は結婚して米須子をもうけ、米須子の長男が顧氏比嘉筑登之親雲上助輝である。
里主は辺土名ヌルとの間に翁氏国頭親方盛順をもうけたという。
米須子とは異母兄弟になり、辺土名ヌルの墓は辺土名にあるらしい。
里主は喜界島大屋子 ( 村役人 ) を勤め、その子孫が喜界島に多いといわれている。
墓も喜界島にあるという。
だが、 「 国頭郡史 」 では、喜界島に居たのは米須子で、
渡久地の墓は、米須里主の墓とも言われている。
墓は、清明祭に顧氏、翁氏門中が那覇から来て拝んでいる。