「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

3月5日 「 啓蟄の朝 」

2013-03-05 06:26:13 | 朝の風景とその他の風景


今朝も5時にムサシの散歩に出た。
月は、昨日の朝よりもやや南に位置し、
丁度真南の方向にあった。


早いもので新しい年を迎えてから3ヵ月が過ぎ、今日は啓蟄である。
啓蟄は、大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。
『 暦便覧 』 には 「 陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり 」 と記されている。


啓蟄のことを日本以外の漢字文化圏では驚蟄 ( 惊蛰、拼音: jīngzhé ) と書く。
また日本でもそう書く場合がある。

これは、漢王朝6代皇帝である景帝の諱 ( いみな ) が 「 啓 」 ( 現代北方音: qǐ ) であり、
避諱して意味が似ている 「 驚 」 の字で代用したことに由来する。
同時に、孟春正月の驚蟄と、仲春二月節の 「 雨水 」 との順番を入れ換えた。
同様に、 「 穀雨 」 と 「 清明 」 の順次も入れ換えた。

漢初以前 立春 ⇒ 啓蟄 ⇒ 雨水 ⇒ 春分 ⇒ 穀雨 ⇒ 清明
漢景帝代 立春 ⇒ 雨水 ⇒ 驚蟄 ⇒ 春分 ⇒ 清明 ⇒ 穀雨
唐代に入ると、啓の字を避ける必要がなくなったことから 「 啓蟄 」 に戻された。
それと同時に、順次も孟春正月中に変えられている。
しかし、使い慣れないせいもあって大衍暦で再び 「 驚蟄 」 に戻され現在に至る。

日本でも、中国と同様に 「 驚蟄 」 が歴代の具注暦に使われている。
後に日本でも大衍暦と宣明暦を採用したが、驚蟄は、日本では、仲春二月節とされた。
日本で 「 啓蟄 」 が名称として用いられたのは、貞享の改暦の時である。
従来の仲春二月節のまま、文字だけが改められた。
二十四節気の名称のうちで日本と中国で異なっているのはこれだけである。




熊本県天草市   「 下田大橋 」 を渡る

2013-03-05 05:17:23 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



天草 「 下田大橋 」 を渡る






























牛深から鬼池港を目指して西海岸を進むと、
五足の靴 」 の碑から約200mほど行くと下田大橋が架かっている。

天草下島の西海岸にある 「 肥後下田温泉 」 。
この温泉街の入り口にある下田大橋。
下津深江川と下山川が温泉街で合流して海に流れ込む。
その川の流れを海へと導くための橋のように、
ちょっぴり誇らしげに見える。

そして、その橋を路面から見ると何かホッとするものがある。




沖縄県宮古島市 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 芋ヌ主御嶽 ( んーぬしゅううたき ) 」

2013-03-05 05:14:18 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所





















平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


由緒  ( 御嶽入口の掲示から )

この御嶽は西仲宗根の保里嶺東端に所在する。
中国から芋を宮古に伝えた砂川親雲上旨屋 ( 長真氏旨屋 ) を
ンーヌ主 ( 芋の神様 ) として祀った御嶽である。

1594年、長真氏旨屋は与人役 ( 村番所役人 ) の時、
御物宰領 ( 御用物責任者 ) となって河充氏真逸らと琉球王府に至り、
公事を終えて帰島の洋中、逆風に遭って中国に漂着した。
丁度この年、中国にはルソン島から芋が伝わり栽培普及が行われていた。
旨屋らは三年間中国に滞在し、1597年、芋かずらを持って帰国の途についたが、
また、船が遭難して九州へ漂着、回航して同年、漸く宮古へ帰島した。
旨屋らは芋かずらを分けて栽培普及につとめた。
芋は五穀にまさり台風旱魃にも強く宮古の風土に適したので、
人々は作物として競って裁植、五穀に代わって芋が主食になった。

旨屋は1632年に砂川間切の頭職 ( 親雲上 ) となり、
10年後の1642年に琉球からの帰途八重山に漂着して病死した。
後年、旨屋はンーヌ主 ( 芋の神様 ) として御嶽に祀られた。
この御嶽では戦後間もない頃まで、
毎年8月に初芋を捧げてンーブーズ ( 芋の豊作感謝祭 ) が盛大に行われていた。

琉球 ( 沖縄本島 ) へは1605年に野国総監が中国から芋苗を導入、
後年、琉球の芋が薩摩に伝わって 「 さつまいも 」 と称された。


所在地 : 宮古島市平良 西仲宗根



長崎県長崎市 「 アラジンの江頭2:50 」 バスで走る!

2013-03-05 05:09:21 | 探訪 ・ ドライブ






長崎市内を歩いていると、「おっ!」と目を惹くバスが走っていた。
なんとそれは、アラジンの江頭2:50が載ったバスであった。
それは、そんじょそこらの広告よりもインパクトがあった。

江頭2:50は、長崎のお隣の佐賀県神崎市 ( 旧千代田町 ) 出身だから、
長崎のバス会社が江頭2:50を採用したのかもしれないが、
それにしても思わずニンマリしてしまいそうなバスである。