今度の部屋

授業でできなかったことや出版物についてフォローします(できるだけ^^)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』15章の要約(ここだけ)

2014-05-22 11:43:14 | 日記


こんにちは。

大学院の授業でジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』を読んでいます。

担当を決めて、レジュメをつくり発表するスタイルです。

大学院生3人だけなので、毎週毎週レジュメをつくらなければなりません。

さて、5月21日にも授業はあったのですが、一人の大学院生が体調がわるく欠席しました。

たぶん来週も体調が良くないだろうということで、1章分を私がやることになりました。

第15章が担当です。

そのレジュメをつくったので、ここにのせます。


ーーーーーーー

第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー (2014.5.28)
 :この二つは大陸ごとの人間社会のちがいを説明しようとする理論にとってきわめて重要なテストケースである。
1 進んだ文明をもっていたオーストラリア
・オーストラリア先住民(アボリジニ)たちは文明とは無縁の生活をおくっていた。
(農業を行わず、家畜を飼育せず、金属器も弓矢も持たず、大きな建築物もつくらず、定住生活もせず、文字も持たず、首長社会や国家も形成しなかった)→ヨーロッパ人たちはアボリジニを「もっともみじめな人々」と考えていた。

・しかし、4万年前はその他の大陸の人々をリードしていた。
(最古の磨製石器をつくり、柄のついた石斧をつくり、舟をつくり、壁画を描いた。)

→そのオーストラリアがなぜ征服される側になったのか?

2 大オーストラリアとアジア
・最終氷河期の時代:大オーストラリア大陸を形成(オーストラリア+ニューギニア)
・4万年前:すでに、大オーストラリア大陸には人が住んでいた(東南アジアから島伝いに舟で渡ってきたと推定できる)
・1万年前:ニューギニアとオーストラリアは分かれた。(140kmしかはなれていない)
・分離後はオーストラリアもニューギニアも、アジア大陸から孤立した状態で発展してきた。
 (人間の移動を示す証拠がない/アジアの言語とアボリジニの言語の関連性がみられない/遺伝子的にも身体的特徴も違っている)
・ニューギニア人とアボリジニの間にも差は見られる。(血液型・髪の毛・言語)

3 ニューギニア
・環境:赤道直下・山地が多い・雨が多い・年中同じ気候・熱帯雨林・肥沃な土壌
・家畜:豚・鶏を飼育
・定住生活 部族社会
・弓矢・土器・頑丈な住居・丈夫な舟
・農業:メソポタミアや中国と同様、独自に植物の栽培がはじまった。
  低地:漁業・狩猟生活・焼畑農業
  低地の湿地帯:サゴヤシ栽培の移動生活・小規模血縁集団
  高地(1200m以上):農業(タロイモ)
・金属器、文字、国家をもたなかった。
  起伏が多い地形のため、小さな集団に分散していた。
  低タンパクの根菜類が主食だった
  高地では利用可能な土地に限界が有り、大量の人口を養えなかった
  山岳中腹でのみ食料生産が行われ、それ以外の地域との交流はなかった
   →さまざまな技術・文字・政治システムを発達させることがなかった。

4 オーストラリア(アボリジニ)
・環境:熱帯~温帯・平坦な低地・雨が少ない・不安定な気候・砂漠と乾燥した森林地帯・不毛な土壌
・家畜:大型動物は早々に絶滅し、イヌはペットや番犬であった。
・農業:栽培可能な野生植物も少なかった(マカデミアナッツだけ)
・オーストラリア南部では、集落ができ、ウナギを養殖しているところもあった。

→住居や所有物にエネルギーを使わず、自然に適応しながら移動生活を行った(狩猟採集生活)。
 結果、アボリジニは農耕もしなければ家畜も飼育しなかった。
 (集団の人口を常に少なくし、豊作でも不作の年でも食料を確保できるようにした)
 金属器も文字ももたなかった
 小集団で分散して住んでいた。
 後退した技術もあった。

5 ニューギニアとオーストラリアの交流(トレス海峡をはさんだ文化の伝達)
・そもそもアジア(インドネシア)の文化は進んでいなかった。
・ニューギニア南部とオーストラリア北部の人々との交流はあったが、アボリジニたちはそれを取り入れなかった(釣り針以外)。
・農業を行っていたオーストラリア南部とニューギニア高地の人々が接触していれば、交流はあっただろうが実際はなかった。
 (その間には不毛な地域があり狩猟採集社会があるだけで、農耕の知識は伝播しなかったから)

→かくして、両地域は文化的にも分断されたままであった。

6 オーストラリアがヨーロッパ人に征服された理由
・ニューギニアには、熱帯病の存在(マラリアなど)があり、入植できなかった。
・オーストラリアは、ヨーロッパ人たちにとって住みやすかったからである。さらに、銃で弾圧を加える以外にも、ヨーロッパから病原菌がもちこまれたことでアボリジニたちは激減し、ヨーロッパに支配されるにいたったのである。

以上

ーーーーーーーーーーーー

 昨日は風邪をひいたかな?・・・と思いましたが、今朝は大丈夫でした。

 今日も来てくださってありがとうございました。