いつの記事だよ・・・^^;
講演会行ってきました1の続きを・・・
しろのことでいろいろあったので,溜まっている過去記事をぼちぼち書いていきたいと思います。
すごく古いのはお見逃しを~。
講演会の前半30分くらい?は東城先生の息子さんがお話になられました。
ユニークで面白い方ですね。
身内だから言えることもあります。
東城先生は子供の頃の病気もあって,障害者認定を受けておられます。
公共の乗り物なんかが割引だったりするので,「受ければいいのに」と(笑)
「私はこの体をもらったのだからこれで健康」と一切使われないのだそうです。
杖もついていらっしゃいます。
「これで長時間の講演をするの?大丈夫?と見えますが,講演が始まるとどんどん元気になっていきますよ」って(笑)
確かに最初は普通のおばあさん,という感じでしたが,
話しはじめるとどんどん前に来られて舞台の前方まで,という感じでした。
個人的には「うちのばあちゃんに似てるわ~」って思いました。
東城先生をもっと早口にして怖い感じにすると亡くなったばあちゃんに似ています(笑)
顔じゃなく雰囲気や気性がね。
明治・大正の苦労した女性は強く,努力家なのでしょうね。
80になってからも「私は字がうまくないから」と,通信講座の書道を申し込んでいたような人でしたから。
講演は難しい理論でなく,心にパワーを頂くという感じです。
小さいお子さんを連れたお母さんもたくさん来られていましたが,
涙されている方が何人もいらっしゃいました。
病気ですがるような思いで来られている方もいるでしょうからね。
ここに来ようと思って,そして実際に来られているというご縁。
遠くからだったり,いろいろ大変でも都合をつけてこられている方はもうそこから努力されているし,治りたい気持ちも強いでしょうから,心って大事ですね。
講演で一番大事なことは「自然に学ぶ」ということでしょうか。
なんでも人の言うことだから,とか医者だからとか権威や科学的なデータばかり信じるものでない。
それらは日々変わるものですから,本物でない。
自然はいつも変わりませんから,先祖の食べてきたものが大事ということです。
ビタミンがどうのとか,科学的な物体はモノの一部でしかない。
一物全体で摂ることによって目に見えない効果が生まれる。
栄養が足りないとサプリメントを取ったり,野菜を摂らないからと市販の野菜ジュースですませ,肝心の食事は偏ったまま。
これらは一部の栄養素を摂っただけで自然の命とはほど遠い食べ物。
栄養学は人間の知恵であって自然の知恵ではありません。
食べることは生きること。
工場で作られたようなものでなく,命のあるものを頂く。
自分がやった,のではなく自然がやった,自然に生かされているという気持ちが大事。
自然を支配しようとするのでなく,謙虚な気持ちを忘れてはいけないということですね。
医学は医者がやりますが,それは人にしてもらうこと。
自分がやらないと,手足を使って体験したものが自分の心になります。
うちのことをするのは生活の基礎です。
食育とは努力を自分の手を使って育てること。
手抜きは心抜き。
命のないものはどんなに便利でも地球を壊してしまいます。
西洋は物質文明ですが,東洋は精神文明。
日本人は道(どう)を大事にしてきた民族です。
(○○道とよく言いますよね)
風土にあうかどうか考えないといけません。
日本人は困った時は何を食べてきたかというとお粥です。
ブドウ糖=脳の発達に必要ですが,これは穀物にしかありません。
カルシウムを摂りましょうと言いますが,肉にはカルシウムがありません。
肉は栄養と言っていますがたんぱく質しかないのです。
(改めて本当だわ~と思いました)
おまけに消化が悪いですから,血液が回りません=冷えに繋がります。
冷えは心の感覚まで鈍くなります。
食卓は人間教育です。
食べ物を捨てたら目がつぶれると言いますが(子供の頃よく言われてましたね~),この目って見る目だと思って本当に目がつぶれるんだ~と思ってました^^;
東城先生曰く,目は心の目であり,感謝の心がなくなるということだと。
心の目が見えなくなってしまうなんて,そんな深い意味があったとは・・・
病気は治すものでなく学ぶこと。
自分でわかるしかない,自分でやらないと応用力がつきません。
自分の考えが問題であることが多く,自分が変わらないと何も変わらない。
日本人は何よりもお米です。
小麦は体を冷やします。
湿度の高い日本では体を冷やすと緩んで細胞が痛みやすい。
湿度が高いということは,水分を吸ってくれる食べ物が適しているということ。
お米は水分を吸って炊き上がります。
高温多湿の国ではお米を食べてますものね。
難しい理屈でなく,まさに!って思いました。
みずみずしい人間にならないといけませんね~。
講演会行ってきました1の続きを・・・
しろのことでいろいろあったので,溜まっている過去記事をぼちぼち書いていきたいと思います。
すごく古いのはお見逃しを~。
講演会の前半30分くらい?は東城先生の息子さんがお話になられました。
ユニークで面白い方ですね。
身内だから言えることもあります。
東城先生は子供の頃の病気もあって,障害者認定を受けておられます。
公共の乗り物なんかが割引だったりするので,「受ければいいのに」と(笑)
「私はこの体をもらったのだからこれで健康」と一切使われないのだそうです。
杖もついていらっしゃいます。
「これで長時間の講演をするの?大丈夫?と見えますが,講演が始まるとどんどん元気になっていきますよ」って(笑)
確かに最初は普通のおばあさん,という感じでしたが,
話しはじめるとどんどん前に来られて舞台の前方まで,という感じでした。
個人的には「うちのばあちゃんに似てるわ~」って思いました。
東城先生をもっと早口にして怖い感じにすると亡くなったばあちゃんに似ています(笑)
顔じゃなく雰囲気や気性がね。
明治・大正の苦労した女性は強く,努力家なのでしょうね。
80になってからも「私は字がうまくないから」と,通信講座の書道を申し込んでいたような人でしたから。
講演は難しい理論でなく,心にパワーを頂くという感じです。
小さいお子さんを連れたお母さんもたくさん来られていましたが,
涙されている方が何人もいらっしゃいました。
病気ですがるような思いで来られている方もいるでしょうからね。
ここに来ようと思って,そして実際に来られているというご縁。
遠くからだったり,いろいろ大変でも都合をつけてこられている方はもうそこから努力されているし,治りたい気持ちも強いでしょうから,心って大事ですね。
講演で一番大事なことは「自然に学ぶ」ということでしょうか。
なんでも人の言うことだから,とか医者だからとか権威や科学的なデータばかり信じるものでない。
それらは日々変わるものですから,本物でない。
自然はいつも変わりませんから,先祖の食べてきたものが大事ということです。
ビタミンがどうのとか,科学的な物体はモノの一部でしかない。
一物全体で摂ることによって目に見えない効果が生まれる。
栄養が足りないとサプリメントを取ったり,野菜を摂らないからと市販の野菜ジュースですませ,肝心の食事は偏ったまま。
これらは一部の栄養素を摂っただけで自然の命とはほど遠い食べ物。
栄養学は人間の知恵であって自然の知恵ではありません。
食べることは生きること。
工場で作られたようなものでなく,命のあるものを頂く。
自分がやった,のではなく自然がやった,自然に生かされているという気持ちが大事。
自然を支配しようとするのでなく,謙虚な気持ちを忘れてはいけないということですね。
医学は医者がやりますが,それは人にしてもらうこと。
自分がやらないと,手足を使って体験したものが自分の心になります。
うちのことをするのは生活の基礎です。
食育とは努力を自分の手を使って育てること。
手抜きは心抜き。
命のないものはどんなに便利でも地球を壊してしまいます。
西洋は物質文明ですが,東洋は精神文明。
日本人は道(どう)を大事にしてきた民族です。
(○○道とよく言いますよね)
風土にあうかどうか考えないといけません。
日本人は困った時は何を食べてきたかというとお粥です。
ブドウ糖=脳の発達に必要ですが,これは穀物にしかありません。
カルシウムを摂りましょうと言いますが,肉にはカルシウムがありません。
肉は栄養と言っていますがたんぱく質しかないのです。
(改めて本当だわ~と思いました)
おまけに消化が悪いですから,血液が回りません=冷えに繋がります。
冷えは心の感覚まで鈍くなります。
食卓は人間教育です。
食べ物を捨てたら目がつぶれると言いますが(子供の頃よく言われてましたね~),この目って見る目だと思って本当に目がつぶれるんだ~と思ってました^^;
東城先生曰く,目は心の目であり,感謝の心がなくなるということだと。
心の目が見えなくなってしまうなんて,そんな深い意味があったとは・・・
病気は治すものでなく学ぶこと。
自分でわかるしかない,自分でやらないと応用力がつきません。
自分の考えが問題であることが多く,自分が変わらないと何も変わらない。
日本人は何よりもお米です。
小麦は体を冷やします。
湿度の高い日本では体を冷やすと緩んで細胞が痛みやすい。
湿度が高いということは,水分を吸ってくれる食べ物が適しているということ。
お米は水分を吸って炊き上がります。
高温多湿の国ではお米を食べてますものね。
難しい理屈でなく,まさに!って思いました。
みずみずしい人間にならないといけませんね~。
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