楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

12か国 46日間の旅 

2019-06-30 21:27:36 | 日本文化
主人は兄と92歳の母親とで 12か国 46日間の旅をおえて 帰ってきました。
義理の母は 毎日若い時から 食事に時間が決まっていて 朝7時 昼12時 夜遅くても7時です。
これが 国をまたいでもきっちり決まっていて 四人の旅を無事すごす 原動力になったそうです。
時差ボケで 食がすすまなくても 時間になると母から食事の要求があることで リズムがくずれず 過ごせたというわけです。
毎日のリズムが健康にいかに大事かということでしょう。
多分 母のために 少し控えめな移動になることも 無事すごせた理由かもしれません。
カメラを旅の初めの一週間で 酔ってタクシーに乗り 忘れて失ったことも 緊張感を生み 無事すごせたのかもしれません。
歩き疲れて 少しやせましたが 元気に帰れてなによりでした。 

棚上げの必要

2019-06-30 21:13:27 | 日本文化
とにかく貿易摩擦は続くのでしょうが 棚上げしておくことは とても重要なことだということが わかります。
のらりくらりしているうちに きっかけがやってくるってことも あるんですね。

国同士 互いに不満があっても 時間をかけて解決に向かうべきで 我慢は必要なことなのでしょう。
でも 事実は曲げてはいけなくて 現実は把握すべきなのでしょう。

報道でトランプ大統領の来訪を 準備していた国を日本の事情で無視したり 忘れてしまうのは いかがなものかな。
事実を曲げたりゆがめる素を 報道は 作りやすいから 差し引いて考えないといけませんね。政治のニュースがトップにあがらないとか 理由があるんでしょうね。
人生も うまくいかないことは 無理にすすめず 棚上げすることも大事なのかもしれません。
でも 棚上げが足をすくうこともあるんですよね。

マクロン大統領すてき

2019-06-26 22:40:01 | 日本文化
今日のNHKニュース9での インタビュー
素敵でした。
これからの世代が 元気になることが必要で 情熱をもって幸せをつかんでほしい。
そう願っていただけに 元気になりました。
もう企業がいっせいに一方向をむいて金もうけに走れる時代ではなくなる気がしています。雑多な商品がこつこつ必要とされる量 求めに応じて動くようになると思うんです。

あたらしい時代の生き方で どんな世の中にしたいのか
若い人が互いに発言する機会も 集まる場も 実は伝統としてない日本です。
民主主義なんて 実は忖度村社会といった感じです。
なにせ教育が 軍国主義の教師のまま 教科書を黒塗りして 子供の強制学校民主教育からはじまったらしいですよ。ばあばの私も 知らずに民主主義の国らしいものを 育ててきてるんですよね。
現状はここからですが 権力による強制ではなく 共感による共助で 政治ができるよう G20に期待したいものです。
歯切れよく 聞き取りやすいフランス語で 夢と元気を ごちそうさまでした。 



忘れてたけど忘れてなかった

2019-06-23 10:55:39 | 日本文化
子供のころ小学校の登校は 近所の集合場所に定時に男女別べつに集まり10人ほどの集団で登校したものです。お手玉したり まりつきしたり ゴム飛びしたり集合場所は遊びを教わる場でした。
そのお隣のお姉さんの兄さんに 昨日偶然声をかけらたのです。
2年学年が上の隣人の名前を この30年思い出すことはありませんでした。
ところが お世話になって遊んでもらった隣人のお兄さんの一声で お姉さんの名前を思い出したのです。何とかちゃんと。

人間の記憶というのはどう脳にしまわれているのか 不思議におもうことが よくあります。昔の自分の手芸作品や 父の若かりし日の写真で 急に忘れてたけど忘れてなかった風景や 過ごした時間の記憶がよみがえります。
つながりの紐が 記憶にもあるのかもしれません。

先日の養老先生とピアニスト山下さんの対談で
虫は音をどう認識しているのでしょうとかいう問いかけに もっとも あとくされのないコミュニケーション手段は 音だとか 養老先生は 言われました。
へーっと通り過ぎていましたが 面白いことかもしれないと思い始めています。
養老先生は ジャズ奏者に 僕はジャズは聞いてないとか さらに音はすぐ消えますからと 常識的には失礼な話から 対談が始まっていました。
はらはらしましたが 山下さんは懐がおおきく その後は 禅問答のようになっていました。
 いわれれば 音で記憶がよみがえるのは 作品になった曲のかたちでよみがえるけれども 自然の音では記憶はよみがえりにくいかもしれないと思いなおしました。
でも これも人によって大きく違うのかもしれません。

養老先生の 脳というのは 切り取って名前を付けると認識したとおもうらしいという話も 気になりました。多分それは養老先生だから だとも思いましたがね。
こどものころ 化学や社会で 何度も名前の説明を区別して繰り返し学ばされているとき 要するに何か本質をつかむことより 名前の説明を一字一句たがえず記憶することが先決なのかと ふてくされていたものです。
表現が違うとぺけですから。
言われると 学者という職業は その事象や存在に 名前をつけて人類の認識分類に フォルダーを作る仕事が大半をしめるようなのかもしれません。

一方 山下奏者は 消えてしまうはずの音を 消えない曲 きえない空間にするのが 仕事ということかもしれません。
そこには 曲の訴えかけが根源的であれば 深い記憶にあたいするものになるということになるのでしょうか。
もっとも安易に説明しがちなのが言語であり 
深いところで共感しにくいのが言語 
忘れられがちな音で訴える曲というものは 
その場においては最も深いところで共感できるけれども 
言語や音の規則性が心を揺さぶらないと
記憶しておくことが難しいとでも言えるのかもしれません。
NHKがむりやり進めたような対談でしたが 道を究めてきたことがよくわかる興味深い対談でした。
で 忘れてても 忘れてないことは 年を取って新たな認識を生み出すなにかに
なるようです。



 

時期がくれば実

2019-06-20 23:53:22 | 日本文化

畑に出かけた日は 必ずドクダミを葉の間 特に巻き始めた芯のぶぶんにかませました。
おかげで とうとう夜盗虫にも侵されず 時期を得てキャベツとして収穫できました。
無農薬でここまで食べられずに無事なのは 初めてかもしれません。
ドクダミ様様です。
このキャベツ 昨年の秋に種をまき 地植えしたものの 冬は5㎝ほどでじっと春を待ってました。
母は春になると虫が食べ もうキャベツとして葉を巻くことはないから抜こうといっていました。 でも種まきから付き合ってきたので あきらめられませんでした。根気よく 見つけた芋虫をとり ドクダミを摘んできては芯にはさんで 3か月 とうとう食べられるキャベツとなりました。
時期を待って 成長の根源を守れば 花をつけようと植物は頑張ります。

これって 人間も同じなのでしょうね。
花を咲く時期を たとえのがしても 創意工夫で本当の自分を守り抜けば 納得できる日を迎えることができるはずです。あきらめてはいけません。何が役立つか いつチャンスがやってくるか 人生最期の日まで わかりません。
就職氷河期に就職できず未だ正規雇用にならないからといって 人生捨てたものではありません。 政府はおせっかいなことに 正規雇用を進めてくるようですが
お金や人に与えられて解決できるでしょうか。
いまだに 学校に通えない子供を救えない 多様な人生を選択しにくい教育の現状があります。 生活力を多様な方法で可能にするべきです。 手軽な小さな金もうけを許さなくなっていませんでしょうか。
税金の仕組みでがんじがらめで 小さな親切をお金にできなくなっていないでしょうか。
ここを 改善しないで もうすでに大人になっている人間を 企業への正規就職を促すなど できるでしょうか。
 経済優先の時代のつけは 必ず不都合を起こしてきます。
ここからが就職できなかった人のチャンスかもしれませんよ。
毎日の衣食住は 生きている限り必要です。
そして こだわりは価値をうみだします。
私も こだわりで人生最後に日まで 価値を生み出していきたいものです。



庭をめぐって

2019-06-16 23:52:13 | 日本文化
母はこのところ 草取りが生きがいでして うちの庭も 除草してあげたいというのです。ところが 目下夏にむけての過渡期 コスモスもマリーゴールドも まだ芽が出たばかりです。この時期 母に除草を任せるのは すべて花を購入しなおしになるので 断っています。
母に除草を迫られ 気が付いたのは 自分の庭に対する気持ちでした。

どうやら 奇麗な見せる庭にしたいのではないということです。花が咲くのはうれしいのですが 管理したいというより ゆるり雑雑過ごすうち花期や芽吹きに爆発的生命力を感じるときが醍醐味なのです。

実は 畑でもそうなのですが この時を共に生きているということが 自分は楽しいらしいのです。
できがわるいとか 虫にたべられたからと 自分は 母のように 残念に思わないらしいです。
根気よく眺めていると いつの間にか 植物自体が虫害や病気を克服する日を迎えたりするんです。
その姿が 楽しみで ぼうぼうだとか ジャングルだとか言われがちです、

安上がりで元気な ゼラニューム 矢車草 コスモス 百日草 マリーゴールドが順次展開しています。
最盛期を過ぎた花たちは膨大で ごみに出せません。

そこで 玄関先で枯れた植物を積み上げて 土と混ぜ 庭の小山に時折載せ
毎年こぼれ種で芽を出す植物を並べなおして楽しみます。コンポストは混ぜることを忘れがちで 横着物の私には向きません。
玄関で見えるところの方が 虫や動物の異常を知りやすいので 匂って来たら混ぜます。見苦しいけれど 半期で枯れた花を消化したいのです。
肥料は 五穀茶の豆殻と 牛乳の容器を洗った水 玄米のとぎ汁です。
このところ水源の水不足と聞いて 風呂の蓋を斜めにして端にホースをかませ容器に雨をためて使っています。蚊の発生防止に たまったら二日で使い切るようにしています。
こうして 基本やりくりしちゃてます。力もいらず 楽なものです。
花屋でお気に入りをみつけると 正月前とチュウリップの植え付け時期 新入りの多年草を ときおり仲間入りさせてゆるり庭にしています。

虫も適当にいて 鳥もうんさか遊びに来てくれて
ネコも水を飲みにきて 楽しい庭生活なのですが 
管理しきっていたい 母には理解されません。   


キャベツの成長

2019-06-13 23:00:44 | 日本文化
昨年の秋に種をまき 成長を楽しみしてきたキャベツです。
牛糞を撒きすぎ成長せず冬を越し 春になって雨が降らず成長せず
4月に外葉だけが大きくなりだしたものの 新部分を虫にたべられ瀕死でした。
そこで 十薬を葉の間に咬ませ 葉につく虫を箸で拾って退治しました。

最近の雨で 球を巻いてきました。
どうやら 品種が夏キャベツだったのでしょう やっとキャベツらしくなってきました。

その話を息子にすると 与党虫ってのがいるかもね。
政治の話と キャベツのイメージが重なって
そうか 自分の食い扶持ばかり求める虫がはびこると 芯を食べられ成長せずって
ありうるかもしれないね。
そう感じ始めたら なにやらおかしくてたまらなくなってしまいました。

母が畑のピーマン苗が ちぎれてなくなってたので 周りの土を探ってみると
二匹も夜盗虫がいたって。
成長を妨げたるは 自分の食い扶持に固執して その先の食い扶持を失う
与党虫にあり。

民主党の政策のひどかった話をするけれども 
実は 日銀の金融政策では一時の効果しかなく 
成長を見込める産業を応援して 不公平が起きる前に対策し 先見性をもって新規産業を認めるとか
次世代の応援をするとか 包装容器はたとえ一時は冷え込んでも 環境の試算をして 変えてゆくとか
地道に投資することが大事だったんじゃないのかしら
家計でも お金を動かしてできることも大事だけれど お金で測れない生活の方が基盤にないとうまくいかないからね。 

引き継いだ政策をゆがめて ごまかしてないか よく世の中を見てみないといけないかもしれません。いまだに日本列島改造論路線では 与党虫にやられちゃうかも。



年をとるほどに

2019-06-11 22:51:57 | 日本文化
腰痛対策に 目標位置に足を出す訓練をするとよいとの報道をみました。
脳と体の認識とのずれを 意識して修正する訓練をすると 体の統制が取れるのでしょうか。
そう言われれば 長生きの人は 何かしら几帳面なところがあるような気がします。
掃除も草一本残しませんし こだわりをもって積み重ねるひとがおおいです。

自分も 年をとればとるほど ワクワクすることをみつけたいです。
朝は おおよその一日の食事を作り
昼間晴れた日は 母と畑にいそしみ 
その他の時間で 衣類を作ることにしました。 
 自己肯定感をもち きちんと仕事をすることが 家族の役に立ち
幸せにしてくれるはずです。
生活に目標をもち 寿命の限り 元気に暮らせるとしたら
丁寧にしていきたいと思うようになりました。
それが 自分のため さらには愛する家族のためになるということなのでしょう。



ハイブリッド電池の交換時期

2019-06-11 22:20:47 | 日本文化
薬屋に出向こうと車で家をでたとたん ハイブリッド電池のメモリがないことを表示し エンジン ブレーキ ハイブリッド あとなんだっけ とにかく4個の警告ランプが点灯しました。
薬屋に約束してたので乗ってしまおうか迷いました。
リセットすればどうかと 何度かエンジンを切ったりつけたりして見ちゃいました。
電池メモリはあがりましたが 警告は消えずでした。
走行に支障はなかったのだけれど 警告ランプが何を示すのか 操作本を開いてみてみることにしました。 え、 ブレーキもだ と これでは 気持ちわるいから 車検をうけた店に電話しました。

JAFに電話して 引き取りを頼み 近場の店に運んでもらい事なきを得ました。その間30分ほどでした。
ところが検証の結果 なんと修理まで すこし時間がかかることになりました。
ハイブリッドのバッテリーを交換する必要があるそうです。うー結構高価です。
もうそろそろ買い替えかと思っていましたが 高値で売れることはないはずで
近場を乗るので二代目だし もう少し働いてもらうことにしました。
こんなご時世だからでしょうか 20日過ぎまでピットインです。

修理のあいだ 保険会社からレンタル車を使わせてもらえるそうで
新しい同じ車種 アクアに乗ることになりました。
運転席がすこし高くなり暑さ対策でしょうか フロントガラスがコンパクトになった気がします。
視界は狭いが見やすい位置に自分がいます。乗りやすいです。
消耗電気を減らすためか フロントの表示が鮮明にかつコンパクトになり
小さな文字になりました。 自分の車を買ったときのようなワクワク感はないけど 最小限のものはクリアーって感じがします。

主婦ですから 検証といった 本気の話ではありませんがね。
とにかく ハイブリッド電池交換時期が来たようです。



一人当たり

2019-06-09 06:44:09 | 日本文化
 畑で肥料をあげすぎてしまう母と 競争で肥料をひろげて耕し 大きくならない夏野菜たちの世話におわれながら 妄想婆ばしています。

昔は女の子が生まれると 桐の箪笥人竿できるように 庭に桐の木を植えたそうです。今では 大きな木がじゃまになると 庭木を植える人はあまりありません。
でも 昔の人は 一人当たり必要な木を 生まれた時点で用意する 
備えよ準備せよ という考えを 学校に通わずとももっていたということになります。
いまでは 大学に通って学問しても 実際の生活にこんな算数すら使わず 実生活に役立てるということができなくなってしまっているということなのでしょうか。
一人の責任の必要を果たすより 権利が先では この先がおもいやられます。

とはいえ やはり木が大きいと何かと不便が生じるのも事実です。
木の代謝旺盛な夏に 大きく木を切るなと叱られながら
梅の木を伐り縮めました。
「ごめんましょう どうか婆ばと私が世話できる大きさになってくださいませ。」
そう呟きながら 五方向に延びた大きな13センチほどの太さの枝を 格闘して切り落としました。なかなかおろせず 四日がかりでおろしました。
無事おろせたのも 梅の木が徐々に落ちるよう枯れるまで 他の枝で抱えてくれていたおかげです。急ぐなと 言われた気がして 時間をかけました。

で やはり 総論 木は残したい 各論 面倒見切れない です。
でも 植物に代わる温暖化阻止は 思い付かないなあ。

妄想婆ば ひた走りです。