楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

神社の参道

2010-03-30 06:59:12 | むかしばなし
畑を借りている人から 
菜園参画をすすめられ スコップ片手に 畝の掘り起こしをした
自分の影が土の上に落ちるのを楽しみながら
結構頑張ってしまった

コーヒーかすを たくさん入れて どうするんかなー
とか 何をどう 何処に植えると いいんだー
とか いろいろ 頭をよぎるものだ

すると どうも以前から 参道と稲田の向きが 気になっていた
商業施設のため 道路や線路が中心の 農地改革以前は
参道を中心に 稲田も畑もあったのかなー

そうしたことを考えて 畝を掘ると
自然に 畝の低い部分に 影がおちる

天照大海神様は 時をつげる鳥をたずさえ
人々の生活する向きを指示し
森を持って 災害に準備し
賽銭をもって ひもじい人を
プライドを保って 救済し
心の改善を 施されていた
ということが じわりじわりと
やってきて 涙がこぼれてきた



いろいろ 

農道

2010-03-28 06:30:59 | あったらいいな
いつも自転車で走る農道が アスファルトに亀裂がはいり 
路面と田の高低差が 縮まって 水を張ると 
自転車で農道を走るのは やばいのでは
なんて いらぬ心配をしています

でも 農道が 間伐材で 尾瀬沼のように
なってたら きれいだよな
なんて

いやー まず 農機が 動かしやすくないといけませんね

どうすると いいのか 浮かびませんが
路肩に咲き始めた レンゲが かわいくって

今年はどの田で 鴨が子育てするのか
うきうきするんです

木工技術屋さん

2010-03-26 15:05:52 | お出かけ
野菜の頂き物をする方の所有する畑の隣に
かっこいいお兄さんが 倉庫の中で働いていた
声をかけると 額縁をつくっているとか
むむーん いいかんじの男の子

聞けば 技術を取得して 独り立ちし
仲間で展示会をして 注文をとっているらしい
ポケットに 1アイテムできた

iいつもの道

2010-03-23 10:57:48 | お出かけ
自転車でいつもの道を はしると
真っ暗だった水田の続く辺りが すこーし明るくなっていた。

えー
水田に考慮して 人間には少し助かるけど
稲に影響がない街路灯を つけてくれたのかなー

すごくうれしかった

でも できたら足もとでソーラーの
縁石に少しついた形だったら
もっと 人間は明るいし
植物には届きにくい形でできるかも


さしば

2010-03-22 22:58:36 | むかしばなし
さしばという 鷹
もう
日本に帰ってきたのだろうか

豊橋では 9月上昇気流がおきるとき 多くの鷹があつまって
ニューギニアのほうに 旅をはじめるのだと 聞いたことがある

芭蕉の句に
鷹一つ みつけてうれし
      伊良湖崎
と うたわれている

主人が今日は 親戚で この鷹の渡りに 夢中になっていた人の
話をしてくれた

たとえ 渡りの時期をのがしても
芭蕉に共感されて 句になった 鷹がいたことになる

 



参勤交代

2010-03-20 08:01:49 | むかしばなし
徳川さまの時代
社会科の歴史の勉強で 参勤交代の話は 聞いてはいた
でも なぜ そんなことをしたのか
諸大名いじめで 戦力をそぐためのように かんじていた

でも
戦争をせず お互いを理解しあうためには
絶対 顔をつきあわせなければ 書面や聞きづてでは
誤解を招く とくに 利害がからめば 
真意を伝えることは なかなかむずかしい

参勤交代に 学ぶべきは
人の面会には 行間が あり
実際に対面して 話をはじめなければ 
ならないということなのだろう 

市民病院の跡地

2010-03-20 05:56:02 | Weblog
最近病院の統合や移転で
跡地ができる でも 
跡地はうまく利用できないことが多いのでは
理由は知らないが
稲沢市は できたら矢合の庭木を使った 
日本庭園の展示場にしてほしいな

わたしでは 購入できないだろうけど
不動産屋さんなら できるんだろう
くやしい

なぜって
駅前で 日本一の植木の産地がアピールできれば
きっと 国府宮神社は 生き生きして
通年にわったって 韓国中国のお金持ち人が
きてくれるだろうし
商店街は 土産物屋でにぎわう

マンションや宅地は 維持経費がかかるけど
長年育ててくれた ご先祖さまの 立派な庭木で
日本らしい商品を 見せて住民も楽しんで 
 また 育てていく活力になる
 

それにしても
今年の桜は 胸が痛む
咲きさがえすれば 何も感じない 悲しむさくらのすがたが
読み取れないなだろうか
矢合の植木ももう ごみになっちゃうのかと思うと
年をとっても 店頭で植木をわけてくれる 
おばちゃんが 気の毒だ
京都の庭に使う庭木 名古屋で使う庭木は
家んとこさ 庭木でねーの ねー

岡崎の和泉屋さん

2010-03-15 17:25:26 | お出かけ
息子が結婚式によばれ
まだ 精神的に安定していなかったので
暇だった私は つきあって 一日式場のある岡崎で過ごすことにした。

別に 世話が あるわけでは ないのだが そばに待機してくれるだけで
安心だというので 結婚式場のそばで ぶらぶら過ごした。

それが生まれ故郷を再認識することになった。

生まれたばかりのころ
父と母は 岡崎に住んでいた
小さな家で 今もその家が あるというが 姉が幼くして亡くなったので
家族にとって思い出したくない場所になっていたらしい

五十年まともに歩いたことがなかったが
懐かしいものだった
姉が父と入浴した お風呂屋さんも健在だったし
昭和のにおいのする家が 結構残っていた
旭軒のお菓子を購入し
昼は すし屋で 握りずしをいただいた
なにより いずみやさんの 栗おこわ
このおやつは
格別おいしかった

かごた公園近接のカフェで
編み物をしながら 休憩し長い時間いた

と 貧しくて人がひしめきあっていた
戦後の風景と 父の匂いが なぜかしてきた

岡崎といえば 矢作川
徳川さんの おかげなのか
河川敷が 広く
住居は 川岸から意外と はなれている

乙川には 白鳥が飼われているのか
ほかにも 水鳥がやってくる
ことしあたりは 住民が植えたさくらが
咲き始めるだろうか




ダムのイワツバメ

2010-03-14 15:15:12 | むかしばなし
鳳来町にすむ
ふくろうのようなおばあちゃんが 親戚にいる

大きな昔ながらの家で
大きな畑が 家の建物から 川までつづいていて
家を磨き 食事の支度をし おやつの支度をし
朝早くから 働きつづけ 立派な家を維持していた

訪ねたとき
玄関の生け花の見事さに
いつも 涙が零れ落ちた

その伴侶が亡くなられ
葬儀に行った折
偶然行き着いたのが 宇連ダムだった

6月だったろうか

行きかうイワツバメを 眺めながら
姑と時間を潰していた
すると
姑が傍らで 話をはじめた

むかし おじいさんが 村長だったころ
水を引くために このダムの村長さんと
話し合いをしたことが あったと いっとったなー

イワツバメは しきりに飛び交って
子育てまっさかりだった

この
山奥から 田原の平野まで
しっかりとした道筋で 水路をつくり
雨水をためて生活する難儀から
キャベツを毎年全国に出荷するようになった
そうなんだ
大変な灌漑事業をしてきたからこそ
あった 田原の町
いまは 車の生産がおこなわれている


姑の父は学校の先生だった
先生より 実家の畑の仕事が優先だったという

自分の故郷 自分の家を守ることを
大切にされた人が 昔 おられての
しあわせということに なるのだろう