楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

やってきた人生の終盤

2019-08-29 22:52:33 | 日本文化
地方の病院で勤務してきた主人が 退職して海外旅行を終えると どうもやせてしまいました。
腰痛が長く 基本の健康診断はしてきていたのですが 気になったので
こんなに腰痛が長いのは すい臓がんか 腎結石かとおもうからと 脅して
腹部超音波検査を自分でしてみるよう 勧めました。
すると 左腹部でリンパがおおきく腫れているとのこと ガーン。
突然 人生の終盤が迫ってきた感じです。
子供も育てたし やるべき仕事はしてきたし 楽しみも苦しみも味わってきた身に
来るべき時期がやってきたのです。
5年生存をめざして 頑張ってくれるそうですから それを信じて
まずは 生活改善をしてもらうよう のこされた日々をさらに 磨きをかけていきたいと 思うようになったというわけです。
今日は暑かったのですが 
久しぶりに畑に出かけました。主人の病院通いについていた間に 草が腰までのびて オクラも茄子も スイカも瓜も埋まっていました。
そのたくましさと 胸のすくような成長ぶりに 雨上がりの土で抜きやすかったので 格闘してきました。土いじりは 自分を強くしてくれるようです。
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帽子

2019-08-22 23:09:35 | 日本文化
暑い夏の農作業 かかせないのは帽子です。
女性用は つばが小さく 男性用の麦わら帽子を お安く購入しました。
でも どうもかわいくない。
そこで つばの部分と 頭頂部分をリッパーで 縫い目を部分的に切り離し
つばの部分に 古い布の帽子の頭頂部分をぬいつけました。
上からサーモンピンクのスカーフを縫い付け お気に入りの帽子に仕上がりました。

調子に乗って 頭頂部分に つけるものを考えました。
紙のクラフト糸で 小さなつばの部分を編み 縫いつけると 息子曰く
東南アジアの踊り子のようだとのこと うーんもう一練りします。

クラフト糸を購入したついでに 小さな帽子も編みました。
布帽子の裏地が残っているので 紐をつけ 取り外しできる裏地付きの
クラフト編み帽子に 頭のおおきさを 微調整できるよう 頭の周囲に網穴を連ねて ガーゼのリボンを通しました。
これで 汗をかいたら 裏地がはずせて洗え リボンも外して洗える帽子になります。 素材を変えて 形も変えて いろいろ作りたくなってきました。
悩み事は 棚上げして 手仕事して楽しむ時間を作ることにします。



 
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戦前の仕組み

2019-08-21 06:05:14 | 日本文化
今も家庭の中にも 社会の中にも 人としての在り方として
男尊女卑とおもわれる判断や 天皇制を重んじる心は 根付いて気が付かない形で 残っているように思うのです。
私の父は 戦争期の話を私にしてくれたことは 一度もなく 民主国家として教育はどうあるべきかを 真面目にかんがえて 戦後の英語教育を高校教師としてすごしていたようでした。

戦時期 陸軍に所属するも 検閲でなのか理由あって 韓国に人たちと軍隊を共に過ごしたそうです。何が理由か知りません。
それは 母から聞いた話で 家族には 聞いた聞いた繰り返すなといわれる話です。非国民国賊といわれ 上官の靴を なめて磨けと 命令を受けたりしたということを 一度だけ聞いたことがあるのです。
軍医だった父の兄が帰らぬ人となり 父が故郷に帰った時は おまえが帰ってきたのかと 残念がられたとも。
この 戦えずして餓死した国民を忘れ 正義なき理不尽な戦いをしていた事実を
ごまかしてはいけないと おもうのです。
誰しも母の膝に抱かれ 誰しも乳を飲んですごしたことがあるはずで それが継続できない愛のない国に なってはならないはずで。
もう こんな話はしないですむとおもっていましたが
天皇に関する報道を連日して とても不安です。
 非国民国賊と称して軍隊で国で何をしでかしてきたのかを 知らなければならない時期にきているのかもしれません。
歴史教育で 韓国の人がうける認識と 日本の認識は すり合わされているのでしょうか。イギリスの植民地支配の責任は どうなっていたのでしょう。

暴言や暴力で政治をしてはいけなくて 粘り強く
理不尽を棚上げして
現実の人々の心の愛を 紡いでいくのが 
政治の目的なのではないでしょうか。

天皇の考えていたことを蒸し返すのであれば 国民がどう間違った方向に向かったのかも しっかりもっと蒸し返さねばなりません。
憲法改正を目的に 情報を傾けては 亡くなった天皇万歳と散っていった人の犠牲を 無駄にしてしまいます。
祈るような気持ちで 指導者にお願いしたいのです。
あなたの息子が 渦中にいるとおもって ことを決めていただきたのです。
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原子爆弾の本質

2019-08-18 11:05:26 | 日本文化
原子爆弾の本質は おおきな威力のある殺傷力のある爆弾ではないと思うのです。
原子爆弾を放出すれば 大地は死に 空は汚染され 放射能の黒い雨を降らし
その後 1000年以上 生物が苦しみ続ける地と化す 所有していても意味のなを弾ですよね。
一主婦でもそんなことぐらい 理解できるのに 国のえらい方々の認識は 教養は
どうなっているのでしょう。
そして 国の統制は 善をもってなされるべきで 善とは人を殺めない 互いの共助をもって その先の未来を希求するべきものでしょう。
それを 主張の違いを 話し合いで解決せず 武力や権力で一方的に決定すると
弱いもの 小さなもの 大切な生き物としての多様性を失い 資源を食い尽くし
気が付けば 地球は生き物の住めない星になりかねません。

本当の教養をもって 国 地球の統制を取るべき立場の 各国党首にお願いしたいものですね。
よく世間を観察し よく多くの人の声を聴き 正しき道を念じ 国の行方を導いていただきたいものです。
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お盆

2019-08-13 05:56:57 | 日本文化
家族で迎えるお盆の行事も あまり集まれなくなっているやもしれません。
家族で 迎え火を焚き お団子を供えて お盆の三日間 ご先祖様とすごすというのが 家の習わしでした。
毎年していることを し続けてほしいと 姑に切願されているのですが
家のなかから あれが消えてるとか 家のことを何もしてくれないとか
ことあるごとに言われては 一緒にすごせません。

自分の物が移動しても不安で人のせいにしたいのに どうやって一緒に過ごすのかお聞きしたい。
さらに 自分の人生の不満を 嫁にぶつけたいのか 責めご託がエスカレートして始まってしまいます。
いままで 病気で困れば 入院から退院まで 寝間着から支払いまで 5度にわたって面倒見てきたし 
お金に困ったことあれば 100万まで 急に用立てたことも 二 三度はあり ご先祖の年忌とて 引きものを用意しても ご仏前はいただけずでした。
もう 忘れたはずでしたが 責め立てられると むらむら思い出すから情けない。

二世帯住宅のローンの半分は 住めなかった時期も支払って 長年電気代は入れてきました。 今や固定資産税も払っています。でも 
姑の ご不満は 自分のしている通りに してくれないことで
もう 正常な判断が つかなくなっているというわけです。

主人が頼みの姑ですが まずは 棚上げして まいりましょうか。

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年を取ると

2019-08-08 22:13:54 | 日本文化
年を取ると認知症になるといいますが 良い年の取り方をすれば 機能が衰えることを受け入れ 毎日の決まった生活を維持することが 出来るかもしれません。

主人の病気が発覚して 92歳になる姑は 決まって主人が不安定な日に 電話をしてきます。
理解の機能がおとろえて 忘れやすくなっていても 子を思う気持ちは本能のようにわいてくるのか どんな様子か聞いてきます。
病院に検査に行った時も 電話があり 不安そうな声で容態をきいてきました。

偶然キャンセルの入った検査を 飛び込みでうけることが できました。
母の思いが呼び寄せたようでした。
毎日 仏さまをお参りして 墓の掃除をして落ち着くようです。
決まった時間に食事をし 庭掃除をし 生活の維持ができています。
年老いても 維持できる生活リズムは 崩さないほうがいいようです。

主人のかわりに 一人暮らしの母を訪ねると ガラス戸がこわれてました。
二人で障子に張り替えるとうれしそうだったのですが。
何かがなくなって 私が持っていいたからだと いつもの攻撃が
始まりました。
お義母さんには 三人の立派な息子が元気で活躍して 物はなくてもいいじゃないあきらめな。と 言ってしまいました。
不満そうでしたが 今日はそこで とまりました。

寂しさや 自分の状況を変えることは いくつになっても 難しいことなのですね。
今目の前にあるものが 見えないほど 記憶にとらわれて ないことだけが見えてる。してもらえることや してもらったことが 消えるほどなのです。
きっと もう ほしいものなどない 物は
なくてもいいとあきらめられると 目の前がみえるようになりたくさんのものが見え
かたずけもできるようになるのでは と 楽しみにすることにします。


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心の数珠

2019-08-06 04:41:56 | 日本文化
20代で 主人が 大好きで結婚したはずでしたが 姑の子供っぽさに これは難関だと呆然とした記憶があります。
新婚旅行を終え 家族そろっての食事の後 姑と洗い上げをしました。
そこで 発した姑のセリフが
あなたは ひつじ年生まれだから 家族を失う運勢が危惧される。
ところが お姉さんを失ってるから そうじゃないかもしれない。
そんな 内容でした。
驚いたけれども 人の人生は 見える景色がそれぞれ 味わう辛さによって 感じ方は違うものです。
家は 子供を失うことが いかに突然で はかなくて 母親がどうなるのか
姉を小学校一年で 突然日本脳炎で失っていたので 味わい尽くしていたといっても いいかもしれません。
でも それを人から見れば たいしたことでは ないかもしれないと思いましたし
いや 自分の親に 注ぎたい愛を心掛ければ いつか自分と心の数珠がつながる日が やってくると 信じようと 覚悟したものです。
当時の姑の年齢に達し 主人が命の危機に面して やっとその願いが叶うかもしれません。でも きれた大きな意味での家族の数珠は いまだ 姑の幼さで
切れたままのなっています。
人生の景色は 人それぞれ違いますが 人のこころの景色を おもんばかって
その数珠を共感でつなぎ つらい苦難も耐えうるものにしようというのが ブッタ様の教えなのではと 勝手に子供のころから 決め込んでいました。
勘違いかもしれませんが まんざらでもありません。
病気にならぬように そんな願いはかないません。
死なないように その願いもかないません。
ならば この世で心の数珠をつなぎ つらいことも耐える手立てをしましょうか。
姑が知らずに見失っていた数珠の紐 一つでもこの世にあるうちに
繋ぎたい そう 思い始めています。
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