楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

あたらしい環境

2019-04-05 16:27:59 | むかしばなし
新たな人生のスタートを切り 期待に胸膨らむ人も多いことだと思います。
主婦を本業としてきたので 何をのんきなと叱られそうですが 
参考までに聞いておいてほしいことがあります。

仕事や学校 新たな環境で叱られたとき
折れそうな状況になったとき

耐えて継続すべきか 撤退して断念すべきか

考える事態がおきたら
叱られたのは 今後のためかどうか イエスなら 2年は継続 ノーなら次の展開をイメージして断念
そんなふうに考えてもいいと思うのです。

いまや 勉学はいつからでもできますし 意欲を持てば 方法はあるはずです。 
仕事も 命を失ってまでしがみついても 事業を廃業されることもあります。
終身雇用の時代ではなく 自分がまず第一です。

期待通りの展開になりにくいのが 人生ですが
転落したようでも よく事態をとらえれば 何か良いきっかけとなることもあるものです。

理不尽なことには我慢せず よく自分を他人のような目で捉えなおして
楽しい人生を送りたいものです。
   

おおきく変わる節目

2019-03-10 22:47:42 | むかしばなし

平成のおわる その時に主人は定年で長年勤めてきた地方病院を退職します。

おもえば 最も外科医が過酷な時代を よくぞ無事に最後の患者さんの手術を

終えることができたと 胸をなでおろしています。

 

研修医として一日に処方箋が3000枚を超える地方病院で外科医をめざしはじめました。

地方研修7年の間に 年300ほどの手術記事を書いていたようにおもいます。

一週間帰らぬ日も多かったです。

患者さんも 過酷を極めた時代で 癌などは大きな創で予後の管理も大変でした。

大学病院で博士論文を目指すころは 研究のための実験時間も長く

アルバイト先の病院勤務や ICUの仕事も連立してあり 

明日は倒れてくるのではと 心配したものです。

 

地方病院を転々し 退職してあくる日には次の病院に赴任していました。

体も精神もよくもった。

年休はとったことが あまりないかもしれません。

50歳を超えて 腹腔鏡下手術となり 顕微鏡下の手術となったために

今日定年を迎えるまで仕事ができ まさしく外科医を全うしてくれたと

手前味噌ですが 傍にいられた幸せをかみしめています。

 

これからも 仕事をしてゆく手はずになっていますが

この平成のおわりに 定年退職という仕事終わりを区切ることができたのも

粘りずよく 急がず 手を抜かず仕事してきたご褒美のような気がしています。

 

外科の夜明けという小説本を二人でよみふけった若き日を はじめてふりかえっています。

患者さんが 寿命を全うしようとする力がなければ 手術も役立ちません。

外科手術の進化も 医者だけが積み上げたものではなく

おおくの苦しんだ先人あっての進化であることも 忘れてはならないことでしょう。

さらに よい医療が誰しも受けられるよう良い時代となるよう

願ってやみません。

  

 

 


チャーミングに自分をだます

2019-02-09 16:02:57 | むかしばなし

以前 NHKの特集で ターシャデューダが 画用紙が見つからないとき

私は何かを隠す天才なの。そうつぶやいていました。

60歳のわたしも 何を探していたのかさえ忘れることがあります。

90歳ともなる姑は 探し物が増えています。

年を取り 情けないと思いがちでした。

 

でも なくしものをしても 物を隠す天才になったといえば 

なんとチャーミングなのだろうと思ったのです。

 

画用紙がなくなって いらいらしてるのは 同じでしょうけれど

画用紙を何処においたのかしら ない ない と言うよりも

なくしちゃう天才なんだからと聞けば

聞く人も 表現する自分も 癒されます。

物忘れしたところで なにも いらいらすることでも

残念がることでもありません。

 

ターシャさんのように 普段から 子供に絵本を用意するということは

できないことを 楽しむ

不足なことを 不満としない

そんな訓練になるのかもしれません。

 

学校では できることがいいことで 理解するのが目標で

立派に静かに すごせることが ほめられべきこととなりがちですが

そのまま 大人になると 間違ってしまう気がします。

 

実は しようとする意欲もち 現状や結果を見つめられる姿が 立派なのでは

ないでしょうか。そのためには チャーミングな発想はとても役立ちそうです。

こんな風に 見えるわ それも素敵なことね。というわけです。

 

子供に 良かれと思うあまり 負の暴言を思いついてしまいがちです。

ましてや 責め立てたり 追いつめたりしていては 人生を改善していけません。

距離を置いてながめて 本当のことをさがさなければなりません。

私は子育てで 周りの人に助けてもらうことを 恥ずべきでないことを学んだ気がします。

 

心理学を学んだ人とか

精神医療に携わる人に 相談するのも よいのかもしれません。

 

 

 

 


命を知る

2019-02-03 01:50:50 | むかしばなし

舅は釣りが好きで 80歳までは 毎日のように魚を釣りに出かけていたようでした。

冬はボラを埋め立ての橋から ブラをつけて投げ釣り

河口の石積を小さな竿で探る うなぎ

春は こませで呼び寄せる 鯵釣り

友人と船を出して メバル カニを板に張り付けて釣るタコ

季節でかわる釣りの エサ取りから 仕掛けつくりと熱心でした。

当時 舅が60歳の時 私は結婚したてで ともに一つ屋根の下でくらしていました。

子育て中の私は 毎日釣りあげた魚を 娘が2歳ごろから 子供イスに座らせて 

共に 舅が魚を料理するところを見ていました。

 

あきない遊びの時間として 本物の魚の調理時間が毎日のイベントでした。

ぴちぴち跳ねる魚をまな板に載せ 刺身に仕上げ その日の料理になります。

刺身を前日のものか 今日のものか区別ができなければ 娘の口にいれれば前日のものは吐き出すのですぐわかるほど毎日でした。

さらに 出たアラは 庭に出て猫の餌やりに使うのです。

子供と一緒に猫を呼び寄せて 猫がおいしそうに食べ喜ぶ姿を眺めるのです。

なんの説明もなく続く 毎日魚の料理だけれど 毎日違うイベントでした。

 3歳になるころには 生きたウナギをまな板に載せる係は 娘でした。

ちいさなやさしいタッチは ウナギも警戒せず おとなしくまな板に乗るというわけです。

 

その日々は 私の子供にとって おおきい財産になりました。

 命に対して何の疑問もなく教わることも叱られることもなく 真摯に 静かに向き合うようになっていたのではと思い起こしています。

 ありがたかったと 今魚の料理をしていると 思い出すことがあります。

 

医師の入学試験の現役男子優先の記事を見て

活き魚の調理を試験にすれば 医師に向くか向かぬかすぐ判定できるのではと

妄想したりもしています。

言葉で説明するよりも 人は生き物を口にしている 命をいただいているということを

体で知っているということは 大事なことではないでしょうか。

 勇気と覚悟が 命を扱う人には必要な気がしてなりません。

 

子供の時から 命あるものの営みと親しみ 毎日格闘して食している食材があることを

活き魚の料理教室は教えてくれていたようです。

 


心の棚

2019-01-29 11:32:58 | むかしばなし

親であることは 学校の勉強のように結果が出ず 連続した時間に心が埋もれ

状況が見えなくなることも多いものです。

自分でさえ 理に基づいて心を把握できないのに 子供は別の人格ですから 所作や反応をみても理解不能なことも 多いものです。

30歳すぎまで 人格の形成にかかわればよく 慌てることはないと 自分に言い聞かせていても

子供の できないことは気になり 良い結果 自分の期待に応えてくれる状況を 求めがちです。忍耐と観察力洞察力がいりますね。

厄介な子育てですが おかげさまで 一時預かりの心の棚を設けて 時折

自分が気分の良いときに整理する そんなくせがつきました。

 

自分ができないことや 避けたいことは 意外に瞬時に決まっているものです。

私は 大学で薬理学の実験をしたとき どうしても動物に感情移入してしまうので

薬学を進まず病院勤務を目指すことにしたものです。

 

結婚した時も 主人にしっかり働いてもらうため 自分が働くのをきっぱりあきらめました。

きっぱり決まり 一度も後悔したことはありません。

 

自分が壊れてしまいそうなことは 何をおいても避ける必要があります。実は すぐ決まっているんです。

 

 でも 長い主婦生活で 社会で認めてもらえない感じは 結構鬱々としました。

社会参加したい気持ちとか

誰かに協力してもらう方策とか 心に何度も浮かぶ欲は 

棚を設けて 時折自分の状況を眺めまわして 徐々にできることを探して決めてきました。

 

子供が6歳になるまでは 将来の不安と 現状の不満とで よく図書館で教育書 育児書を何故かひそかに読みあさったものです。でも答えてくれる書は ありませんでした。子育てに正解はないんですね。

読みあさって拾った知識は 生涯の人格形成の核になる体験が 子供には必要だということでした。

まったくつらい思いをしたことがなければ 想像することすらできぬのだから 言葉で説明しても 無理だということでしょうか。

命をおとさず 良い体験ができるよう 祈るしかありませんでした。

 

小学高学年になれば 子供のやりたいことが 見つかるのか 判断を誤っていないか はらはらしたものです。

 

そんなとき

舅から学んだのが 親である覚悟だったようにおもいます。

ダメな子でも いい。 いやなことは 親子で避ければいい。

親は 黙ってもくもくと 生きればよい。といった感じでしょうか。

打って出るべき親の出番を 舅は逃さない人だったようにおもいます。

さらに 困りごとを心の棚に預けて のらりくらり過ごし

好転する機会を待つ そんなことを 今も教わってる気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 


ベルマーク

2019-01-20 22:26:25 | むかしばなし

孫ができ 娘夫婦が豊橋で宿泊し 新幹線の遅れで利用した

ココニコという子育て支援施設。

今年は 婆ばも参加してきました。

ココニコは 質の良い遊具で 親も子もたのしめ 料金格安なのが すばらしいです。

こんなところが千葉にあれば 毎日行くというのが 娘の談です。

 

そこで目にしたのが ベルマークを集める箱です。

私が子供のころ 昭和40年でしょうか

学校の児童会活動で たくさんのベルマークを企業ごとの集計用紙に一枚一枚貼り

トータル計算して送付していたことを思い出しました。

目標達成して備品をもらったような気がします。

チリも積もれば山となる そう実感したものです。

 

マヨネーズや菓子など 今もマークがついていることは認識していましたが

自分の子供たちの育った学校では 集めている様子はありませんでした。

助かったといえば そうなんです。

 

もう少し あたらしい方法で効率よく点数を集められれば 再燃するかもしれません。

協賛してくれている企業は今でも結構たくさんあるようなので

子供たちの役に立つ運用ができるはずです。

時間のある年寄りが協力すれば 児童会とかの運営にも役立つかもしれません。

 忙しい父兄が増えて ベルマークを貼る作業など無理でしょうから

 

ロットと期限と バーコードとマークを 購入時のお店で寄付をできるようにする。

個人が希望の教育団体に協力する申請で 寄付できるような仕組みにすれば

すごいお金が集まるかもしれません。

道路や橋 ビルに 使わないで

 子供たちのためだけにつかえるお金は

貴重だとおもうんですよね。たしか 児童館たりない 国のお金もないんですよね。

 

さっそくできることから

 こつこつベルマークを集めて ココニコに協力しようと思います。

 

 

 


90歳でもスマホ

2019-01-15 22:35:37 | むかしばなし

最近はパネルで注文するお店が増え 90歳になる母は残念がっています。

若い人でないと できないとか言って 悔しいらしいです。

私も やればできるんだから と言いつつ

待って やらせてあげればよいのに 自分も画面が見にくいと 注文しずらいので

つい どんどん注文をすすめてしまうのです。

 

以前から 90歳になっても クックパットとかの 料理の検索がうらやましく あたらしいスマホが持ってみたいらしいのです。

 孫に頼むにも若い人には年寄りにつきあう時間がなく スマホが電話として自分が使えないと困ると スマホ切り替えを あきらめているようでした。

 

ところが ガラ携帯が古くなり 電池が消耗してすぐ電池切れを起こしてきました。

 新たに同じ携帯を購入すると随分安い運用ができるというのです。

で とりあえずガラ携帯を新しいもので所有して 

さらにスマホをパソコンとして購入したら いつでもサポートしてもらえて使えるようになるかも。

というのです。

ちょっと考えたら 忙しい電話会社に つきあってもらえるか、とも思いますが 

とにかく意欲と したたかな考えに驚きます。 

聞かれる立場になると 気の毒な気もしています。

 自分が90歳で できる状態ですごせるか疑問です。

 

 


新しい炊飯器

2019-01-13 08:56:47 | むかしばなし

サンヨーの炊飯器を使ってきましたが もう修理はできないし

お米の立ち上がりがなくなり 買い替え時期かと思っていました。

 このところ家電量販店では高値の炊飯器が並んで かといって

2年で買い替えることになる炊飯器も残念でと迷っていたのですが

少しその中間と思える商品が並んでいたので 購入することにしました。

 

娘は徹底的に検討して 長く使える良い商品を購入しています。

私にはそんな能力はなく 時代が必ず以前より驚くほど良いものになってきた時代でした。

なんとなく買っても残念に思ったことはありませんでした。

 

でも最近5年ほどは 残念なきもちになることが多くなっています。

まだ 購入したばかりでわかりませんが

 炊飯器なのに 玄米 発芽米 雑穀米の炊飯機能が 別途用意されていません。

 

基本は同じなので 良いのかもしれませんが えーって

 

炊飯器の底は 丸くなっていることが多く コメの対流をうながすためだと思ってきましたが

フラットに 熱が多く当たるようになっています。

これも 吉なのでしょうか。

 

炊飯器を購入するにあたり お店のひとに聞いたのですが

まさか そんなに機能が削除されているとは思わず 

見た目でかってしまいました。

 

またしても ドジを踏んだと 思っちゃっています。

グローバルって こういうことなんですね。

 

 


庭に蛇

2019-01-11 16:13:59 | むかしばなし

暖かいのか  お隣の庭から我が家の溝への排水口から きょっこり

太さ1.5㎝ 長さ30㎝ほどのちいさな茶色のへびが テヘへってな顔をして出てきました。

蛇は大の苦手ですが小さかったので出てこないよう まわりの植物を抜いておきました。

子供のころ 夏は草むらが深く 蛇とは知らず尾を踏んで 足にとぐろをまいて絡まれたことがあるんです。蛇も驚いたでしょうが 飛び上がって家にかけこみ外してもらった。

咬まれずにすんだことが 不思議です。

 

庭に皿と排水口のゴムの蓋で目玉のように置いているのですが

鳶やカラスが来ない効果があるようです。

ちいさな小鳥が花の種を安心して食べに来ていたのですが その卵を食べるのでしょうか

蛇がでるとは 残念な。蛇も卵をどこかで産んだとなれば まだ他にも存在するわけです。

わずかな人間のすきまに 生活して生き延びているとは驚きです。

毎日猫が通るのですが 働いてもらえると助かります。

 

 


きれいって どんな状態

2019-01-10 01:25:36 | むかしばなし

内海のちいさな漁村で育ったのですが 

子供のころは 伊勢湾台風後 できたばかりの堤防に波けしの石が海側に並び

大量の生活ごみが山になっていたものです。

そのごみの山を越え ぬかるみの泥場を超え 砂浜に出て アサリを拾ったものです。

今では ごみの山はなくなり 多くの水鳥が休んでいますが

シオマネキは全く見かけなくなり やどかりも見かけず うなぎも取れなくなりました。

 

今日は 裏の家の3mもあった垣根が整理され さっぱりしました。

そのため ヤマガラも ヒヨドリも ミソソザイも 大騒ぎです。

ねぐらにしていた林の様だった垣根が 無くなったからです。

明日からは ちちっと口を鳴らしても 寄ってくる鳥はいないでしょう。

環境の急変に住処を失う動物は 大変です。

それは 人間からすれば さっぱりしているほうがいいのでしょうが

どこにも決まった住居のない動物は 死んで逝くしかないですね。

考えると 昔は 汚いようだけれど 多くの動物をかかえて人が住んでいて

地球全体からすると どうだったんだろうかと 思い起こしています。

動物の営みが 土をつくり 植物を育てるわけで

動物を全く排除してしまうと ぱさぱさの土になり 植物は減り 砂漠のようになるわけで

現に 30年前コンクリートで立てた家は 水回りで大きく土が崩れ 取り壊している家が多くあるようです。 

草も生えぬということが きれいということなのだろうか。

きれいって どういうことなんだろう。