楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

ジェネレーションギャップ

2012-05-30 12:02:58 | あったらいいな
最近息子に 話をしてもらうことがある。

水道工事のおじさんが 息子が壊したトイレを治しに来てくれた。 

その際
昔 水道屋のおじさんが仕事に就いた時には
一代 この仕事でご飯を食べていくという覚悟で始めた。
どうも 若い人はその覚悟をもっていない。
仕事に就いてもらって説明する立場になったが
どうもうまくいかん。
この仕事は ほんの足ががりで 聞く態度も浮足だっており
説明したところで 直にやめてしまう。
と言われた。

というのである。

何度かその話を聞いているうちに
実は
どちらも悪いわけではなく 真剣だからこそ
起きていることなのではないかと
思うようになった。

教える立場のおじさんが 仕事に就いたころは
水道工事は ばらばらのねじを 必要な場所に 必要な量用意する。
長いパイプを 寸法を測って切りそろえ つなぐのは 溶接作業。
時間のかかる作業だが オリジナル作品だった。
真剣に覚えねば 一つも進まぬ。

最近は工具も便利 接着も便利 キット化した製品を取り付けるとか
自分を表現したり オリジナルを求められることよりも
確実に落ちなく作業することが求められ 誰でも簡単にできることのほうが多いはすだ。

そうなると この誰でもできる作業を一生をかけて出来るかというと
大学までいって オリジナルを求められてきたひとが
はたして真剣にできるだろうか。
一生をかけるからこそ 逃げ腰にならざるを得ない。

百里の道も一歩からといわれても
いろいろ工夫がいる作業は 百歩先も工夫がいるように映る。
ところが 簡単なキットを確実に取り付けるだけなら
誰でもできる作業が 百歩先も続くようにうつる。

ところが
一歩づつ工夫を重ねてできたものも 
どうしてそうなったかの理由がみえないと
理解されず 工夫は見えないものとなり 更新時のころには
なかったことになってしまう。
おじさんには 確実にしなければならない作業が見えても
教わる立場には見えないことになる。
どちらも 真剣なのに伝わらないといったところなのだろう。

どうすればこのギャップを埋めることができるかといえば
オリジナルな発見ではないだろうか。
わかいひとたちが 知らぬまま失敗をし 
その失敗を許して 見守る。
 そうか 失敗しないように
キットにはそんな工夫があったのかと気づくまで見守る。

失敗や稚拙をおおらかに許して 
製品を生み出す人間を育てるのは机の上だけではない。
百歩の道は常に工夫と努力が求められる素敵な道だと
みえるようにしてあげることではないだろうか。 
昔の人は 悪さも程度で許し しかるべきは叱るがあきらめず
おおらかに子育てし
丁稚奉公させてきたのではないだろうか。

子育ては 祈りと我慢の連続なので どうか
ジェネレーションギャップを埋めて 
若い人たちが 遠い先がオリジナルだと見えるよう
のびのび仕事をするまで
育てていってもらいたい。
男も女も年寄りも子供も いつどんな発見とオリジナルが
やってくるかも 人生わからないからね。


つばめ

2012-05-30 05:48:03 | 菜園
四月になると 燕が日本に帰ってくる。
軒先で 巣をつくり 田の上を繰り返し飛んでは虫をあつめ
絶好のコンビネーションで 3羽から5羽の子供たちが
長年巣立ってきた。

当たり前だった風景は 
めっきり燕の数も減って
もうなくなりつつある気がしている。

近年 たくましいツバメたちは
ガソリンスタンドのコックピットで
夜遅くに舞って 少ない餌を効率をあげて集めている。

不思議なことに ガソリンスタンドなのだ。
人がやさしいから それもあるのだろう。

電線を避け ビルの谷間を縫い 電気の傘の上に巣を設けて
コンパクトにやせた燕が 危険を顧みず子育てをする。
この時代も日本に
来てくれて子育てをしている。

いつぞやの4月18日の夜だっただろうか。
私は息子と温泉のやどで 人生の
話をしていると 
巣を作りに戻ってきた燕も 夜な夜な
くちゅくちゅと なきあって
体を暖めあっていた。

夫婦になろうとか 長い旅路だったとか
そんな会話に聞こえた。

昔は障子でそんな会話も聞かされながら
夜長過ごした。
そんな日本の先祖たちだったのだろう。



電話

2012-05-30 05:33:31 | むかしばなし
三十年前になろうか。
私は引っ越し時に自宅に電話を設けるため
NTTに債権を購入しに行った。
七万ほどだっただろうか。

再度子供たちが大人になって大学入学時
そして主人の単身赴任のため
電話を引いてお互いインターネットでつながりたい
そのために
債権をNTTではない業者から 購入した。
もう3万だったり 1万5千円だった。

ところが 5回目の引っ越しのころには
NTT債権なるものは 自然消滅していた。

怒りや憤りを感じていても ぶつける先もなかった。
そうか 時代かーと。

ところで このたび大量の電話がながされてしまったけれども
自宅に電話を引く人は IP電話か 携帯のみかということに

で 通信機能がパンクしないのだろうか
省エネなんだろうか。
古きよきものに のっかって今があったことが
この震災で あきらかになっていくのだろうか。




子供の記憶

2012-05-22 07:37:07 | むかしばなし
むかし 子供というのはすぐに忘れてしまうものだ。
と いわれていた。
よーくおだましと称して 泣く子の切り替えに
お菓子を手にさせたりもした記憶がある。
これは どうみてもいただけない。

子供の記憶は 体で感じて刷り込まれる
大人の記憶とは違うところで起きていて
大事にしないと いけないと思う。

自分のちいさなころの記憶をたどると
映像でしっかり 爺さんのしわから 牛のしっぽの触れる様子
道の草の生え方まで 浮かんでくる。

薪割り 水汲み おくどの世話 大人たちは 
日常にさかれる時間や手間が
ほんとうに多かった。
でも そのなかで子供にイメージとして焼きつく生活の知恵や工夫は
計り知れない。

先日孫娘のところで 日がな料理をして楽しんだ。
すると 孫娘は ママ事が 大発展して 
フライパンを返し
あれもこれも次々に料理するイメージを 再現して楽しんでいた。

生活で体得してイメージすることは
意外と小さいときに起きていて
小学4年生になるともう 遅いのかもしれない。
かわりに 言葉でイメージする
ところが 体得したイメージがないと
言葉とイメージがつながらない。
気が利かない大学生に お客さんがおみえですよと
何度も声かけしないと動けないのは
誰かが動いて自分がかかわる体得イメージがないから
無理もない話なのではと感じるのは 私ひとりだろうか。

三か月前 訪れたとき
楽しく遊んだ 積み木での電車ごっこや
ブランコ(ゆらりん) 急に思い出して
遊ぼうと誘われた。
小さくても以前遊んだことをはっきり覚えていて
続きをしようというのだ。 

生活の中で工夫することは 不自由だといっぱいある。
高いところから低い所に車を押せば楽でも 逆は大変だとか
小さな火から 大きな火にしていく方法だとか
体験しないとわからないことも多い。
電化時代の育児時期の脳は 昔の子供に比べて基本的な原始的な
水土火などのイメージ力の乏しい脳に
なるっているのかもしれない。

 

上水道

2012-05-22 07:15:12 | あったらいいな
先日また水の取り付け騒ぎが起きたという。
震災で原発事故で とかく飲み水の確保が 
ある時点で 突然必要になり ペットボトルの水が
幼児乳児を持つ家庭では死活問題なので 争奪戦がおきる。

原因がわからないという まーのんきな話で
今までも検出されていたのか 
数値がどれだけで どの程度判明しているのか
原発事故のときと同じような構図で 千葉県は朝から
パニック状態だったらしい。

都心に棲む娘は もう上水道のレベル分けをするしか 
基準値を守れないのではないか
とも こぼしていた。

でも これはある意味チャンスでもある。
水道に電気 これをセットで 効率よく小さな発電システムを盛り込んで
伝統ぐらいは 水力でつける。
安定的に流れる電流は 自治会で確保する。

よーく考えて 工夫する必要性が 水道の側にも
電気の側にもできたってこと。

もうひとつ 電気を消耗しないで通話ができる電話を
あまりにないがしろにしていないか
IP電話は 今までの電話より消費電力が大きいのではないのかしら。
で安いって 料金がおかしいから?


ド素人の主婦でも思いつくこと
賢い人は もうお商売を始めていることだろう。

でも本当は国が先頭でやってほしいかもしれない。
NTTの料金体系など疑問が多い。
電気料金だって疑問が多い。
一方的に取られるだけの商品だからなあ。

 
 

さくら

2012-05-08 08:32:41 | Weblog
寒い春だったせいもあって 今年の桜は長く楽しむことができた。
下手な写真だけれど 春日の五条川沿い土手の桜だ。
株間がしっかりとられていて 大きくなったときの桜をしっかりイメージして
植えられていたことが読み取れる。
このさくら 現役の土手
水を吸い 多くの生き物をはぐくみ ともに春を喜んでいる。

こうした長い目でみた河川の健康を享受できるのも
ひとえにご先祖様の知恵のおかげだ。

近年 植樹植樹と 金銭集めが横行しているけれども
古い木を無理やりなぎ倒し 株間1メートルでなにもかも植える
これで5年先には引っこ抜くか 切り倒すしかない。

私など 主婦で専門ではないから どう育てるのがよいのか 
知らない。
いらぬお世話だろうが それでも
神社仏閣の裏山に 
自生する木々があると表示しているのにもかかわらず
30センチおきに植えられた苗木を目にしていると
胸は痛み 驚きを隠せない。

お経を読み 祝詞をあげる人たちでさえ
自然に思いやる心を失って
金銭金銭になっている日本を 心配せずにはいられない。