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忘れてたけど忘れてなかった

2019-06-23 10:55:39 | 日本文化
子供のころ小学校の登校は 近所の集合場所に定時に男女別べつに集まり10人ほどの集団で登校したものです。お手玉したり まりつきしたり ゴム飛びしたり集合場所は遊びを教わる場でした。
そのお隣のお姉さんの兄さんに 昨日偶然声をかけらたのです。
2年学年が上の隣人の名前を この30年思い出すことはありませんでした。
ところが お世話になって遊んでもらった隣人のお兄さんの一声で お姉さんの名前を思い出したのです。何とかちゃんと。

人間の記憶というのはどう脳にしまわれているのか 不思議におもうことが よくあります。昔の自分の手芸作品や 父の若かりし日の写真で 急に忘れてたけど忘れてなかった風景や 過ごした時間の記憶がよみがえります。
つながりの紐が 記憶にもあるのかもしれません。

先日の養老先生とピアニスト山下さんの対談で
虫は音をどう認識しているのでしょうとかいう問いかけに もっとも あとくされのないコミュニケーション手段は 音だとか 養老先生は 言われました。
へーっと通り過ぎていましたが 面白いことかもしれないと思い始めています。
養老先生は ジャズ奏者に 僕はジャズは聞いてないとか さらに音はすぐ消えますからと 常識的には失礼な話から 対談が始まっていました。
はらはらしましたが 山下さんは懐がおおきく その後は 禅問答のようになっていました。
 いわれれば 音で記憶がよみがえるのは 作品になった曲のかたちでよみがえるけれども 自然の音では記憶はよみがえりにくいかもしれないと思いなおしました。
でも これも人によって大きく違うのかもしれません。

養老先生の 脳というのは 切り取って名前を付けると認識したとおもうらしいという話も 気になりました。多分それは養老先生だから だとも思いましたがね。
こどものころ 化学や社会で 何度も名前の説明を区別して繰り返し学ばされているとき 要するに何か本質をつかむことより 名前の説明を一字一句たがえず記憶することが先決なのかと ふてくされていたものです。
表現が違うとぺけですから。
言われると 学者という職業は その事象や存在に 名前をつけて人類の認識分類に フォルダーを作る仕事が大半をしめるようなのかもしれません。

一方 山下奏者は 消えてしまうはずの音を 消えない曲 きえない空間にするのが 仕事ということかもしれません。
そこには 曲の訴えかけが根源的であれば 深い記憶にあたいするものになるということになるのでしょうか。
もっとも安易に説明しがちなのが言語であり 
深いところで共感しにくいのが言語 
忘れられがちな音で訴える曲というものは 
その場においては最も深いところで共感できるけれども 
言語や音の規則性が心を揺さぶらないと
記憶しておくことが難しいとでも言えるのかもしれません。
NHKがむりやり進めたような対談でしたが 道を究めてきたことがよくわかる興味深い対談でした。
で 忘れてても 忘れてないことは 年を取って新たな認識を生み出すなにかに
なるようです。