楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

ケロちゃんコロちゃん

2013-02-26 21:18:39 | Weblog
私が娘時代 ケロちゃんという コーワ製薬のキャラクターの
人形を 薬を購入すると度々もらうことができた。

小児ストロフルスといわれ 蚊に刺されると おできによくなり
レスタミン興和軟膏を よく購入し 事なきを得ていた。
強力と長くなったものはトラブルが起き シンプルなほうが私はあっていた。
そして おまけで いただいては 可愛がっては 鉛筆のかすで真黒になるまで
連れ歩いていたのが
ケロちゃんだ。

このケロちゃんを文具に加えてテストを受けると成績がよく
大学を受験する時も 薬剤師の国家試験を受ける時も
卒業しても 自動車学校でも 子供を育てる時も
何かと 持ち歩いてきた。

このケロちゃんは もうお目見えしなくなっている。

そして お世話になったケロちゃんの会社の社長様の葬儀が
日泰寺で 執り行われるとも知らず 今日 日泰寺に出かけた。

偶然 ご機嫌伺いに出かけた日泰寺で このケロちゃんの会社の社長様に
ケロちゃんと共に歩いてきた人生の お礼を申し上げることができるとは
おもいもよらなかった。

水田で元気よく泳いで 虫取りをしてくれる 蛙のキャラクターに
これほどまで ご縁があったのかと 感心してしまった。

実は ジフェンヒドラミンの軟膏や レスタミンの服薬は
私を何度もアレルギー反応からすくってくれた。

ステロイドは 急場には必要な時もあるけれど
軽いときや 虫さされ程度のことならば こんなに役立つ薬はなかった。
その会社の社長様に 準備中のやわらかな日差しの日に
感謝のおまいりをすることができて よかったなあ。
実は 本当の葬儀は 明日ということだ。

通天閣の神様

2013-02-25 08:17:17 | Weblog
昨日でかけた 天王寺。
素通りしたのに目立ったのが 日曜なのに店が閉まり しまったままのシャッタ-。

すると 息子が寝る前に
いいところだったな 優しい日差しの町で
庭の手入れを楽しむオジサンがいて
天王寺の商店街に
盆栽を持って行って 売ったらどうなの?
という。

え-
って思ったけれど
意外と似合いそうだし
住友さまも 林業がお似合いのようで ご先祖様も喜んでくれそうだし
アジアの人たちは 盆栽が好きだし
マンションにすむと 盆栽は便利な癒しアイテムになる。

シャッタ-の上に 売れるともうれにともわからぬ盆栽を並べて
植栽談義すれば 仕事にあぶれた病気のひとも元気になるかもしれないし。

これ 自治体でお仕事作り 住友林業様に長く続けられるよう
お手伝いしてもらって
逞しかったビリケン神様も 落ち着きと
神様としての完成を目指しては
いかがかしら なんて思いつきました。

稲沢の 矢合の観音様と
意外と 天王寺の観音様 親戚かもしれません。

大阪市立美術館

2013-02-24 20:32:34 | Weblog
大阪市立美術館

シンプルに 日展だけを鑑賞しに 大阪まで出向きました。
初めておじゃましたのですが
昭和初期のたてもので 落ち着きがありなかなかおもしろい空間でした。

年配者ばかりが目立ちましたが これは お若い方にいもお勧めです。
日展が 若者の参加を 拒むのか 若者が見向きもしないのか
理由はわかりませんが 二十代は数えるほど
でも 年配者は いきいきしているようでした。

会場から抜け道で レストランにはいると 
意外やどのお料理も
かわったメニューはないのですが これがおいしかった。

東京の日展 名古屋の日展にはない 雰囲気があって
関西の面白いところなのでしょうね。

天気がよかったので 慶沢園も散策してきました。
おじ様たちが 手入れをしていて楽しそうに
庭談義をしていました。

もうひとつ 洗練されれば もっと若い人にも来てもらえるように
なると 思うのです。
ホテルを洗練して 自然を埋め込んで ビードロの似合う暖かい街にしたら
病院も大学も生きてくるきがした 天王寺界隈でした。

電子レンジ殺菌

2013-02-22 11:33:59 | Weblog

年々インフルエンザの薬が新たに登場して いささか 怖い気もしている。
根拠のない不安は 持つべきではない。
過去の歴史にも学べるように あたらしい考えは
なかなか受け入れられずに 何年も無駄に改善されず経過することも少なくない。
でも 一度吸入すれば ウイルスから救出される薬って すごすぎる。

予防の点は まだまだで ならばと思いつきに 発してみた。

最近の子育ては 電子レンジで哺乳瓶の殺菌消毒ができることから
新たな時代の突入かななんて 以前から感じていた。

介護施設で一人インフルエンザにかかると またたくまに蔓延することもある。
予防のための服薬は 施設や病院の自費になるそうだ。
で 衣類 寝具とか 履物のレンジ殺菌とか どうなのかしらと。

火災と隣り合わせで危険なのかもしれないけれど
短時間で軽くかけても 殺菌やウイルス除去の効果があるのならば 
介護施設に一台 寝具や衣服用のレンジ殺菌装置があると
いいかもしれない。
少なくとも テ-ブルを拭く布巾はレンジ殺菌して拭けば 使い捨てでなくてもいいはず。

突飛なことかもしれないけれど 調理ができるのであれば 殺菌も可能かもしれない。
またもや 妄想にはしってしまった。 

学習すること

2013-02-11 10:03:08 | Weblog
勉強は自分のために するのですと 
私が子供のころは 先生や親によく言われた。

それは とても矛盾していると感じてはいたけれど
はて 勉強の動機づけとなると なかなかいいセリフを
 思いつくことがなかった。

この年になると はっきりと 勉強は 人間だけが生きていくため
必要な知識や ありかたを 自分に課す時間だと感じている。

でも これは片手間な人間ばかりの考えをもつ危険があって
学習という もうひとつの在り方が 必要だと 感じてきた。

勉強ではなく 学習。
掃除とは 何か 
人のあるべき姿は 何か
病気になるということ
そこから 立ち直ること
何を食し 何を大切にすると どうなるのか

多くの先人から 学習する。感じとって 見習ったり
ただしたりする。

これを 極めなければ 実は勉強はできていても
地球上で人間は 長く子孫を残すことが 
できないのではないだろうか。

科学することは とても重要で
学習に基づく科学が 求められていると 切実に感じるようになった。
無謀に偉くなって むさぼって いいことはないのだから。

最近 身近な掃除に 注目が集まるのも
学習の作業に 人としての在り方のヒントが
隠されているからだと思うのだ。 

それは 私の人生で出会った 
この時代に 困り果てながらも 自活して生きている
いたち かもしか きじ さる わし
かわせみ かも 銀杏 桐  米、、、みんな 語りかけてきた。
現代の人間の在り方に 困り果てている。と

これら 隣の方々の生活に 耳を傾けなければ
土壌はぱさぱさになり砂漠化し 水は かれ 
海は湖になる。そんなことは ないだろうか。

 養殖と称して
いきものが 作れるかのような 勘違いをする。
そこに 漁場がなぜ 存在したかの 感受性は失われている。
コンクリートは 堅牢だと勘違いして
空気を遮り 粉塵を巻き上げ 長く地球をはぐくむはずの土壌を
生きもできないほどコンクリートやアスファルトで蓋をして きれいだと感じる
そんな人ばかり
育ってしまうのではないだろうか。

小石一つ 水一滴 人に作り出す能力は与えられていない。
利用し 運用し 調整し  幻滅させること 増殖させることはできても 
全くのゼロからの出発は  できない。

共感することのみが 人に与えれている能力であることを
よーく 胸を当てて 時折 観察してみてほしい。

医師は 命を助けることはできない
生きようとする者の ほんの少しの手助けが できることがある。
これが 現実だろう。



鷹の姿

2013-02-10 21:11:31 | Weblog
今日は 午後から関市にむかい あまり滞在もできず
高速を走ったのみ
そう 残念なドライブとなったなどと思っていました、

ところが
木曽川にさしかかったとき 
鷹が 大きく翼をひろげ 曲がったくちばしがはっきり見える位置で
目に飛び込んできました。

いっしょに同乗していた息子は
鷹というのは 神様の話が聞けるのか?
というのですが

そう この一瞬で 今日という日が素晴らしく感じたので
神様に司られて空を舞うように私も感じました。
 
人間ばかりが自分の地球であるかのように支配している今の世の中に
まだ 鷹が自力で生活できていることを知りました。

人間の本当に
しなければならなかったことは
雑多な生き物の調整やバランスをとる仕事で
人間だけが長く生きながらえることはできないことを
思い出さなければならないと
感じていました。
車が猛烈に走り あらゆる空き地はアスファルトになり
人が生き物のことを思いやることなど
 もう忘れるべきだと思っていましたが
あきらめずに 思い起こしてほしい
生きつづけている生き物に 申し訳ないと 感じました。

都会で 殺鼠剤に抵抗力を持ったネズミが繁殖していると
報道で紹介されていましたが 遠い昔
ヨーロッパでペストが流行し 猫を大切にするようになった話を
思い起こしました。
ネズミを捕ることのできない猫にしてしまい管理してしまっている今
猫本来の能力を大切にできる人間に そのうちもどらなければならない時代が
再びやってこなければ きっとネズミに悩まされつずけることになるかもしれないと
冗談なしに おもってしまうのです。


どんぐりや 木の葉

2013-02-03 22:24:11 | Weblog
広葉樹は 今どんな状況なのだろうか。

街路樹は早くから刈り取られ 落ち葉があまり落ちないように
整備というのだろうか その落ち葉はどうなっているのだろうか。

ブナや楢の木 樫の木などの 木の実や木の葉は
実は高カロリーのエネルギー資源なのではないかと
そう考える人は いないのかなあ。

桜の木の葉が 役立たずで 掃き集めるのも疎ましいといわれる
今日この頃だけれど これが エネルギー源となれば どうなのだろうか。

毎年大量の 木の葉と木の実を落としてくれるこの植物群は
酸素供給だけでなく
大きなエネルギー資源にならないのだろうか。