鹿児島の知覧に行った時も見学してきましたが
愛南町にこのような戦争の傷跡が残っているのですね。
もちろんここに来るまで存在を知らなかった紫電改。
南宇和海の海底に沈んでいるところを
地元のマリンクラブ会員によって発見されたそうなんです。
昭和53年のことだそうです。
ちょうど40年前ですね。
時速600キロ 2000馬力
当時としてはかなり優秀な戦闘機だったようです。
機体はフジツボで覆われていて
破損はありながらも原型をとどめていたそうです。
ここでも多くの若い命が失われていったのです。「お国のため」を合言葉に
昭和20年7月豊後水道上空で交戦したときの一機と見られるそうですが
あとひと月で終戦を迎えることができたのに・・・とご遺族は
思ったことでしょうね。
向こうに見えるタワーは
愛南町が一望できるところだそうです。
編集に手間取り物切れで申し訳ないです つづきは 次回に
最近テニスと本に夢中でブログ更新をさぼっているんです
殆どが優秀な学生。
空軍には優秀なパイロットは殆どが
お国のために亡くなってしまったので
性能の良い紫電改ですが操縦桿を握ってたのは
素人同然の兵士たち。
それも特攻なんて・・・
空に散っていった若い命は
地元では神童と呼ばれる有名な学校を出た
エリートばかりが集められ訓練して
飛び立って行った。
もしもあの素晴らしい頭脳が戦争で失われなかったら
日本の戦後復興も違った形になったのではと
思うばかりですが歴史の渦に飲まれたら仕方が無いですね。
彼らが残した手紙の文字に
涙が止まりませんでした。
今、近隣に核兵器を持つ国があります。
アメリカ頼りではなく
日本は独自の外交ができないのでしょうかねぇ。
紫電改が そう語りかけてくれているようです
大正生まれのその当時の青年は
随分戦争に取られたのでしょうね。
いま生きてれば90歳代です。
高度成長期なら40代と言う働き盛りだったのですね。
無駄にしてはいけませんね。
アメリカなしに外交できなくなってるんでしょうね。
個々のレベルや企業間レベルでは上手く行ってると思ったんだけど
最近の韓国ともいい感情持たなくなりましたねぇ。
みんな「我が家が平和ならいいや」と
思っているんでしょう。