おりおん日記

電車に揺られて、会社への往き帰りの読書日記 & ミーハー文楽鑑賞記

文楽 秋の地方巡業・昼の部 @ 仙台

2009年10月09日 | 文楽のこと。
文楽 秋の地方巡業・昼の部 @ 仙台

【文楽解説=幸助さん】

 文楽の公演で、この方が舞台に登場するたびに「ああ、この人に似ているNHKのアナウンサーがいたよなぁ。なんて名前だっけ?」と思っていました。というわけで、勝手に「NHKの人」と心の中であだ名を付けていました。普段は無言の人形遣いさんだけに、お声を聞いたのは、今日が初めてでしたが、しゃべっても、やっぱり、「NHKの人」っぽかった!

 幸助さん、祖父、父から続く3代目のわりに、イントネーションまで完璧な標準語。住師匠、さすがに人形遣いにまで大阪言葉を強要しないでしょうが、「訛っている」と嫌味ぐらいはいいそうだなぁ。
 
 地方公演の文楽解説は、無言のうちに「ウケをとってなんぼ」というプレッシャーがかかっているそうです。幸助さんもNHKの人らしい折り目正しいお話の中に、笑いどころを織り交ぜて、名解説でした。

ただ、恐らく、「ここはドッと沸く」とお考えだったのに、不発だったところが1つ。人形遣いの仕事について「かつては、足10年、左10年などと申しましたが、今はそれどころではありません。足20年、左15年。なんで、そんなに頑張るんでしょうねぇ。忍耐強いんだか、Mなんだか微妙ですねぇ?」……。定期公演よりも、さらに、年齢層がグッとアップしている地方巡業、おばあちゃま、おじいちゃま方には、イマイチ、「M」が通じてませんでした。

【卅三間堂棟由来】

 後白河上皇の頭痛の原因となっていた髑髏をまつるため、柳の大木を切って、棟木として三十三元堂を建立することになった。柳の木は、「お柳」という女に化身して、かつて伐り倒されそうになったところを助けてくれた平太郎と夫婦となり、子どもも設けていたが、今度こそ、伐られることは避けられず、永久の別れ…。

 悲しいけれど、美しい物語。初めて見ましたが、とってもファンタジックでステキでした。しかし、「床はお年を召している人の方が楽しいですなぁ」と、実感。中は吉穂さん、奥は呂勢さんがそれぞれ一人語りだったのですが、「聞きとらなきゃ!」と必至になってしまい、ちょっと疲れました。(でも、清治さんの三味線には泣けました!)まぁ、会場が国立劇場より2倍か3倍ぐらいの広さで声が拡散してしまう分、一段と過酷だったとは思いますが…。

私、吉穂さんの声が、本当に、大好きなのですが、やはり、まだ、一人で語るにはキツいなぁという感じ(今回も、夜の部の日高川はすごく楽しかった!)。決済日30年後の先物で買っておきます。たぶん、その頃、「切り場は吉穂!」の時代になっていると信じてます。

【本朝廿四孝】

めちゃめちゃ楽しかった~! こういう素晴らしいものに出会えたことに、本当に感謝したくなります。

地方の人にも「口上」を見せようという企画で、廿四孝に先立って、今さらながら清十郎さんの襲名披露。呂勢さん、勘十郎さま、簑師匠、清十郎さんと、ごくごく小規模ではありましたが、おごそかな雰囲気でよかったです。

そして、清十郎・八重垣姫は、本当に可憐で、一途。昨年の本公演で遣われた時よりも、グッと可愛らしさが増した印象でした。簑助師匠の腰元濡衣、勘十郎さまの勝頼と、子弟トリオは息も合っていて素晴らしかったです。それに、床には嶋師匠が登場して、肩の力を抜いて、聴きいることができました。(我がままを言えば、簑師匠、もっと、出番いっぱいあってほしかった!)

でも、やっぱり、見どころは、最終盤、八重垣姫が狐憑きになる場面です。
勝頼を終えた勘十郎さまが、今度は、出遣いで清十郎さんの左に入られたのです。もう、私的には、一挙にテンションアップ!!! 本公演での清十郎さん襲名披露の時にもこの場面があり、その時も感動しましたが、もう一度、この場面を見られるなんて、ああ、生きててよかった~。もう、そこからは、ドキドキしっぱなし。なんか、気迫が伝わってきて涙がでちゃう…。やっぱり、トランス状態が本当にトランスに見える人って限られているよなぁ…と改めて思いました。

ところで、奥庭狐火の段の出だしのあたり、若干、床が怪しかったような…。気のせいでしょうか? でも、演出的におどろおどろしい音ではなくて、誰かがズレていて気持ち悪い音だったような気がしました。


「オイアウエ漂流記」 荻原浩

2009年10月07日 | あ行の作家
「オイアウエ漂流記」 荻原浩著 新潮社 (09/10/06読了)

 トンガからラウラ(って、架空の国名ですよね? 調べてないけれど)向かう途中のプロペラ機が海に不時着。南国のゴルフ・リゾート開発を目指して現地調査中の日本の観光開発会社御一行さま、日本人新婚旅行カップル、戦友慰霊の旅をしていたマダラぼけ爺さんとその孫。超過激環境保護団体メンバーのアメリカ人。パイロットが連れていた犬一匹。なんとか、命を落とすことなく無人島にたどり着く。

 一日か、二日で救助がやってくるはずだ-と思っていたのに、待てど、暮らせど、救助はこない。船影も見えない。飛行機も飛んでない。そんな中で、何か月もの共同生活が続く。

 あれ、なんか、こういうテレビ番組ありませんでしたっけ? プロペラ機は落ちないけれど、無人島にあるもので、道具作るなり、獲物捕まえるなりして、なんとか生きていけっていう企画? 少し古いと「電波少年」、わりと最近だと「いきなり黄金伝説」。アメリカの番組だと、サバイバルゲーム的なニュアンスが強い感じで…。

 だから、正直言うと二番煎じ感は否めないし、設定は超甘。「飛行機落ちて命からがらのところで、そんな荷物肌身離さず持ちます?」「なんで、飛行機落ちたのに、無人島で絵日記つけてるの???」と、突っ込みどころがありすぎ。

 なのに、なんで、面白いんだろう?

 「陳腐で、超甘」は、10月3日読了の「デパートへ行こう」に近いものがあります。しかし、「デパートへ行こう」が2ページに1回途中棄権の誘惑に駆られたのに対し、「オイアウエ」は電車乗り換えのためのエスカレーターでまで、寸暇を惜しんで読み続けてしまいました。

 理由は、キャラがはっきりしている。みんながいい人ってわけじゃないけれど、でも、逞しくて、生命力がある。あまりにも非現実的すぎて、途中で、設定の甘さに突っ込みをいれるのが面倒臭くなってくる-などなど。

 「これはフィクション」と読者に割り切らせるのも、作家の力量なんでしょうか。気楽に、楽しく、あっという間に読めました。だけど、フィナーレは……ちょっと不満!「これって、いったいどっち?」と叫びたくなるような終わり方。 多分、「ハッピーエンドなのか、永遠に結末はやってこないのか、あなたのご想像にお任せします!」という作者の遊び心なのだと思いますが、でもね、ここは、陳腐でもいいから、単純明快なハッピーエンドであってほしかったなぁ。

「デパートへ行こう」 真保裕一

2009年10月03日 | さ行の作家
「デパートへ行こう」 真保裕一著 講談社 (09/10/03読了)

 はぁぁぁぁ。3週間近くかかって、ようやく読了………。多分、このブログを開始して以来、最長記録かもしれません。2ページに1回ぐらいの割合で「途中棄権」の誘惑に駆られ、心が挫けそうになりましたが、「不況の時代に、1680円もする本を最後まで読み終えないなんて、罪深すぎる!」という、意味の無い義務感で、最後のページまで到達しました。

 ま、いかにもありそうなライトノベル系ミステリーです。警備の目をかいくぐって、閉店後のデパートに潜んだ人々がおこす様々な騒動。人情話テイスト少々。売り出し中の若手作家が書いているのであれば、もうちょっと寛大な気持ちで読めたかもしれません。

 しかし、真保裕一ですよ! あの「ホワイトアウト」の作者が、こんなスケール感の無い、安っぽい作品を書く必要ありますかっ??? って感じの作品でした。

 そもそも、設定が甘々。「そんなツマンナイ理由で、犯罪おこさないでしょう」「っていうか、仮に、犯罪起こすとしても、こんな、すぐバレるようなこします?」とう突っ込みどころ満載。キャラも作り込まれていない感じで、やたら登場人物が多いけれど、印象に残る人がいない。ハートフルストーリー仕立ての部分が、あまりにも安っぽくてトホホです。

 あまりに、辛辣なモノイイをしてしまいましたが、私に限らず、真保裕一という作家は、読む人の期待値が高い作家です。その期待値を下げるような作品は書いちゃダメです!

 講談社100周年を記念した「書き下ろし100冊」という企画の中の一冊なのですが、この企画が間違っているんでしょうね。本当に一流の作家さんが、そろいもそろって、2009年という年に書き下ろし作品を出す必然性がありません。練って、練って、温めて、熟成させて、もう一度練り直して-という作業を誠実にやっていたら、出来上がる時期はバラバラになるはず。もちろん、プロである以上、定められた納期に納品できるべきなのかもしれませんが、無茶な納期を設定すれば、当然、クオリティは落ちるわけです。

 2009年に100冊の書き下ろしを出版されるよりも、本当にいい作家さんが、しかるべき時間を掛けて書いた、何度でも読みたくなるようないい作品を数冊出版してもらう方が、読者にとっては、はっぴ~なのです。