日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(457)「自然演繹」は、そこそこ「自然」である。

2020-01-12 19:00:16 | 論理

(01)
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。
に於いて、
①=② である。
といふこと(含意の定義)を、「日本語」で示したい。
(02)
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。
ではなく、
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。といふことはない。
に於いて、
①=② であると、「仮定」する。
然るに、
(03)
② PでないかQである。といふことはない。
といふことは、
③ Pでない。ではないし、
④ Qである。でもない。
といふことである。
cf.
「ド・モルガンの法則」が「正しい」のであれば、さうである。
然るに、
(04)
③ Pでない。ではないし、
④ Qである。でもない。
といふことは、
③ Pである。
④ Qでない。
といふことである。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。といふことはない。
に於いて、
①=② であると、「仮定」すると、
① Pならば、Qである。
③ Pである。
④ Qでない。
といふ、ことになる。
然るに、
(06)
① Pならば、Qである。
③ Pである。
④ Qでない。
といふことは、
① Pならば、Qである。が、
③ PであってQでない。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
① Pならば、Qである。が、
③ PであってQでない
といふのであれば、「矛盾」する。
従って、
(02)~(07)により、
(08)
背理法(RAA)」により、
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。といふことはない。
に於いて、
①=② ではなく、
①≠② である。
従って、
(08)により、
(09)
二重否定(DN)」により、
① Pならば、Qである。
② PでないかQである。
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)
「記号」で書くと、
①  P→Q
② ~P∨Q
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)(10)により、
(11)
①   P→P≡Pならば、Pである。
② ~P∨P≡PでないかPである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(12)
(ⅰ)
1  (1)    P→Q   A
 2 (2) ~(~P∨Q)  A
  3(3)   ~P     A
  3(4)   ~P∨Q   3∨I
 23(5) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  24&I
 2 (6)  ~~P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   ~P∨Q   8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  29&I
1  (イ)~~(~P∨Q)  2アRAA
1  (ウ)   ~P∨Q   イDN
(ⅱ)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   A
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(12)により、
(13)
①   P→P≡Pならば、Pである。
② ~P∨P≡PでないかPである。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(14)
命題計算の規則は、本質的にゲンツェン(G.Gentzen)に由来するものである。
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学入門、序ⅲ)
(15)
論理の演繹システムは、おおまかにいって、3種類あります。1つ目は、数学者ヒルベルトの提出したもの、2つ目は、数学者ゲンツェンの提出したシークエント計算、3つ目は、同じくゲンツェンが提出した自然演繹です(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、136頁)。
従って、
(01)~(15)により、
(16)
日本語」で考へても、「自然演繹」で計算しても、
①   P→P≡Pならば、Pである。
② ~P∨P≡PでないかPである。
に於いて、
①=② であるし、「自然演繹」に慣れてゐる私にとっては、「自然演繹(命題計算)」は、「日本語で、論理的に考へること」と、「同じくらひの、分かり易さ」である。
然るに、
(17)
「ならば」の推論規則
最初に→(ならば)の推論規則を説明します。実は、この→(ならば)の推論規則が、自然演繹の中で最も特徴的な規則であり、それゆえ難しいものです。したがって、この最難関を最初にもってくることにしました。ここを乗り越えれば。他の論理記号の推論規則の理解は多少楽になると思います(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、146頁)。
従って、
(17)により、
(18)
小島先生の言によれば、「自然演繹(Natural deduction)」と言へども、それなりに、「不自然(unnatural)」である。といふ、ことになる。
(19)
この規則(選言導入)は、推論の中で意識されることがおおよそないといえます。「彼女は背が高い」という主張をPとしましょう。すると、このPから「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」が導けます。この場合、主張Qは「彼女は美人だ」に対応しています。しかし、「彼女は背が高い」がわかっているのに、わざわざ、「彼女は背が高い または 彼女は美人だ」とつなげる場面は普通の会話ではあまりないでしょう。数学の証明でも、これが使われる場面はほとんど見かけないような気がします。しかし、あとで解説しますが、この推論規則は、他の大事な規則を導く礎になります(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、156頁)。
然るに、
(20)
(a)
1  (1) P&(Q∨R)    A
1  (2) P          1&E
1  (3)    Q∨R     1&E
 4 (4)    Q       A
14 (5) P&Q        24&I
14 (6)(P&Q)∨(P&R) 5∨I
  7(7)      R     A
1 7(8)       P&R  27&I
1 7(9)(P&Q)∨(P&R) 8∨I
1  (ア)(P&Q)∨(P&R) 34679∨E
(b)
1  (1)(P&Q)∨(P&R) A
 2 (2)(P&Q)       A
 2 (3) P          2&E
 2 (4)   Q        2&E
 2 (5)    Q∨R     4∨I
 2 (6) P&(Q∨R)    35&I
  7(7)      (P&R) A
  7(8)       P    7&E
  7(9)         R  7&E
  7(ア)       Q∨R  9∨I
  7(イ) P&(Q∨R)    8ア&I
1  (ウ) P&(Q∨R)    1267イVE
従って、
(20)により、
(21)
例へば、高校生も知ってゐる「分配法則」も、「選言導入∨I)」が無ければ、「証明」出来ない。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
小島先生の言によれば、「選言導入(∨I)」が、数学の証明では、これが使われる場面はほとんど見かけないような気がします。
といふのであれば、数学者といへども、「定理」を「証明」する際には、「自然演繹(Natural deduction)」そのものを、用ひてゐるわけではない。
といふ風に、思はれる。


(456)「同一律」=「排中律」=「矛盾律」。

2020-01-12 14:47:40 | 論理

(01)
(ⅰ)
1  (1)    P→Q   A
 2 (2) ~(~P∨Q)  A
  3(3)   ~P     A
  3(4)   ~P∨Q   3∨I
 23(5) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  24&I
 2 (6)  ~~P     35RAA
 2 (7)    P     6DN
12 (8)      Q   17MPP
12 (9)   ~P∨Q   8∨I
12 (ア) ~(~P∨Q)&
        (~P∨Q)  29&I
1  (イ)~~(~P∨Q)  2アRAA
1  (ウ)   ~P∨Q   イDN
(ⅱ)
1     (1) ~P∨ Q   A
 2    (2)  P&~Q   A
  3   (3) ~P      A
 2    (4)  P      2&E
 23   (5) ~P& P   34&I
  3   (6)~(P&~Q)  25RAA
   7  (7)     Q   A
 2    (8)    ~Q   A
 2 7  (9)  Q&~Q   78&I
   7  (ア)~(P&~Q)  29RAA
1     (イ)~(P&~Q)  1367ア∨E
    ウ (ウ)  P      A
     エ(エ)    ~Q   A
    ウエ(オ)  P&~Q   エオ&I
1   ウエ(カ)~(P&~Q)&
          (P&~Q)  イオ&I
1   ウ (キ)   ~~Q   7カRAA
1   ウ (ク)     Q   キDN
1     (ケ)  P→ Q   ウクCP
従って、
(01)により、
(02)
①   P→Q≡Pならば、Qである。
② ~P∨Q≡PでないかQである。
に於いて、
①=② であるものの、この「等式」を「含意の定義」といふ。
従って、
(02)により、
(03)
「含意の定義」により、
①   P→P≡Pならば、Pである。
② ~P∨P≡PでないかPである。
に於いて、
①=② である。
(04)
(ⅱ)
1   (1) ~P∨ Q  A
 2  (2)  P&~Q  A
  3 (3) ~P     A
 2  (4)  P     2&E
 23 (5) ~P&P   34&I
  3 (6)~(P&~Q) 25RAA
   7(7)     Q  A
 2  (8)    ~Q  2&E
 2 7(9)  Q&~Q  78&I
   7(ア)~(P&~Q) 29RAA
1   (イ)~(P&~Q) 1367ア∨E
(ⅲ)
1   (1) ~( P&~Q)  A
 2  (2) ~(~P∨ Q)  A
  3 (3)   ~P      A
  3 (4)   ~P∨ Q   3∨I
 23 (5) ~(~P∨ Q)&
 23 (6)  (~P∨ Q)  24&I
 2  (7)  ~~P      3RAA
 2  (8)    P      7DN
   9(9)       Q   A
   9(ア)   ~P∨ Q   9∨I
 2 9(イ) ~(~P∨ Q)&
         (~P∨~Q)  2ア&I
 2  (ウ)      ~Q   9イRAA
 2  (エ)    P&~Q   8ウ&I
12  (オ) ~( P&~Q)&
         ( P&~Q)  1エ&I
1   (カ)~~(~P∨~Q)  2オRAA
1   (ク)   ~P∨~Q   カDN
従って、
(04)により、
(05)
②   ~P∨ Q ≡PでないかQである。
③ ~(P&~Q)≡PであってQでない、といふことはない。
に於いて、
②=③ であるものの、この「等式」を「ド・モルガンの法則」といふ。
従って、
(05)により、
(06)
「ド・モルガンの法則」により、
②   ~P∨ P ≡PでないかPである。
③ ~(P&~P)≡PであってPでない、といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(03)(06)により、
(07)
①    P→ P ≡Pならば、Pである。
②  ~P∨ P ≡PでないかPである。
③ ~(P&~P)≡PであってPでない、といふことはない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(07)により
(08)
①    P→ P ≡同一律(Principle of identity)。
②  ~P∨ P ≡排中律(Principle of excluded middle)。
③ ~(P&~P)≡矛盾律(Principle of contradiction)。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(09)
(ⅰ)
1(1)P   A
 (2)P→P 11CP
(ⅱ)
1 (1) ~(~P∨P)  A
 2(2)   ~P     A
 2(3)   ~P∨P   2∨I
12(4) ~(~P∨P)&
       (~P∨P)  13&I
1 (5)    ~~P   24RAA
1 (6)      P   5DN
1 (7)   ~P∨P   6∨I
1 (8) ~(~P∨P)&
       (~P∨P)  17&I
  (9)~~(~P∨P)  18RAA
  (ア)   ~P∨P   9DN
(ⅲ)
1(1)  P&~P  A
 (2)~(P&~P) 11RAA
然るに、
(10)
仮定の規則(A)
第一に導入されるべき導出規則は仮定の規則(Rule of asuumption)であり、これをAと名づける。この規則は、論証の任意の段階において、論証の仮定として選ばれた命題を導入することを許す。われわれはたんにその命題をひとつの新しい行として記入し、その右側に「A」と書き、その左側にはその命題自身の番号を記して、それが仮定としてそれ自体依存することを示す。
(E.J.レモン、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学入門、13頁)
従って、
(10)により、
(11)
1(1)P A
といふことは、
仮定1により、(1)Pである。 と仮定する。
といふことである。
従って、
(09)(10)(11)により、
(12)
 (2)  P→ P  11CP
 (ア) ~P∨ P  9DN
 (2)~(P&~P) 11RAA
には、「仮定」が「無い」。
従って、
(12)により、
(13)
 (2)  P→ P
 (9) ~P∨ P
 (2)~(P&~P)
は、「仮定に依らず、真(本当)である。」
然るに、
(14)
「仮定に依らずとも、真(本当)である。」といふことは、
「いつでも、どこでも、恒にである。」といふことである。
従って、
(08)(13)(14)により、
(15)
①    P→ P ≡同一律(Principle of identity)。
②  ~P∨ P ≡排中律(Principle of excluded middle)。
③ ~(P&~P)≡矛盾律(Principle of contradiction)。
に於いて、
①=②=③ であって、尚且つ、
これらの「3通り」は、「恒真式(トートロジー)」である。
従って、
(01)~(15)により、
(16)
① 同一律(Principle of identity)。
② 排中律(Principle of excluded middle)。
③ 矛盾律(Principle of contradiction)。
は、3つとも、「自然演繹の規則」によって、「演繹」されるため、所謂、「公理(axioms)」ではない。
従って、
(16)により、
(17)
普通に考えると、素朴な恒真式(トートロジー)である、
 P→P(PならばPである)
とか、あるいは、
 P∨~P(Pであるか、またはPでない)
などをいつでも使える出発点(公理)として準備したほうがいいのではないか、と思うでしょう。しかし、そんな必要はないのです。なぜなら、どちらの恒真式も自然演繹で演繹できてしまうからなのです(小島寛之、証明と論理に強くなる、2017年、140頁)。
といふ、ことになる。
従って、
(18)
自然演繹」の場合は、「規則(Rules)」が有って、「公理(axioms)」が無い