一時期流行っていた空想科学読本関連です。
その名も空想科学文庫から出版された『SFはどこまで可能か?』という本です。
なんでSF書きが「SF対科学」な本を読むかというと、この本は各章ごとに扱ったテーマの元ネタSF本のタイトルと著者名を明記しているのです。
本を書く上で一番気を遣うのが、ネタのかぶりです。そういう意味では、後発の松浦は先人たちの著書を全部読んでおけばいいのですが、人生が有限である以上それは無理。というわけで、効率よく「こんな本があったんだー」とチェックできるのですよ。
で、もう一つの理由なんですが……。
お恥ずかしながら、ネタの収集です。
残念ながら、完璧なオリジナル作品などというものが、もはや存在しないということは、シェークスピアの時代からわかっていたことです。
というわけで、自分の妄想に火を付けてくれる「きっかけ」を探して、読み進めていきました。
まあ、創作の現場なんてこんなもんでしょう。
(↑この態度のせいで、デビューできないでいるという説もある)
その名も空想科学文庫から出版された『SFはどこまで可能か?』という本です。
なんでSF書きが「SF対科学」な本を読むかというと、この本は各章ごとに扱ったテーマの元ネタSF本のタイトルと著者名を明記しているのです。
本を書く上で一番気を遣うのが、ネタのかぶりです。そういう意味では、後発の松浦は先人たちの著書を全部読んでおけばいいのですが、人生が有限である以上それは無理。というわけで、効率よく「こんな本があったんだー」とチェックできるのですよ。
で、もう一つの理由なんですが……。
お恥ずかしながら、ネタの収集です。
残念ながら、完璧なオリジナル作品などというものが、もはや存在しないということは、シェークスピアの時代からわかっていたことです。
というわけで、自分の妄想に火を付けてくれる「きっかけ」を探して、読み進めていきました。
まあ、創作の現場なんてこんなもんでしょう。
(↑この態度のせいで、デビューできないでいるという説もある)