鹿島茂『明日は舞踏会』中公文庫
鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会』河出書房新社
先日、以前に、一度、幕末を舞台にした物語を書きかかったことがある、と述べましたけれども、その時は、モンブラン伯は関係ありませんでした。ただ、函館戦争に参加したフランス人たちは出す予定で、当時も、いろいろ調べていたんです。
荒唐無稽な一大ロマンになるはずだったんですが、しかし、どうにもお話の焦点が定まらず、ほんの一部分を書いただけで、やめてしまいました。
今回の思いつきというのは、実は嶽本野ばら氏の『下妻物語』が気に入ってしまったことからきていまして、私にギャグの才能はありませんから、あんな感じは無理なんですが、「女の子の一人称、ですます調で幕末維新をやってみたらどうだろう」となったんです。
そんなときちょうど、鹿島茂氏の『明日は舞踏会』を読みまして、「女の子が語るなら、やはり舞踏会がなくっちゃ」というわけで、幕末から鹿鳴館までの物語、となったんです。
昨日は、さんざん『妖人白山伯』に文句をつけてしまいましたが、『明日は舞踏会』は名著です。
小説ではありません。19世紀前半のパリで、上流乙女の夢と現実はどうだったのか、フローベルやバルザックなどの小説を素材に、実録風に語ったエッセイです。
ついでに、構想を練って、手持ちの参考になりそうな本を読み返していたら、なんと、1867年、フランス第二帝政最後の万国博覧会を、詳細に解説してくれている『絶景、パリ万国博覧会』も、鹿島茂氏の著書ではないですか! いやはや、買って10年以上になるのに、著者名をろくに見ていなかったんです。
この方、フィクションはちょっとあれですが、エッセイや実録ものは、実にいいんですよねえ。
しかし、なんといいますか……、最初の思いつきは、ひらすら乙女チックだったんですが、資料を読み返しているうちに、やはり、だんだん政治に傾いていきまして、まあなんとか、そこらは背景に留めるよう工夫しないことには、また挫折しそうですね。
とはいえ、構想し、資料読むのが楽しいわけでして、またも昨日、注文していた本が届いていたので、ざっと目を通しました。
アルフレッド・ルサン著『フランス士官の下関海戦記』(新人物往来社発行)
シャルル・ド・モンブラン伯と同じくらいの時期に来日していた、フランス海軍士官の日本見聞録です。いえ、来日期間は同じくらいなのに、ここまでちがうものかと、あらためてモンブラン伯の観察眼の深さに感心しました。例をあげてみましょう。
アルフッレッド・ルサン
「日本社会は、数世紀前から停滞し、封建的で軍国的な性格が手付かずのまま残されていたのだった。また、私たちは、この社会の成員一人一人が、階層の中にとどまり、そこでは、誰の子として生まれたかという偶然によって地位が決定され、父の跡を継いで祖先が生きてきたと同じように生きることが定められていることを示してきた」
モンブラン伯爵
「習慣以外のこの社会のそれぞれの機構を調べると、日本を他のアジアの国民と同一視できるような全く東洋的な停滞性があると結論づけることも出来るかもしれぬが、それは全く違っている。それどころかこの社会には活力がみなぎっており、階級は区別されてはいるが、カースト制度を作っているのではない。貴族が多くの場所を占めていることは事実であれ、そのために社会生活が息の詰まるものでないことも事実である。それは日本で、どんな人間に対しても表される深い尊敬心と、牢獄というよりは指導上の枠組みである日本社会の階層形態の中で出会う個人の自由のおかげである。貴族は排他的ではなく、高貴の生まれに限られたものでもないので、各人は大君の行政階層の中でも、あるいは封建大領主の行政階層の中でも、自分の功績によって自らを高めて、これを主張する権利を有しているのである」
ルサン氏は艦隊勤務という仕事で来日し、つき合いが外国人社会に限られていたのに比べて、モンブラン伯は自由な立場で、日本人と個人的にかなり深くつきあったようですので、そこらあたりのちがいが大きいのでしょうけれども、思想見識の相違もありそうですね。
鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会』河出書房新社
先日、以前に、一度、幕末を舞台にした物語を書きかかったことがある、と述べましたけれども、その時は、モンブラン伯は関係ありませんでした。ただ、函館戦争に参加したフランス人たちは出す予定で、当時も、いろいろ調べていたんです。
荒唐無稽な一大ロマンになるはずだったんですが、しかし、どうにもお話の焦点が定まらず、ほんの一部分を書いただけで、やめてしまいました。
今回の思いつきというのは、実は嶽本野ばら氏の『下妻物語』が気に入ってしまったことからきていまして、私にギャグの才能はありませんから、あんな感じは無理なんですが、「女の子の一人称、ですます調で幕末維新をやってみたらどうだろう」となったんです。
そんなときちょうど、鹿島茂氏の『明日は舞踏会』を読みまして、「女の子が語るなら、やはり舞踏会がなくっちゃ」というわけで、幕末から鹿鳴館までの物語、となったんです。
昨日は、さんざん『妖人白山伯』に文句をつけてしまいましたが、『明日は舞踏会』は名著です。
小説ではありません。19世紀前半のパリで、上流乙女の夢と現実はどうだったのか、フローベルやバルザックなどの小説を素材に、実録風に語ったエッセイです。
ついでに、構想を練って、手持ちの参考になりそうな本を読み返していたら、なんと、1867年、フランス第二帝政最後の万国博覧会を、詳細に解説してくれている『絶景、パリ万国博覧会』も、鹿島茂氏の著書ではないですか! いやはや、買って10年以上になるのに、著者名をろくに見ていなかったんです。
この方、フィクションはちょっとあれですが、エッセイや実録ものは、実にいいんですよねえ。
しかし、なんといいますか……、最初の思いつきは、ひらすら乙女チックだったんですが、資料を読み返しているうちに、やはり、だんだん政治に傾いていきまして、まあなんとか、そこらは背景に留めるよう工夫しないことには、また挫折しそうですね。
とはいえ、構想し、資料読むのが楽しいわけでして、またも昨日、注文していた本が届いていたので、ざっと目を通しました。
アルフレッド・ルサン著『フランス士官の下関海戦記』(新人物往来社発行)
シャルル・ド・モンブラン伯と同じくらいの時期に来日していた、フランス海軍士官の日本見聞録です。いえ、来日期間は同じくらいなのに、ここまでちがうものかと、あらためてモンブラン伯の観察眼の深さに感心しました。例をあげてみましょう。
アルフッレッド・ルサン
「日本社会は、数世紀前から停滞し、封建的で軍国的な性格が手付かずのまま残されていたのだった。また、私たちは、この社会の成員一人一人が、階層の中にとどまり、そこでは、誰の子として生まれたかという偶然によって地位が決定され、父の跡を継いで祖先が生きてきたと同じように生きることが定められていることを示してきた」
モンブラン伯爵
「習慣以外のこの社会のそれぞれの機構を調べると、日本を他のアジアの国民と同一視できるような全く東洋的な停滞性があると結論づけることも出来るかもしれぬが、それは全く違っている。それどころかこの社会には活力がみなぎっており、階級は区別されてはいるが、カースト制度を作っているのではない。貴族が多くの場所を占めていることは事実であれ、そのために社会生活が息の詰まるものでないことも事実である。それは日本で、どんな人間に対しても表される深い尊敬心と、牢獄というよりは指導上の枠組みである日本社会の階層形態の中で出会う個人の自由のおかげである。貴族は排他的ではなく、高貴の生まれに限られたものでもないので、各人は大君の行政階層の中でも、あるいは封建大領主の行政階層の中でも、自分の功績によって自らを高めて、これを主張する権利を有しているのである」
ルサン氏は艦隊勤務という仕事で来日し、つき合いが外国人社会に限られていたのに比べて、モンブラン伯は自由な立場で、日本人と個人的にかなり深くつきあったようですので、そこらあたりのちがいが大きいのでしょうけれども、思想見識の相違もありそうですね。