2006年10月、いじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中学二年の男子生徒の母親、森美加さん(36)が10日、東京都港区で開かれたシンポジウムに参加し、亡くなった長男啓祐君=当時(13)=の実名と写真を初めて公表され
「より多くの人に、森啓祐という存在が生きていたことを伝えたい。この笑顔の絶えない社会をみなさんでつくりあげていきたい」と訴えられました。
実名公表のきっかけは昨年12月、今春中学生になる啓祐君の弟さんの「お兄ちゃんは何も悪いことをしていない。自分たちも悪いことはしていないから、僕は胸を張って中学校に行くよ」という言葉だったそうです。
こう言われた森さんは「『前を向いて歩いていこうよ』と背中を押された気持ちになった。わたしたち夫婦は子どもから大きな勇気を教えてもらった」といわれます。 (以上はニュースからの情報です)
このシンポジウムは「生まれてきてくれた命たちへ」。特定非営利活動法人(NPO法人)「ジェントルハートプロジェクト」(川崎市)などが主催したということですが、同プロジェクトの理事をされる小森美登里さんもお嬢さんをいじめ自殺でなくされ、子どもを助けられなかったご自分を責め、苦しまれ、その後に、子どもたちのために,「やさしい心」と「いのち」の大切さを伝え,いじめのない社会を実現するために活動を始められました。このプロジェクトにはほかにも子どもの死と向き合いながら、子どもたちのために何をすべきかを深く考え、活動をされている方もいらっしゃいます。
このようないじめの被害者、犯罪による被害者として子どもを失われた方にお目にかかるときに感じるのは、加害者への憎しみや恨み、もだえ苦しむような辛さ寂しさから、ご自分の心を次の段階に持って行かれることのすばらしさ(こんな軽いことばでなないのですが!)です。
「恨んでいるだけでは自分が救われない。子どもがかなえたかった幸せをせめてほかの子どもにかなえてほしい。できれば加害した子どもにかなえてほしい。」といわれた、犯罪によって子どもを亡くされたお母さんもいらっしゃいました。
でも、このような心はおひとりでは維持するのは難しいことだと思います。同じ苦しみの中にいらっしゃる方、ぜひ、おひとりになられることなく、気持ちの安らぐお仲間と連携をとられるのがよいのではないかと思います。
幸いにして、未だその苦しみに遭遇することのない私たちは、「被害者という立場の方は憎しみを晴らすこと考える」のではないか、という単純な想像や共感は、むしろ慎むべきだと思います。
また、被害を受けられた方と同じだけの思いには至れなくても、子どもたちを被害者にも加害者にもしない社会をつくるために大人がすべきことを真剣に考え、実践したいと思います。
「より多くの人に、森啓祐という存在が生きていたことを伝えたい。この笑顔の絶えない社会をみなさんでつくりあげていきたい」と訴えられました。
実名公表のきっかけは昨年12月、今春中学生になる啓祐君の弟さんの「お兄ちゃんは何も悪いことをしていない。自分たちも悪いことはしていないから、僕は胸を張って中学校に行くよ」という言葉だったそうです。
こう言われた森さんは「『前を向いて歩いていこうよ』と背中を押された気持ちになった。わたしたち夫婦は子どもから大きな勇気を教えてもらった」といわれます。 (以上はニュースからの情報です)
このシンポジウムは「生まれてきてくれた命たちへ」。特定非営利活動法人(NPO法人)「ジェントルハートプロジェクト」(川崎市)などが主催したということですが、同プロジェクトの理事をされる小森美登里さんもお嬢さんをいじめ自殺でなくされ、子どもを助けられなかったご自分を責め、苦しまれ、その後に、子どもたちのために,「やさしい心」と「いのち」の大切さを伝え,いじめのない社会を実現するために活動を始められました。このプロジェクトにはほかにも子どもの死と向き合いながら、子どもたちのために何をすべきかを深く考え、活動をされている方もいらっしゃいます。
このようないじめの被害者、犯罪による被害者として子どもを失われた方にお目にかかるときに感じるのは、加害者への憎しみや恨み、もだえ苦しむような辛さ寂しさから、ご自分の心を次の段階に持って行かれることのすばらしさ(こんな軽いことばでなないのですが!)です。
「恨んでいるだけでは自分が救われない。子どもがかなえたかった幸せをせめてほかの子どもにかなえてほしい。できれば加害した子どもにかなえてほしい。」といわれた、犯罪によって子どもを亡くされたお母さんもいらっしゃいました。
でも、このような心はおひとりでは維持するのは難しいことだと思います。同じ苦しみの中にいらっしゃる方、ぜひ、おひとりになられることなく、気持ちの安らぐお仲間と連携をとられるのがよいのではないかと思います。
幸いにして、未だその苦しみに遭遇することのない私たちは、「被害者という立場の方は憎しみを晴らすこと考える」のではないか、という単純な想像や共感は、むしろ慎むべきだと思います。
また、被害を受けられた方と同じだけの思いには至れなくても、子どもたちを被害者にも加害者にもしない社会をつくるために大人がすべきことを真剣に考え、実践したいと思います。