荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ゴーストライター』 ロマン・ポラニスキ

2011-08-17 06:11:17 | 映画
 ベルリンの銀熊受賞作だが、このあまりにも良質なスリラーぶりはなんとしたことか。監督自身が辿ってきたであろう数奇な運命(幼少期におけるユダヤ人ゲットーからの脱出、シャロン・テート事件、少女淫行容疑による懲役50年判決など…)というものが、このアイデンティティ・クライシス劇にかえって意表をつく軽さを生み出しているように思える。この軽さがどれほど冷徹なものか、それを感得するべきだろう。

 在任時の不正を追及されつつある元英国首相(ピアース・ブロスナン)に自伝執筆のゴーストライターとして雇われた主人公(ユアン・マクレガー)が、ついに最後まで自らの本名を観客に告げる機会を逸したまま、雇い主によってつねに「幽霊(ゴースト)」とのみ呼ばれるのは示唆的だ。監督のロマン・ポランスキー(ポラニスキ)自身がきわめて幽霊的な作家なのだから。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』『ミスター・アーカディン』あたりを想起させつつ、ユアン・マクレガーは調査対象を調査するうちに、地球を一周して、自らの背中を調査しているという案配である。
 舞台のうちほとんどは、ピアース・ブロスナンの半ば亡命地とも言えるマサチューセッツ沖の島であるが、当然のことながらロケ地がマサチューセッツ沖であるはずはなく、どうせどこかヨーロッパの過疎地で撮影されたにちがいあるまい。先述の少女淫行罪で訴追されヨーロッパに逃亡(本人はえん罪を主張)したポラニスキは、生涯アメリカの地を踏めない境遇だからである。この孤独なロリコン作家は、死ぬまでこのような危なっかしい逃亡生活の合間に映画を撮り続けるのであろうか。

 奇跡の怪物俳優イーライ・ウォラックが、オリヴァー・ストーン『ウォール・ストリート』(2010)での不敵なる老投資家役に引き続き、すばらしい存在感を見せてくれている。


8月27日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で上映予定
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御殿山がけ下日記 (1)おとこもすなるにきといふものを

2011-08-14 01:49:42 | 御殿山がけ下日記
 私が出入りしているプロダクションが広尾の事務所を引き払い、原宿と北品川に事務所を構え、早1年以上が過ぎた。私のグループは北品川組となり、週に平均3~4日ほどはそこに詰めている。
 かつての私たちの根城だった広尾は、おととし逝った会長の故・安田匡裕の好みだった(彼は夜な夜な女優やタレントを誘って、どこか旨いもの屋で会食するのを日課にしていた)わけだが、私個人はあまり広尾を好んではいなかった。しかしフランス、ドイツというヨーロッパ2大国の大使館を持ち、東京の他の街──たとえば近隣にある渋谷、恵比寿、六本木といった喧噪、腐敗の街──にくらべると、格段に品位ある静謐さをたたえていたことは間違いない。

 北品川に本拠を移して以来、私は広尾がいかにいい街だったかを思い知らされた。風景には味も素っ気もなく、寄り道できる店や溜まり場もなく、旨いものを食わせる店もない。しかたなく店屋ものをいろいろと試したが、配達員どもが運んでくる代物は、どれもじつにひどいものだった。この街の人々は、いったい何を食べて生きているのか? それがどうしてもわからない。

 北品川という街はわりに広く、大きく3つに分けることができる。
 1つめは、川島雄三の北品川。遊郭街として栄えた地区で、『幕末太陽伝』(1957)の冒頭で二谷英明、小林旭ら長州藩士が焼き討ちにおよんだ初代イギリス大使館もあった。京浜急行「北品川」駅から天王洲アイルにかけて、運河がめぐっている。
 2つめは、日本最高の高級住宅街ともいわれる北品川。つまり「御殿山」である。古くは徳川将軍家の花見御休憩所があり、維新後は華族の邸宅が集合した小高い丘で、現在、原男爵家をリノヴェートした「原美術館」がある一帯だ。いかにも高級住宅街らしく、上野毛や田園調布でも見られる1人交番(警官詰め所)が点在する一方、コンビニひとつない鬱蒼たる屋敷町である。
 私が巣喰う北品川は、1つめでも2つめでない、もうひとつの北品川である。ソニー揺籃の地であり、電子部品や工作機械の町工場が軒をつらね、労働者が半田ごてや電ノコ、旋盤相手に格闘する街。それは「御殿山」のがけ下にひろがり、がけの上と下とでは、あたかも黒澤明の『天国と地獄』(1963)のごとく明確なる身分差、所得差が視覚化されているのだった。町工場のぼんぼんである「五反田団」の前田司郎は、そういう場所から生まれた才能である。

 私はなんとか努力して、この「がけ下」を好きになろうと努めてきた。そしていま、「がけ下」は姿を消そうとしている。再開発にともなう解体工事がまもなく始まろうとしており、「がけ下」全体が蜃気楼のようになくなろうとしている。前田司郎の本拠地「アトリエ・ヘリコプター」もやがて、その波に呑み込まれるだろう。そして「御殿山」の華族さまたちは、そうした下界の変化を丘の上から見下ろすことだろう。
 始めようとしている日記が『ヴァンダの部屋』のようにおもしろいものになる自信は、正直言ってまるでないが、それでも土地の存在の記録として、そしてわがちっぽけな生の一部として、今後、この界隈の破壊、消滅、そしてだらしのない懐旧までふくめて、《御殿山がけ下日記》の名のもとに不定期連載しようと(ほぼ1年くらい前から構想していたのだが)思っている。つまらないディテールの集積に終始するかもしれないが、お付きあいいただければ幸いです。

写真展《孫文と梅屋庄吉──100年前の中国と日本》 @東博

2011-08-11 02:14:08 | アート
 今年は、中国で辛亥革命が起きて100周年にあたる。翌1912年には “ラストエンペラー” 宣統帝・溥儀が退位し、清は滅亡した。また、この1912という年号は東京において、現存する最古の映画会社である日本活動写真株式会社、すなわち「日活」が誕生した年でもある。世界史の重要項目である辛亥革命と、映画史の一事件にすぎない日活の創業を、なぜここに並べてみせるのかというと、この2つのできごとが、じっさい密接に結びついたことがらだからである。
 この2つのできごとを結びつけるのは、ひとりの日本人だ。梅屋庄吉(1868-1934)。シネマトグラフ黎明期の代表的な製作会社のひとつ「M・パテー商会」(1906-1912)の創業者である。日活は、吉沢商店やM・パテーなど4社がトラスト合併して誕生した独占企業体だが、この合併を先導したのがM・パテー社長の梅屋庄吉である。
 梅屋は、興行収入のうち膨大な金額を孫文(1866-1925)につぎこみ、革命以前も以後も孫文を財政面から支え続けた。援助の合計は現在の貨幣価値に換算して、なんと1兆円におよぶ。M・パテーを始める前、香港で出張制の写真スタジオを経営して一発当てていたころに、孫文との友情が始まったらしい。「君は兵を挙げたまえ。われは財を挙げて支援す」との勇猛なる名言を孫文に叩きつけたそうだ。
 この写真展では、そんなふたりの男の生涯を通じた侠気あふるる友情を、ゆっくりと跡づけることができる。辛亥革命は、中国大陸におけるブルジョワ型民主革命であったと同時に、日本人にとっても、明治維新に遅れて生まれた世代による維新ゲームのロマンティックなパート2だったわけだ。

 梅屋は東京・大久保の百人町に、広大な洋風邸宅とM・パテーの「大久保撮影所」を構えていた。JR新大久保駅と大久保駅の中間にひろがる三角地帯は、現在こそ雑然たるコリアン・タウンに変わりはてたが、明治・大正期は山の手の高級住宅街だった。この梅屋邸では、日本に亡命中の孫文と、「宋家の三姉妹」の美しい次女・宋慶齢(1893-1981)の結婚式もおこなわれた(1915)。
 「大久保撮影所」は、日活が向島の隅田川河畔に新スタジオを建設した時にいったん閉鎖されたものの、その後、日活と袂を分かった梅屋が「M・カシー商会」なる新会社を立ち上げて(「カシー」とは妻の旧姓「香椎」からとっている)、再稼働したこともある。ところで、跡地には記念碑でも建っているのだろうか。通った高校がこの近所で、十代からそれなりの映画ファンだった私だが、撮影所がこのあたりに存在したらしいことくらいは知っていても、それ以上のことは聞いたことがない。

 本展は、孫文との友情を中心に構成されたためか、「映画人としての梅屋庄吉」という側面はやや稀薄となっているのが残念だ。会場では、白瀬矗が南極点到達に挑んだ際にM・パテーのカメラマンが帯同した記録映画『日本南極探検』(フィルムセンター所蔵)が、液晶モニタにループ再生されている。これも1912年作品。
 梅屋庄吉という伊達男を媒介にして、辛亥革命──日活設立──南極点到達という3つのできごとが、共時的なものとして同軸線上に結ばれるのは、非常におもしろいことではないだろうか。


本写真展は、東京国立博物館(東京・上野公園)本館特別5室にて、9月4日(日)まで開催
http://mainichi.jp/enta/art/sonbun/

『トラス・オス・モンテス』 アントニオ・レイス、マルガリーダ・コルデイロ

2011-08-08 02:16:03 | 映画
 冒頭、少年のかけ声のようなものに誘われるまま画面に集中すると、その声の主が牧童で、この声をきっかけに観客は行ったことのない場所へ旅をする。春の到来がまだ遠い冬、ポルトガル北東部の山岳地帯トラス・オス・モンテス(ポルトガル語的にいうと「トラーズシュ・モンテシュ」)。とにかく最初の牧童の顔がすごくて、いっきに引き込まれてしまう。
 ドキュメンタリーでもない、フィクションでもない中間ぐらいの感触で、子どもたちの遊び、村人の様子、老婆たちの機織りといった現実が生のまますくい取られ、その上に母の過去の記憶=再現が接ぎ木され、子どもたちの道行が数百年の時間の往来を招く。風来坊が去っていく後ろ姿のワンカットを、かなり長い時間見つめる。いつのまにか、7代くらい時代が進んでいる。どんな指示を村人に出しながら製作したのか見当もつかないが、なんと自由で夢幻的な作品だろう。
 石を無造作に積み上げただけの家々や、屋内で取り立てて装置もなしに藁を燃やし、即席の囲炉裏にしてしまう暮らしなど、この地方では、あらゆることが何百年と変わらないのだろう。定期的に大災害が発生し、そのたびに文明の再構築を余儀なくされてきたわれわれ日本列島の民とはまったく異なる時間がここにあることは間違いない。どうやらライ麦ぐらいしか栽培できない痩せた土地のようであるが、その代わり、暮らしを変えなければならないことは起きたことがないのだ。

 観客が、村人たちの目線に完全に同化することはない。あえて言えば、アカシオ・デ・アルメイダの回すカメラの回転の中に同化していくというそんなイメージではないだろうか。貧しい村の暮らしは数百年変わらないとみんなが言ってはいるが、それでも何かが変わっていく。そして、誰か大切な人が少しずつ去っていく。変化とその予兆はすぐ傍らにあるのである。夜の明けない薄暗い雪景色の中、列車が灰色の煙をまき散らしながら画面を横切るとき、牧童のかけ声と共に始まったフィルムの映写が終わる。


アテネ・フランセ文化センター(東京・神田駿河台)で、8/12(金)に国内最終上映を予定
http://www.athenee.net/culturalcenter/

『下町(ダウンタウン)』 千葉泰樹

2011-08-05 02:42:21 | 映画
 林芙美子の原作、千葉泰樹監督による『下町(ダウンタウン)』(1957)は1時間にも満たぬ小品ながら、繊細きわまりない映画体験を約束する。東京・神田の神保町シアターで始まった〈戦争と文学〉という特集内で上映予定である。
 シベリアに抑留されたまま生死のはっきりしない夫の帰りをむなしく待つ人妻(山田五十鈴)と、シベリア帰りの孤独な男(三船敏郎)が、冬のある寒い日、ふとしたきっかけで、冷えきった身をたがいに温め合うかのように心を寄せ合う。千葉泰樹の演出は的確そのものであり、男の住みこむ運送屋事務所のざっかけない内装は、成瀬映画でおなじみ中古智の美術である。場末を舞台にした貧しい映画ながら、なんとも形容しがたい気品が漂う。
 茶葉の行商をする山田五十鈴が、お茶を急須で淹れずに、ヤカンの中に直接ぶちこんで煮出していたが、あれは庶民の昔ながらの淹れ方である(手に入る茶葉の質が悪いため)。山田ははじめて訪ねた男の事務所で、自慢の静岡産高級茶でそれをやっていたが、あれはもったいない。知り合ったばかりの男に対する見栄、サービス精神の表れだろう。独り者の労働者が急須なんてしゃれたものを持っていないことくらい、行商である彼女は「急須あります?」などと訊かなくてもわかっているのだ。こうしたディテールも大事に見ていきたい。
 戦後の混乱と貧困がまだ残り、下宿屋のおかみさん(村田知英子)が、普通の人妻に二号さんの口を斡旋してくる時代である。山田五十鈴は決して、そうしたものを気高く突っぱねるわけではない。しかし、抵抗しなければならないものも明確に見えているのである。

 ところで、映画の舞台となっているのは葛飾と浅草。浅草でのデートシーンはともかく、山田と三船が出会う葛飾の地は、正確には「下町」とは言えないだろう。葛飾区は「東京東部の郊外」という呼び方が正しい。「下町」とは、「城下町」を江戸町民が短縮した上に訓読したものであって、江戸城の城下町──つまり神田、日本橋、京橋、銀座、築地、上野、ぎりぎり浅草、吉原あたりまで──が元来の「下町」である。のちに範囲がひろがり、隅田川左岸の深川、両国、向島も「下町」に追加された。さすがに葛飾を城下町と考えるには、あまりにも遠い。逆に、銀座、京橋あたりは現在「都心」と言われて、「下町」という位置づけに違和感を抱く人もいるだろう。
 私は原作を未読であるが、もし小説においても葛飾を主舞台としているならば、林芙美子の活躍した戦後まもなくの時点ですでに、「下町」の本当の定義はくずれ去っており、あいまいに東京の東側全体を分け隔てなく「下町」と呼んでしまう「ポスト寅さん時代」が、いち早く到来していたことになる。そのへんの成り行きは、さしずめ川本三郎の本でも読めばくわしく解説してくれているのだろうが、ここでは省略。

 本特集では他に、家城巳代治監督の『異母兄弟』(1957)なんてのが、異様な歪みをもって見る者に迫る。オススメである。熊谷久虎『指導物語』(1941)は未見。


『下町』は、神保町シアター(東京・神田神保町)にて、8月7、9、11、12日に上映予定
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/