荻野洋一 映画等覚書ブログ

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御殿山がけ下日記 (1)おとこもすなるにきといふものを

2011-08-14 01:49:42 | 御殿山がけ下日記
 私が出入りしているプロダクションが広尾の事務所を引き払い、原宿と北品川に事務所を構え、早1年以上が過ぎた。私のグループは北品川組となり、週に平均3~4日ほどはそこに詰めている。
 かつての私たちの根城だった広尾は、おととし逝った会長の故・安田匡裕の好みだった(彼は夜な夜な女優やタレントを誘って、どこか旨いもの屋で会食するのを日課にしていた)わけだが、私個人はあまり広尾を好んではいなかった。しかしフランス、ドイツというヨーロッパ2大国の大使館を持ち、東京の他の街──たとえば近隣にある渋谷、恵比寿、六本木といった喧噪、腐敗の街──にくらべると、格段に品位ある静謐さをたたえていたことは間違いない。

 北品川に本拠を移して以来、私は広尾がいかにいい街だったかを思い知らされた。風景には味も素っ気もなく、寄り道できる店や溜まり場もなく、旨いものを食わせる店もない。しかたなく店屋ものをいろいろと試したが、配達員どもが運んでくる代物は、どれもじつにひどいものだった。この街の人々は、いったい何を食べて生きているのか? それがどうしてもわからない。

 北品川という街はわりに広く、大きく3つに分けることができる。
 1つめは、川島雄三の北品川。遊郭街として栄えた地区で、『幕末太陽伝』(1957)の冒頭で二谷英明、小林旭ら長州藩士が焼き討ちにおよんだ初代イギリス大使館もあった。京浜急行「北品川」駅から天王洲アイルにかけて、運河がめぐっている。
 2つめは、日本最高の高級住宅街ともいわれる北品川。つまり「御殿山」である。古くは徳川将軍家の花見御休憩所があり、維新後は華族の邸宅が集合した小高い丘で、現在、原男爵家をリノヴェートした「原美術館」がある一帯だ。いかにも高級住宅街らしく、上野毛や田園調布でも見られる1人交番(警官詰め所)が点在する一方、コンビニひとつない鬱蒼たる屋敷町である。
 私が巣喰う北品川は、1つめでも2つめでない、もうひとつの北品川である。ソニー揺籃の地であり、電子部品や工作機械の町工場が軒をつらね、労働者が半田ごてや電ノコ、旋盤相手に格闘する街。それは「御殿山」のがけ下にひろがり、がけの上と下とでは、あたかも黒澤明の『天国と地獄』(1963)のごとく明確なる身分差、所得差が視覚化されているのだった。町工場のぼんぼんである「五反田団」の前田司郎は、そういう場所から生まれた才能である。

 私はなんとか努力して、この「がけ下」を好きになろうと努めてきた。そしていま、「がけ下」は姿を消そうとしている。再開発にともなう解体工事がまもなく始まろうとしており、「がけ下」全体が蜃気楼のようになくなろうとしている。前田司郎の本拠地「アトリエ・ヘリコプター」もやがて、その波に呑み込まれるだろう。そして「御殿山」の華族さまたちは、そうした下界の変化を丘の上から見下ろすことだろう。
 始めようとしている日記が『ヴァンダの部屋』のようにおもしろいものになる自信は、正直言ってまるでないが、それでも土地の存在の記録として、そしてわがちっぽけな生の一部として、今後、この界隈の破壊、消滅、そしてだらしのない懐旧までふくめて、《御殿山がけ下日記》の名のもとに不定期連載しようと(ほぼ1年くらい前から構想していたのだが)思っている。つまらないディテールの集積に終始するかもしれないが、お付きあいいただければ幸いです。