荻野洋一 映画等覚書ブログ

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沢村貞子 著『私の浅草』

2011-01-08 06:48:00 | 
 女優・沢村貞子(1908-1996)の名随筆『私の浅草』(1976)が先々月、何度目かの再刊を果たした(暮しの手帖社刊)。そのチャーミングな表紙もさることながら、ページをめくるやいなや、噂に聞いた沢村のさめざめとした筆の冴えに、ただ舌を巻くしかない。著者はあとがきで、悩みながら書いてきたものの、結局は読者の興味を呼べそうもない身辺雑記となってしまった、と謙遜しているが、戦前の浅草での庶民の暮らしぶりを記した一文一文からさりげなく滲み出る滋味は、凡百の小説ジャンルなどを軽々と吹き飛ばしてしまう。
 本書の白眉と言える章「萬盛庵物語」あたりになるともう、宮本常一も真っ青となりそうな迫真の写実記である。彼女の記述から察すると、この「萬盛庵」なる、日本庭園もそなえた蕎麦の名店は、三社様の裏側、おそらく現在の浅草寺病院かその並び、言問通り沿いに徳川時代から存在した老舗である。残念ながら現存してはいないが、どうやら、たいへん風格のある蕎麦屋だったようだ。一杯のざるに命を懸けた男と女の生涯が浮かび上がる。
 さらにラストの章を飾る、実弟・加東大介(1911-1975)の早すぎる病死を悼む一文は、涙なくして読み終えることは絶対に不可能。映画化もされた回想小説『南の島に雪が降る』で語られているように、彼は戦時中、出征先のニューギニアで、飢餓と疫病に苦しむ兵士のための慰安劇団を結成し、これに命を懸けた。復員後、劇作家・長谷川伸を訪ね、作品の無断上演を詫びた加東に、『瞼の母』の巨匠は答える。「君は幸せな役者だ。そんなに喜んでもらえる舞台を踏んだ役者はめったにいないよ。芸とは、人をたのしませることだよ。」
「だから僕はもっとうまくなって、もっとみんなにたのしんでもらうよ、姉さん。」
 ガンに冒されたことを知らされていない弟は、病室で姉にそう言ったそうである。名優でさえ、このような虚心坦懐なる生き方をしてきたのだ。ましてや、われらのごとき凡愚の徒はなおさらのことだ、と遅まきながらに襟を正してみるのだが。

 ところで私は本書を、新しく出たばかりの再刊版で読んでいるのではない。日本橋久松町にて小体だが品のいい一杯飲み屋「E」を営む女将さんが、店の2階から初版本を取ってきて、わざわざ貸してくれたものである。聞けばこの人、1951年に先代と共に日本橋久松町のこの店を持つ以前は、八重洲あたりで屋台を営んでいたそうな。沢村貞子と同じ、浅草の出身だそうである。しかも吉野町三丁目(現在の今戸二丁目)らしいから、猿若町の沢村貞子とはまさに「ご近所どうし」というシンパシーをお持ちのことだろう。こうした店や本の存在が、今もなお、東京の下町に人の情の厚みを加えているのだと思う。