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1982年9月、西ベイルートのサブラとシャティーラの2つのパレスチナ難民キャンプで3日3晩にわたって続いた大虐殺。ジャン・ジュネは老体に鞭を打ちながら、虐殺終了の翌日にシャティーラ・キャンプに入る。死体、死体、死体。折り重なる死体についての描写。この虐殺の10年前における若きフェダイーンたちとの美しき同行の手記となっている序盤とは、あまりにも対照的な虐殺現場の描写が続く。
明確にパレスチナ支持を晩年の活動ベースにしたジャン・ジュネには、当然のことながら「反ユダヤ主義者」というレッテルが貼られることになった。しかし、ジュネ自身、もし「パレスチナが制度化され領土の要求が受け入れられたときに、私がそれでも支持できるかどうかは分からない。だがそれは大事なことなのだろうか?」と述べている。「大シオニズム」とも評すべき領土拡張主義に対するノンが、そのまま「反ユダヤ主義者」のレッテルに直結してしまうという愚を、私たちの近代は、回避する術を見いだせないままなのである。
いま、「反ユダヤ主義者」のレッテルを貼られて困惑しているもうひとりの人物に、同じ強度のスポットを当てて考察を続行していきたい。『ゴダール・ソシアリスム』の作者に対してである。ジュネからゴダールへ、というのが私の2011年の最初の課題となった。