荻野洋一 映画等覚書ブログ

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婁正鋼(ろう・せいこう)展 @ホワイトストーンギャラリー銀座本館

2020-06-11 05:01:00 | アート
 ホワイトストーンギャラリー銀座本館に、婁正鋼(ろう・せいこう)の個展〈コンテンポラリーアートとして華開く宋元画〉を見に行ってきた。パンデミック以来はじめて訪れた銀座は、当然のことながら以前の華麗さとは似ても似つかぬ、閑散とした街となっていた。

 中国・黒竜江省出身の女性書家・画家の婁正鋼は20歳から日本在住し、数多くの書画を発表してきた。書と絵画を横断し、現代美術と古美術を横断する婁の筆業に、私は以前から魅了されてきた。そしてその訳を、コロナ禍の只中で開催されている今回の個展ではっきりと理解することができた。彼女は西伊豆に隠棲し、食べる・寝る以外の時間はつねに、アトリエにこもって筆を取っているとのことだ。金のためでも名誉のためでもない。ただ、筆を取ることを選び取ってしまう、その静かな狂気に、私は共感する。

 ホワイトストーンギャラリーには数多くの絵画が並んだ。その多くは西伊豆の海を思わせる、波濤のバリエーションに見える。個展名に「宋元画」と銘打っている以上、作者側としてもこれらが山水画であることを認めているということだろう。地形であり、水景である。そしてアンフォルメルの抽象画にも近い。風景であると同時に、作家の精神遊行のみちすじでもあるだろう。つまり脳内地図である。

 そして、もちろん書。絵であることを深く志向しながら、筆の走りによってそれらが書の痕跡を、かえって炙り出しているようにも思える。この様態の両義性、多義性が私を捕らえて離さない。1枚1枚を凝視しているうちに、私は陶磁器の展示を見ている時の自分を思い出してもいた。うつわの中に視線は進入していき、表面の文様を、表面のひび割れを、器体の凹凸を、微小な旅人となって這い回る。そのとき、平面であるはずの婁正鋼の抽象画は、陶磁器の「景色」に変化している。

 〈コンテンポラリーアートとして華開く宋元画〉。たしかに、これは現代美術であると同時に、オーセンティックな宋元の山水でもある。宋元の峻厳なる陶磁でもある。そのように私は理解しつつ鑑賞を進めた。それはちょうど、バッハがバロック音楽であると同時に現代音楽として聴取可能であるような、そういう閾に婁正鋼がいることを、知っていく小旅行のようだった。


ホワイトストーンギャラリー銀座本館にて、6/21(日)まで
婁正鋼 個展〈コンテンポラリーアートとして華開く宋元画〉


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