荻野洋一 映画等覚書ブログ

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東出昌大が高校生を演じつづけることについて PART II

2015-01-06 03:05:18 | 映画
 昨年暮れにアップした拙ブログの記事「東出昌大が高校生を演じつづけることについて」が多くのページビューを得られたことは率直にうれしく思ったが、私自身の筆力のなさゆえ、「違和感は拭えなかった」「作品全体が妙なことになっている」「すべての観客にとって承服しがたい」などとネガティヴな表現をつらねたことは、痛恨であった。
 というのも、ここで論じられた「年齢詐称の映画」というテーゼを、私はまったくネガティヴなものとしてとらえていないからである。くだんの東出昌大は『寄生獣』『アオハライド』と立て続けに制服を着て男子高校生を演じている。そして染谷将太は『神さまの言うとおり』に引き続き、『寄生獣』の主人公も高校生である。ここで見られる「年齢詐称の映画」の系譜は否定すべきではない。
 リチャード・リンクレイターの新作『6才のボクが、大人になるまで。』は、6才の主人公が大学寮に入るために親元を離れるまでを描くにあたって、十数年におよぶ歳月を同じキャストに演じさせている点が画期的であるとして、高く評価されている。主人公を演じたエラー・コルトレーン君は可愛らしい6才児から、どんどんブサイクになっていく大学入学まで、きのままやり遂せている。同監督によるイーサン・ホーク、ジュリー・デルピー主演の『恋人までの距離』シリーズ、あるいは山田洋次の寅さんシリーズが、リアルタイムに経過していく方法をとっているけれども、違いは、『恋人までの距離』や寅さんのシリーズが、そのつど果実を連作として生産したのに対し、『6才の~』が長いタイムスパンを1本の作品に昇華させるという贅沢を享受しえた点にある。
 しかしこれが『6才の~』の最大の弱点でもあるのであり、リアルタイムの撮影法が映画芸術にもたらすものは「リアリティ」ということに尽きてしまうのである。思えば、映画とはもっと素性卑しいものではないか。26才の東出昌大や、22才の染谷将太が涼しげに高校生を演じてしまうという胡散臭さこそ、映画的表現の実相であると思えて仕方がないのである。
 能年玲奈主演の新作ナンセンス・コメディ『海月姫』で見せる池脇千鶴、篠原ともえらの年齢詐称的ブス変装、そして菅田将暉による小嶋陽菜そっくりな華麗なる女装は、もはやダニエル・シュミットやR・W・ファスビンダーの親戚である。これらの年齢詐称、性的非同一、変態的変装を、私は今後とも擁護する所存である。そのかぎりにおいて、『陽だまりの彼女』の映画作家・三木孝浩の最新作『アオハライド』を評価しなければならない。


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