3月12日火曜午前1時2分、梅本洋一が、虚血性心不全で急逝した。
あまりに突然のことで信じられず、自宅のベッドに横たわる梅本さんと対面したが、まるで生きているような、おだやかな、ごく普通に睡眠をとっているような顔を見て、ほんとうに梅本さんは逝ってしまったのか、まだ信じられない。なんだか夢のなかにいるようだ。夢のなかでたくさんの思い出がばっと溢れ出てきて止められない。そしていまなお、梅本さんの運転するプジョーの助手席に座って愉しく語らった日々が浮かぶ。
大学を出てまもない私が梅本さんと出会ったのは、ゴダール『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)の試写のあと、稲川方人さんにつれられて入った新橋のレストランにおいてだった。私は稲川さんの推薦によりその時点ですでに「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」創刊0号に記事を書かせてもらっていたが、初代編集代表の梅本さんに会うのは、この時が初めてだった。梅本さんは未熟な私の記事をものすごく褒めてくれた。東京日仏学院の「木曜シネクラブ」で客席から話を聴く聴衆に過ぎなかった私は、その日を境に、このスーパーマンと深い関係に入っていった。
あれから20余年、毎週打合せで会い、雑誌の執筆と編集で協働作業をし、パリ、長崎、鎌倉など国内外の旅先を共にした。2001年で「カイエ」が終わったあとも、同じ大学で教え、旨いものを毎週のようにいっしょに食べた。ほんとうにすばらしい、美しい時間だった。かけがえのない人だった。私を評価してくれ、私の挑戦、私の挫折、私の地獄、私の立ち直り、そのすべてを見てくれた真の恩人だった。
そして、あれほど停滞なく作業を済ませ、スマートに事を運び、国際的なコミュニケーション能力をもった人を私は知らない。もったいぶった巨匠的な遅さや自己憐憫的な逡巡を嫌い、何事もぱっぱっとすごい集中力で片付けていく人。いつも手本だったし、ちょっとした一言のなかに多大なアドバイスの芽をひそませていた。
つまり、私の人生には不可欠な存在なのである。彼のいない私のこれからの人生というものが、まったく想像できない。本人はじつにさっぱりした人で、大学改革のいろいろなプロジェクトや作業が中断したことはくやしいはずだが、死生観について拘りを見せない人だったから、自分の生の終わりそのものについては「しょうがないじゃん」と、ゴールドのプジョーを運転しながらあっさり言いそうだ。でもなぜ、これほど早く行ってしまったのか? 心臓に持病を抱えていたことは承知の上で、いまは混乱した頭のまま、詮ない問いをくり返すことしかできない。
La beaute de geste、ゴダールなら大文字のタイポグラフィーを画面いっぱいに掲げたであろう、LA BEAUTE DE GESTE。
ひとつだけ言えるのは、geste、これは死者には存在しないもの、生者だけが与えられた特権であることだ。そしてまたgesteとは一回限り、人生と等しく、それは生き直せない、反復できない事柄なのであって、舞踏、マイム、疾走、怒涛、狂騒、性行為の反復においても、繰り返し不可能なこれらの身振りを際限なく反復するのは、あくまでそれが刻みつけられた画面上においてであり、カメラなしには記録できないなにかである。だがフィルムもまた、我々と同じく"死すべきもの"である。それは損傷し、紛失され、焼失され、廃棄され、無数の人々の、無数の人生ー「私はかのやうに生きてきたのです」ーを救うべく、人々の手から手へと貴重に引き渡されたり、ときに無残に扱われるものであった。
フィルムの消滅ーpericulaの消滅の後にも、映画だけが残った。かつてゴダールによって宣言された大文字のCINEMAの死が、"不死のもの"として蘇ったのだ。それは世界中のCINEMACOMPLEXで上映され、YOUTUBEで再生され、不死の特権を思いのままにするだろう。
カラックスがオスカー/アレックスの声を借りてフィルムに別れを告げるとき、ピコリは、それは懐古趣味かと茶化す。老いたアレックスは、より老いたピコリが、死を意識するほどに老いたピコリが生きてきた数々の映画を知っている、その"La beaute de geste"を知っているのだ。そして誰に向けて、と問う。誰に向けて、その行為を行うのか。観る者の視線なしに劇場があり得なかったように、人生もまた、あり得ないのだろうか。オスカーの生きる人生がすべて虚構であるとき、彼は知っているのだ、虚構であると知りつつ、生き延びねばならない辛さ、馬鹿馬鹿しさを。
花を貪り喰いながら暴走するチャップリンの身振りで、『戦場のメリー・クリスマス』でボウイーが演じたマイムの優雅さとは裏腹に、杖を振りかざし唖然とする人々を尻目に、メルド/ドニ・ラヴァンの身体は躍動し、激昂し、暴力的で、それは天から降ってきた災難のように、避けようのないものだ。
一度きりの人生を、どう生きればいいのか、十二分に満足して、死を迎えることは可能なのか。
オスカーによって何度も生き直される架空の人生は、彼の不死身の肉体のように痛めつけられ、接合されては復活し、反復可能ななにかに変換される。そのなにかを支えているのは、還元可能な虚構の生活であり、郊外の邸宅で妻子はいつの間にか、人類と祖を共にする猿と入れ替わっている。
この退行は、猿が人間になることは決してありえないという事実の逆説を表している。アナログからデジタルへの移行が、フィルムの消滅と共にあり得なくなった時点での逆説ーでも進まなければならない、取り敢えずは。カラックスがポエジーの映画から脱却して、スペクタクルをコメディーの中心に置くとき、揶揄されるのはブロードウェイの演出の過剰さであり、モードの滑稽さであり、すべてがアングロサクソン的な文化に吸収されるならそれでも構わないという一種の開き直りであって、我々はこれを涙なしに享受しないではいられない。
梅本 洋一に捧ぐ
コメント欄にはもったいくらいに充実した批評の言葉を当欄に寄せていただいて、恐縮至極です。じつは『ホーリー・モーターズ』は未見なんです。早いところ見ないと話が始まらないですよね。