荻野洋一 映画等覚書ブログ

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さらば、広尾よ (2)人物篇

2010-03-09 04:07:34 | 身辺雑記
 私が活動のベースにしている製作プロダクションが、15年近く本拠地とした東京・広尾のビルを引き払い、今週には原宿本社と北品川分室に分かれて移転することになった。私はおもに、北品川のチームと行動を共にすることになる。
 広尾の街じたいにさして思い入れはないことは前回の記事にも書いたが、まったく感慨がないと言ったら嘘になる。特に今、私の頭に浮かぶのは、2人の故人についての思い出である。安田匡裕、そして相米慎二…。

 本プロダクションの創業者にしてグループの会長でもある安田匡裕は、昨春に脳梗塞で急逝した。私がある夕方、プロダクションの玄関ホールで部下と立ち話する安田とすれ違い、あいさつを交わしたのは、彼が天現寺近くのイタリア料理店で倒れるほんの1時間ほど前のことである。彼はそのまま帰らぬ人となった。
 映画プロデューサーとしては、相米慎二の後期作品のほとんどを支えたほか、是枝裕和、西川美和、篠原哲雄、長澤雅彦といった監督たちおのおののキャリア最上の作品の生みの親となったが、私の意見では、その底辺には結局のところ、相米慎二の早すぎる死が取り返しのつかぬ無念として宿ってしまっていたことは、明らかである。生きていれば今年62歳となり、まさに巨匠の風格を漂わせたであろう相米慎二の不在を、私たちは返す返すも嘆かざるを得ない。

 その相米だが、私の仲間は「なんなの、あの偉そうな人」と私に耳打ちしたものである。それで会議室の方に視線を投げると、オムニバス映画『ポッキー坂恋物語 かわいいひと』(1998)の企画打ち合わせが行われているのが、透明パーティション越しに見える。そこでは、総合監修の相米が椅子5、6個を独り占めし、まるでタイの「寝釈迦像」のごとく頭をヒジで支えて寝そべっているのが見えるのである。たしかにあれでは、映画作家・相米慎二の偉大さ、すごさを他人の口からすり込まれただけの部外者が驚いてしまうのも、無理はなかろう。
 しかし、そんな菓子メーカー主導のオムニバス映画の動向になんの興味も持てない私は、やや不機嫌に自分の作業に戻ってしまった。

 その他、瀬々敬久、大工原正樹、松岡邦彦、榎戸耕史、冨樫森、安藤尋といった監督たちや録音の菊池信之といった日本映画界で現在活躍されている人々が、単発仕事を手がけるきっかけで広尾を訪れた機会をつかまえて親しくお話を交わしていただいた思い出があるし、また、田嶋幸三、小野剛、清雲栄純、フィリップ・トルシエ、三浦俊也、野口幸司といったサッカー界の人々とも、このフロアで多くの言葉を重ねた思い出がある。
 これらの広尾でのたくさんの記憶は、私の内部で結晶化し、一部はこうしてブログでひけらかされ、他の多くは内部で意味を付加されずに堆積を続けることになる。


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