荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『アメリカから来たモーリス』 チャド・ハーティガン @東京国際映画祭

2016-11-26 10:45:11 | 映画
 ドイツ在住のアメリカ人父子(アフリカ系)の生活をぼつりぼつりと語る。ドイツにおける黒人というと、ファスビンダー映画の初期を飾った黒人俳優ギュンター・カウフマンを即座に思い出してしまう。しかしそれもあながち的外れでもなく、21世紀になった現在にあっても人種差別の根は張っており、本作の舞台となる大学都市ハイデルベルクではそれが顕著であることが窺われる。どこまでリアルな描写かはいざ知らず、本作における中学生たちの蒙昧な黒人差別はヘドが出るほど無邪気なレベルである。ヨーロッパでさえ、まだこんな蒙昧さに留まっているのだ。マックス・ヴェーバー、ルカーチ、エーリッヒ・フロム、ハンナ・アーレントが若き日に学びを得たこの大学都市であってさえそうなのかと、暗澹とせざるを得ない。
 しかし、この映画の主人公である13才の黒人少年モーリス(マーキーズ・クリスマス)がひたすら鬱屈し、内向していくのは、町の人の差別によってではない。誰かと仲良くしなければいけないことへの鬱屈であり、アメリカ黒人ならバスケットボールが上手いはずだという紋切り型の期待への嫌悪であり、レイヴパーティの脳天気なEDMでぴょんぴょん跳ねて浮かれるドイツの若者に対する、ラッパーとしての圧倒的な優越意識ゆえなのである。実のところモーリスは人種差別に対し、美的感性レベルの差別で復讐している。本作の原題は「Morris from America」という、アルバムタイトルのようなフレーズだが、じっさいにはそんなクールなものではない。モーリスのラッパーとしての道は、結局この映画の中では成功までは達せず、その端緒についたにすぎないように思える。
 見知らぬ土地であるフランクフルトで迷子になったモーリスを、父親(クレイグ・ロビンソン)が車で迎えに行くラストが、じつに素晴らしい。父親が留守にしていたのは、保守的なハイデルベルクを出て、より自由なベルリンに職を求めるためである。父はモーリスに対し、お前が少年時代にハイデルベルクで孤立し、侮辱されているという経験は、将来お前がアーティストとして身を立てるための重要なアドバンテージになるだろうと慰める。そして、父がなぜアメリカからドイツに来たのかを説明しはじめる。ドイツ美術史を学ぶため留学中のミュンヘン大学から夏休みにアメリカへ里帰りしたお前の母さんに私は恋をし、彼女にまた会いたい一心で、お金もないのにドイツに渡ったのだという説明である。
 若くして逝き、今はもうこの世の人ではない、おそらく素晴らしい優しさと知性と美貌の持ち主だったらしい黒人女性への思慕を吐露する孤独な中年男と、迷子になった息子の、車中におけるカットバック。その慎ましく簡素なカットバックのあまりの美しさによって、独米合作であるこの映画が、やはりアメリカ映画の側に属するということに、思いを致さずにいられない。


東京国際映画祭2016〈ユース〉部門にて上映
http://2016.tiff-jp.net/
*写真は映画祭事務局に掲載許諾を得て使用しています


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