荻野洋一 映画等覚書ブログ

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今福龍太 著『ジェロニモの方舟』

2015-04-04 07:22:49 | 
 反アメリカでもなく、汎アメリカでもない。500ページを超えた大著『群島-世界論』(2008)の補遺として書き継がれた今福龍太の新著『ジェロニモの方舟』(2015 岩波書店)は、〈叛アメリカ〉を説く。19世紀ヨーロッパの植民地主義を引き継いで帝国主義のあらたな形を体現する超大国に対する文化地誌的〈叛乱〉のカタログ作り、この作業がこれほどの興奮を読む者にもたらすとは。
 2011年5月はじめ、全世界メディア空間に大きく「ジェロニモ」の文字が躍った。「アメリカ大統領による、白人抵抗戦に身を投じたこのインディアンの伝説的闘士名の突然の招喚は、それが9.11以後のアメリカ国家の対テロ戦争の最終的標的を指す暗号名でもあったという事実によって、特別の寓意の力を示しているように私には思えた。」(本書27ページ)
 米大統領バラク・オバマは勝利演説の際、作戦コードネームの解釈に初歩的なミスを犯している。オバマは「ジェロニモは殺された」、つまりジェロニモはウサマ・ビン・ラディンのことを指していると勘違いしたのだ。しかし、アメリカ軍はビン・ラディン掃討作戦そのものを「ジェロニモ」と名づけていたのである。太平洋戦争において日本をやっつけるB29機のパイロットが「ジェロニモ!」とみずからを鼓舞したときと同じオプティミズムを、黙示録的な現代戦争でもなんとか維持せしめんとするアメリカ軍司令部の涙ぐましいネーミングを、オバマはじつにナイーヴに取り違えてしまったのである。
 先住アメリカンのチェロキー族の偉大なる闘士ジェロニモ。この名は本書のなかで象徴的意味を帯びつつ、さまざまなコンテキストにおいてとぎれとぎれに招喚されることになる。
 マルティニークの前衛トランベッター、ジャック・クルシル。パキスタンの神学者でバシュトー語詩人シェイク・アブドゥラヒム・ムスリム・ドスト。キューバの映画作家トマス・グティエレス・アレーア。ハイチ元大統領ジャン=ベルトラン・アリスティド、18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソー、ユダヤ系ドイツ人哲学者ギュンター・アンダース、トンガの人類学者・ユーモア作家エペリ・ハウオファ、写真家・東松照明の撮った長崎の原爆投下時に止まった時計の針、チリの詩人パブロ・ネルーダ、ユダヤ系アルゼンチン人作家アリエル・ドルフマンなど、少なからぬ「群島」的存在が招喚され、〈叛アメリカ〉の紐帯のもとで語られる。その中にはアメリカ自身の象徴的作家マーク・トウェインも含まれる。その反骨と抵抗についての記述は熱を帯び、こう言ってよければ無類の美しさを放っている。
 そして読者としての私にとって、本書のクライマックスをなすと思われたのは、オーソン・ウェルズ未完の大作『イッツ・オール・トゥルー(すべて真実)』について書かれた第8章「ブラジル、筏舟の黒いジェロニモ」だ。1936年のニューヨークはハーレム、たった20歳の若者がオール黒人キャストで『ヴードゥー・マクベス』を演出し、物議を醸す。その5年後に『市民ケーン』で一世を風靡したこの若者は、アメリカ政府の正式な文化大使としてブラジルに降り立ち、『イッツ・オール・トゥルー』の製作に取りかかる。「筏に乗った4人の男」のパートを撮影中、メインキャストが水死するという起きてはならぬ事故が起こる。この未完に終わった大作を、ウェルズが完成させようと死ぬまで悪戦苦闘したことはよく知られている。それは海難事故で失った「ブラジルの友人」の遺志に報いなければというウェルズの悲壮な思いのためである。
 本書を読みながら、私は『アメリカン・スナイパー』のクリント・イーストウッドを、ジェロニモの系譜に加えてよいものか、逡巡せざるを得なかった。ビン・ラディン掃討作戦の一端を担った狙撃手を描いたとなれば、まさに上記のコードネーム「ジェロニモ」そのものが写っている『アメリカン・スナイパー』ではある。しかし銃口の向こう側、標的に写るイラク側のもうひとりのスナイパー、ムスタファとクリス・カイルが完全に鏡像になり得ていない。
 かつてゴダールは、アメリカを憎んでやまぬ自分が、それでも『捜索者』のジョン・ウェインがナタリー・ウッドを抱き上げるショットの美しさに抵抗できないのはなぜなのか?と自問した。このゴダールの問いをいま反芻するとき、イーストウッドをオーソン・ウェルズに次いでジェロニモの群島に招喚するのは、いかにも時期尚早だというのが、私の現在の結論である。同じキャストでもう1本が必要なのではないか。いや、もはやそれはイーストウッドの仕事ではないのかもしれない。全世界の映画作家がムスタファの物語をどう映画として定着しうるかということではないか。


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1 コメント

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『アメリカン・スナイパー』 (中洲居士)
2015-04-05 09:51:53
『戦略大作戦』も『ファイヤーフォックス』も『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』もそれぞれの水準に応じて、私もかつて公開当時は(『戦略大作戦』のみテレビです)戦争映画=良質なアクション映画として大いに楽しんだものですが、もうそういう時代ではないという認識です。アメリカ本国の方々が『アメリカン・スナイパー』をどう見ているかは知りませんが、それは知ったこっちゃない、というのが私の現在の心境です。青山×阿部×蓮實の『文學界』鼎談はそういう私の心境とは異なると予想しますので、後出しジャンケンを避けるために、発売前に態度表明することとしました。
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