荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『レ・ミゼラブル』 トム・フーパー

2013-01-18 02:02:03 | 映画
 女工ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)が「♪夢やぶれて」を歌うカットが典型的な例であるが、とにかくクロースアップで押してくる。オリジナルの舞台版はロンドンではバービカン・シアター、東京では帝劇というふうに千人を超える大劇場での上演が基準となるから、クロースアップが映画版のアドバンテージになるという考えが監督のトム・フーパーにあるのは明らかだ。
 このサイズですぐに気づくのは、歌い手のわずかなブレス、嗚咽、ビブラートさえも画面と音声がシンクロしていることだ。ひょっとしてこの作品は同時録音で撮影されたのでは、という疑問が生じる。聞けば、やはり同録だという。現代映画のドラマ部分はたいてい同録で撮影されるが、ミュージカルのパートでは同録は用いられない。「プレスコ」といって、まず音源となる楽曲だけを先行して完成させ、撮影時はスタジオ内でこの音源を大音量で流しながら、演者には「口パク」で演じてもらうのが通常だ。過去のミュージカルから現代のMTVまで、多くがこの手法で製作されている。ところが本作は同録を導入したため、「プレスコ」撮影よりも、ややもすればカットが長くなるのは必定だ。間延びを思い悩まないことがフーパーの命題となった。フーパーはおそらく、『ムーラン・ルージュ』(2001)の軽薄さから遠ざかりたかったのだろう。
 単純な技術的疑問として、現場で流されるカラオケのスコアをどうやって消去したのだろうか。上から単に伴奏トラックをかぶせれば、現場で拾ってしまうカラオケノイズとシンクロしてくれるものなのだろうか。つまり、ボーカルオンリーのトラックが存在しなくても、うまく成立してしまうものなのか。ア・カペラで歌う役者をまず撮影し、画面に合わせて伴奏トラックを事後処理で作成するという方法もなくはないが、そのあたり識者に訊いてみたいところではある。
 革命に失敗し、ひとり生き残った主人公の娘のボーイフレンド(エディ・レッドメイン)が、仲間の溜まり場だったカフェで淋しく歌う「♪カフェ・ソング」の場面は脆弱。革命に殉じた仲間たちをよそにひとり命拾いした末に手に入れる家庭の幸福とは、かくも大いなる恥辱でもあるという志士の無念を、作品はもっと強力に提示しなければ、いくら最後に無名の志士たちにオマージュを捧げたところで締まらないのではないか。


TOHOシネマズ日劇(東京・有楽町マリオン)ほか、全国で公開中
http://lesmiserables-movie.jp


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