ちかさんの元気日記

辛いことを乗り越えて元気に生きている私“ちかさん”の
涙と怒りと笑いの介護記録。

ケイコ日記ーその13

2017-12-14 01:38:07 | 日記
ケイコは作話の名人。
自分がピンチに陥ったとき
瞬時にわが身を守るためのストーリーを展開する達人である。

注:作話とは、自分で体験しなかったことを
あたかも本当に体験したかのように詳細に語る精神症状。
アルコール精神病や老年精神障害でみられることが多い。

朝食後(あるいは朝食中)
食堂近くの共同トイレに駆け込むことの多いケイコ。
夕食はご飯の大盛りを平らげ
夜中は冷蔵庫をあさって果物やお菓子を食べている彼女の腸は
翌朝、見事な便意をもたらしてくれるのである。

(便秘症の高齢者が多い中、なんて健康なバアチャンか…)

今朝もやってくれた。

ケイコが共同トイレに入ったぞ!

その報を受けた職員はすぐにマスクとグローブを装着して駆けつけたが
時、すでに遅し。
トイレの場所はわかるが
どうやって排泄したらいいかわからなくなっている彼女は
ズボンを脱がずにふたが閉まったままの便器に座り
ダーッ!と勢いよく便を放ってしまったらしい。

職員が共同トイレのドアを開けたとき
己の失態を処理しようとしたケイコによって
便座のふたも、床も壁も
そして彼女の靴も手も
便まみれになっていたのであった。

現場に突入した職員と目を合わせても
ケイコはあわてることなくこう言った。

「今、女が逃げていきました。
背の高い、黄色い服を着た女です。
私はオシッコをしようとしただけなのに
あの女が突然入ってきて
ここを、こんなに汚したんです!」

いきりたって話すケイコが「ここをこんなに汚した」と指差したのは
太ももまで引き下げられた、便だらけのリハパンである。

はい? なになに
ほう、黄色い服を着た女が乱入して
アナタ履いているリハパンにウンチをしていった。
と、そういうわけですな?

「そーなんです!
ひどいでしょう? もうイヤになっちゃう。
でも、悪い子ではないんです。
あの子は一生懸命生きているのにお兄さんが悪い男で
あの子をそそのかして悪さをさせるんです」

ケイコの作話を延々聞きながら
共同トイレの汚物処理に追われる私たち。
イヤになっちゃう!は、こっちの台詞だ。

作話の天才・ケイコ。

アナタの排泄処理は、いくらでも引き受けよう。
便まみれになったって、それはこっちの商売だ。

でもさあ
どうせ作話するなら、もっと夢のある話を作っておくれよ。

どうしようもない一句。

ああケイコ、今日も作話に、はなサクワ。


求人。しかしアナタは求めておりません。

2017-12-04 23:38:04 | 日記
募集しても募集しても、登録ヘルパーさんの応募がない。
少ない人数でどうにかこうにか回している状態だ。

求人広告でもダメ、求人チラシのポスティングでもダメ。
だったら古典的に
建物の前に貼紙をしたらどうか、どういうことになった。

募集要項を貼紙にして
その下のポケットに連絡先を記したカードを10枚ほど入れて
興味のある人はカードを持っていってください、というわけだ。

開始間もなく、カードが一枚、二枚と抜き取られるようになった。

反響あったみたい! この作戦いいかも!

ついにポケットは空になり、カードを補充。
それもまたどんどん減っていき
すごいね、この作戦。
求人広告にお金かけるよりずっと効果的だわ、と
事務所では喜び合ったものだった。

しかし、そのわりに応募がこない。
問い合わせの電話すら、ない。なぜ?

その理由が、きのうわかった。

登録ヘルパーのN子が認知症・サナエの部屋を掃除に行ったら
そのカードがたくさん出てきたというのだ。

サナエさん、これ、どうしたの?

もちろん、聞いてもまともな答えは返ってこない。
反対に
「なあに、これ? 誰が持ってきたの?」
と、質問されたそうだ。

サナエよ
求人カードを持っていったのはお前だったのか!?
サナエよ
お前はウチのヘルパーに応募する気だったのか!?

一句。
認知症、行動目的、謎の謎。

はしだのりひこ様へ

2017-12-03 00:03:43 | 日記
ザ・フォーク・クルセイダーズのはしだのりひこさんが亡くなった。

彼らがデビューしたのは1967年。
曲は「帰って来たヨッパライ」である。

♪おらは死んじまっただ~、おらは死んじまっただ~

へんな歌~! だけど面白~い!
当時小学校3年生だった私は
ミリオンセラーとなったこの曲を友だちと繰り返し歌ったものだ。

そのあとにリリースされた「イムジン河」は政治的な理由から
発売中止となってしまったが
「悲しくてやりきれない」で再び大ブレイク!

昭和歌謡どっぷりのテレビに突如現れた学生バンド“フォークル”。
そのスタイルも曲も
少女時代の私に鮮烈な記憶を残すことになる。

メンバーの
加藤和彦さんは解散後も音楽プロデューサーとして活躍し
2009年に逝去。
当時医大生であった北山修さんは
解散後、医師の道を歩み続け
現在もご健在であるらしい。

そう、この2人は本当にかっこよかった。
小学生の私からしたら
知的でカッコイイお兄さんという
新しいジャンルの歌手だったのだ。

しかし、そこに一人、気に食わないメンバーがいた。

それが、きのう亡くなったという
はしだのりひこさんである。

真ん中で歌っている、チビでおかっぱ頭の不細工男。
あれ、なんなの!?
歌も下手だし、ハッキリ言って邪魔だよ~!

その思いを抱き続けて、今に至る。

けれども今日その訃報を聞き
彼が解散後につくったバンドでヒットさせた曲
「花嫁」や「風」を思い出す。
どっちも名曲。今でも歌詞カードなしで歌えるだろう。

今、とってつけたように
かっこよかったです、とか、歌声に惚れました、とか
そんなこと、言いはしない。

でもあなたが何等かの形で参加したバンドの曲は
どれも名曲で、心に刻まれていて
ギター少女だった私の教本で・・・

だから
あれから50年の月日を経てオバサンとなった私は
アナタの訃報に際し
“ありがとう”の言葉を贈らせていただきます。