入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(52)

2024年04月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 霧は一向に晴れようとしない。きょうも曇天。鳥の声はせず、権兵衛山は姿を見せてくれない。静かだ。何もないようでいて、しかし全てがここにある。湯を沸かし、珈琲を喫す。いい朝だ。

 昨日はガスの使用前点検やその補充のために下から人が来たり、森林管理署からも伐採した木材の搬出路の打ち合わせがあったりと、そちらの対応にも時間を要した。きょうも富士見の役場の担当者が来たり、森林管理署のこの地域を管轄する担当官が来ることになっているが、肝心の伊那側からは農協も、行政も何の沙汰もない。
 農協の担当者からキャンプの問い合わせがあった際に、開山日を前にカンカラ拾いに駆り出されるくらいなら、そんなことはしないでいいから小屋を開ける日ぐらいは手伝いに来いと言ってやった。カンカラなどは常に拾うようにしているから落ちてなどいないはずなのに毎年まいねん、一体誰に気遣っているのだろうか。

 昨日の話に戻るが、下から来て貴婦人の丘の前を過ぎると、道路は大きく曲がる。その手前に1本のミズナラのかなり太い枝が行く手を遮るように斜めに延びている。通行には支障ないが、それでも視界を窮屈にするようで前から気になっていた。
 夕方、霧雨は降っていたがそこへ行ってしばらく思案し、思い切ってチェーンソーの歯を入れてみた。そうなれば後は一気呵成に伐り進み、伐り落とされて道路に寝ながまったような大木を、たちまちのうちに切り分け、片付けた。通行車両のことを考えてそんな時間を選んだのだが、そんな気遣いも無用に済んだ。

 山を歩く人たちは誰が登山道を整備しているかなど気にしない。かく言う自分もそうだった。同様に、牧場内の道路へ徒長した枝を処理していることなど誰も気付かない。
 こうした仕事は誰かに強いられてやっていることではなく、完全な自己満足である。登山道の草刈りや整備もそうである。しかし、それでもその満足は捨てがたく、苦労、努力の後に自分でスッキリとした空間を眺め、労うことで何の不足もない。
 大型バスなど来なくて結構だし、都会の公園と同じような観光地なら、なくてもいいと思っている。
 ただし、こうした気持ちを持つようになるにも時間、経験が必要で、山の暮らしの中で考えたことだと思う。今だその修行中。

 混雑させないキャンプ場ながら、まだ連休前半の予約は大丈夫です。お早めに。
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 本日はこの辺で、
 

 


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