入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(38)

2024年04月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 春の宵の艶めかしさをようやく感ずる季節になった。他方、季節に先駆け清楚可憐な花を咲かせたユキワリソウも、散り急ぐ梅の花とともに花の季節の終わりを告げた。それでも根元には、みずみずしい新緑の若葉が生育しつつあり、来春はさらに多くの花を咲かせてくれるに違いない。
 枯れ葉の中に隠れていたイカリソウの新芽がいつの間にか花を咲かせ、オオウチワもまた親指大の芽を見せてくれるようになった。
 きょうの写真は2年前の4月1日に撮った再録で、場所は福与城址。今年の春がいかに遅いかが分かる。


 あまり意識することもなく過ごしてきた冬ごもりも、残り半月となった。振り返ればいつもながら思い漠々、消えかけた夢の反芻でもする気分で、日常とはそんなものだと凡夫の言い訳をするしかない。
 散歩の通算距離も前々年、前年と比べて格段に落ち、入笠以外に一度たりとも遠出することはなかった。4か月前、契約期間が切れるというので、「お守りだから」などと言われ車両保険を更新し、もうすぐ牧へ生活の中心を移せば農協から貸与される軽トラに乗る。車も保険も用がなくなる。
 
 こうしてみれば、この5か月はまったく「炬燵の虜囚」そのままであり、放牧された牛さながら狭い範囲の自由を玩(もてあそ)び、無為に近い日々を繰り返した。
 ただそれでいて、毎日まいにち翌日を待って暮らしていた。午後になり、さらに日が傾き、そして一日を閉じる儀式が終われば、もうその日には用がなくなり、読み終えた本の次を探すように、翌日が欲しくなる。翌日も変わぬ日々であると重々承知の上でそう思ってきた。

 突然話は変わるが今、20人分を超えるカレーを作っている。昨日のうちに鶏がら入りのスープを準備し、朝から多量の玉ねぎを炒め、それを使って煮込んでいるところだ。この後、下ごしらえをして一夜寝かせた豚肉と勝負し、さらに煮込む。
 料理を供するのは明日だが、3年やった「CAMP ONE」が、一度も黒字にならなかったのは味ではなかったことを、今年も口うるさい面々に思い知らせてやらねばならない。
 なお、昨年は大好評で、それで今年もやることになったのだが、その中にいた2名、FMZ君とSADA君はいない。
 
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 本日はこの辺で。

 
 
 

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     ’24年「春」(37)

2024年04月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 異常気象、地震、自然災害が頻発する。紛争、テロも起きている。この惑星、地球はそれほど安全な星ではないのかも知れない。もっともその原因の多くは、癌細胞にもなぞらえるわれわれ人間のせいだという見方もある。
 この広い宇宙には、人間のような、それがどれほどのものかは措いて、一応知性を持った生命体とは違った、植物の段階で生命の進化が止まってしまったような星もあるのだろうか。

 そんな他愛ないことを想像しながら、いつもの朝のようにわが家のカタクリ、ボケの咲き具合を見にいって、珍しいものを見付けた。そういう生き物がいることは知っていたが、間近で目にしたことは多分なかったと思う。
 カタツムリである。殻から顔を覗かせていたが、近付いたたら首から先を引っ込めてしまった。
 先程あんなことを呟いたから、生きとし生ける物はいずれは進化の梯子を上り出すゾ、という天の啓示だろうか。



 ある県の知事が、新しく採用された職員の前で行った発言に問題があったということで、辞任するという騒ぎになった。問題とされた発言部分に、県庁で働くような人は優秀であり、「牛飼い」や「物を売ったり」するような仕事とは違うという意味の、いわゆる職業における差別発言をしたというのだ。
 それに対して報道する側はナントカの刃を振るっていたが、それも彼ら、彼女らの職業上の立場ではなかっただろうか。

 畜産の末端にいる者として一言するが、ではそう言われた「牛飼い」たちが、報道する彼ら彼女らほどに心乱れたかといえば、さてどうだろうか。
 職業上の差別はあるし、その仕事に満足できず辞めたいと思う人はあらゆる職種にいくらでもいるだろう。もちろん「牛飼い」の中にいてもおかしくはない。
 しかしそれと同様、その仕事にやりがいや、誇りを持ってやっている人たちもやはりいくらでもいる。そういう人たちは、発奮したのではないだろうか。

 むしろ、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる報道陣に白けてはいなかったか。あの知事と同じように、彼らも牧畜についての知識は同程度だろうし、同じ目線で、しかし話題にするには面白いからと騒いだように受け取れた。
 しかし、牛を飼うということは相当の学習、知識、経験、体力が必要で、しかもその努力をずっと続けていかなければならない仕事である。確かに困難、苦労の多い仕事だが、別に県庁で働く人たちと比べて、牧畜に携わる者が差別や卑下されたなどとは思わないのではないか。
 言い過ぎを怖れずに言えば、そんなお役所的な感覚、報道感覚で牛を飼っていたら、A5の牛肉などとても生産できまい。
 本日はこの辺で。
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