入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「秋」 (3)

2019年09月04日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 小入笠の頭にいたら、入笠の山頂から賑やかな子供たちの声が聞こえてきた。恐らく学校登山で来たのだろう。入笠山も昔のことを思えば大分変った。果たしてきょうの入笠山登山が、彼らにとってどんなふうに記憶されるのだろうか。
 
 入笠へは高校1年の時に初めて学校登山として、中央線の青柳駅から歩いて登った。当時は便利なゴンドラなどなかったから登山者はそうするしかなく、今のように小学生どころか幼稚園児までが登る山ではなかった。
 ただ、その時の記憶となると断片的なもので、このことは以前にも少し呟いたがマナスル山荘の玄関と、ヒルデエラ(大阿原)を歩いた時の一瞬の情景しか覚えていない。当然山頂へも行ったのだろうが、その記憶は全くない。中学2年の時に登った中アの駒ヶ岳登山もそうだったが、200人近い生徒が何故あんなゴシタイ(「疲れる」の意)ことをしなければならないのかと、道中はずっと不満ばかりをかかえていた。
 それがどういうことか、翌年にも駒ヶ岳に登った記憶がある。それどころか、高校では山岳部に所属し、もっぱら駒ヶ岳を主としたが、八が岳や南アの仙丈、北アの燕岳や穂高へもと山域を広げた。ただし今から考えれば、高校山岳部のレベルとしては殆ど大した評価はできないと思う。
 学生時代の4年間は山にも行かずもっぱら悶々として過ごし、社会人になってから都会から押し出されるようにして山を再開した。今度はかなり真面目、真剣だったと思う。そんなこともあって、今のこんな仕事に結びついたとも思っている。
 それで、果たして自分のかつての山の日々は熟成し、旨酒の芳香を放つようになったのだろうか。否である。残念ながら否である。ある時まであんなに一途に山に登り、攀じり、しかしそういう記憶は煙のように薄れ、あまり懐かしさを持って甦ってはくれない。何故だろうかと自分でも不思議だが、もしかすればまだ細々とこんなふうに山の日々が続いているからかも分からない。であればそれを知るのはこの牧場を去った後のことになるだろうが、先の短くなってからの宿題として、それでいいと思っている。


     「小さな秋」

 明日は撮影があるのに、支度部屋の軒先に大きなハチの巣が見付かった。頼んだ蜂捕りが来るまで、きょうも帰れない。

 営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。

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