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宮代NOW(GOOな情報)

埼玉県宮代町及び周辺のGOOな情報。

野口雨情詩碑公園(茨城県北茨城市)

2013年10月21日 17時27分18秒 | gooな場所

 

こんな案内を見つけた。
つい先日、「とおりゃんせ」の発祥の地である川越の三芳野神社を見てきたばかりなので、どうやらここのところ童謡になにかの縁があるらしい。
 


場所は常磐高速道の中郷SAである。
 


たまたまここでトイレタイムになったからであるが、そうでなければこれは発見できなかったと思う。
野口雨情は、ここ北茨城市に生家があるのだという。
 


足元の案内に沿って行くと、詩碑公園である。
 


♪ あーぁおい めーをした おにんぎょはー ♪
 


つい口ずさんでしまうから不思議である。
 


知っているようで知らなかった、雨情の故郷は茨城県北茨城市ということ。
 


トイレ休憩は15分。
集合時間までの残り7分で見て回るつもりである。
 


♪ あかいくつー はーいてたー ♪

紅い靴を履いていた女の子を連れて行ったのは、「曾爺さん」ではなく「異人さん」だという事を知ったのはこの歌を唄ってからかなり後のことである。
 


左から右へ
♪ キンコンカンコンキーン ♪
おーっ、たしかにそのメロディーである。
 


きれいに整備された園内を、残り時間を気にしながら奥へと入る。
 


♪ あめふーりー おつきさーん くものーかぁげー ♪

これも雨情であったのか。
 


もー少し奥の方まで見て回れそうだ。
 


♪ しゃーぼんだまー とんだー ♪

唄い出しは、楽しく唄いだしてしまうのだが・・・
 


♪ しゃぼんだま きえた とばずに きえた ♪
♪ うまれてすぐに こわれて きえた ♪

ここのところは、楽しく弾むようには唄えないところ。
人の子の親ならばなおさらのところである。
 


思いがけないところで、
思いがけずに出会った、
思いがけない先人の、
思いがけない詩碑。
駆け足ではなく、ひとつひとつゆっくりと口ずさみながら見て回りたかったものである。

 

(写真と文 by pokkunさん)


三芳野神社(埼玉県川越市)

2013年10月16日 16時33分02秒 | gooな場所



川越市にある三芳野神社
 


入口の碑には伊勢物語にでてくる歌が刻まれている。
「我が方によると鳴くなる 
       三芳野の田面の雁をいつかわすれむ」
ここ川越の地名は、昔々は「入間の三芳野」だったそうな。
 


♪ とおーりやんせ とーりゃんせ ♪
 


♪ こーこは どーこの ほそみちぢゃー ♪

ここでこの童歌を唄うのには訳がある。
 


じつは、この参道が童唄「とおりゃんせ」の発祥の地なのである。
 


♪ てんじんーさまの ほそみちぢゃー ♪
 


♪ ごよーの ないもの とおしゃせぬー ♪
 


♪ このこの ななつの おいわいにー ♪
 


♪ おふだを おさめに まいりますー ♪
 


♪ いきは よいよい ♪
 


♪ かえりは こわいー ♪
 


♪ こわい ながらもー ♪
 


♪ とー おー りゃんせー ♪
 


ちなみに、この神社は川越城跡に今も残る本丸御殿の正面に位置している。

♪ とーー りゃー んー せーーー ♪

 

(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(45)・神明神社

2013年10月04日 21時44分06秒 | gooな場所

大宮第一調節堰から見沼代用水を下ること1分。
距離にして100mもない所である。
右岸の道沿いに鳥居が見えてくる。




白い鳥居はまだ新しく平成23年の建立。



鳥居をくぐり、正面から見る拝殿。
階段を上る手前右に二つの石があるのが目に止まった。



力石だろうか?



近くでよく見ると、「享保十一年丙午九月」とある。
この年は丙午(ひのえうま)だったらしい。
次に書かれている「三五メ目」は、この石の重さで三五貫目ということだろうか。
もしそうなら、やはり力比べの力石である確立が高くなる。
 


もう片方の石のほうにも何か書かれているようだが、私の目では読み取れなかった。



神明神社の歴史の案内板には、小深作村の名前の由来から説明されている。



階段を上って拝殿を正面に見る。
何かが足りないような気がするのは狛犬が置かれていないせいか。



左側から見る拝殿と本殿



回り込んで本殿を仰ぎ見る。



左後ろからみる本殿



右後ろからみる本殿



拝殿と本殿を一周して拝殿正面にもどる。



見沼代用水に戻りかけた時に鈴の音が聞こえた。
振り向くと、近くに住んでいる人だろうか、ちょうど今お参りに来たところのようであった。



拝殿を背にして、見沼代用水にもどる。
といっても鳥居のすぐ向うが見沼代用水である。
下流側すぐの所に見えている橋は「神明橋」である。



(写真と文 by pokkunさん)
 


武蔵松山城址

2013年09月30日 19時22分29秒 | gooな場所



吉見百穴の南隣の山は、山そのものが武蔵野国松山の城跡だという。
 


上杉、武田、北条の争奪戦。
戦国末期に豊臣氏により落城・・・・

 

山の西側(画面左下)から本丸を目指す。
 

先日までの雨のあとが残っている道を上へ上へと本丸を目指す。

 

かなり急な道である。
道というより沢というのかも知れない。

 

休み休み登ること15分。
やっと着いたのが本丸の跡地。
 

かつて本丸であったということを示す、
案内板がなければ誰もそうだとは思わないだろう。
 

本丸の中ほどから西を見る。

 

眼下に広がるのは、東松山市内の駅方面の景色である。

 

昇り始めたのは西側(画面左下)からなので、最初に着いたのが本丸(本曲輪)なのである。
西には市野川、東松山市内。
北には吉見百穴(埋蔵文化センター)がある。
 

本丸から北東に向かうと深い堀があった。
その向こう側には平地が見える。

 

二ノ曲輪と書かれた杭がなければ、
ここが二の丸だった所とは気付かない。
 

さらに堀を下って、また上って・・(これが結構きついのだが)
 

三ノ曲輪
 

さらに堀を下りて昇って四ノ曲輪。

この武蔵松山城址は国の史跡である。
しかし、本丸も二の丸も草茫々で目印がなければそれと分からない状況である。
が、そのほうが来る人が少なくて史跡保存のためには良い事なのかも知れない。

 
(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(44)・大宮第一調節堰

2013年09月19日 21時12分17秒 | gooな場所



ここから下流側は住宅地ということもあり、橋と橋との間隔が近い。
海崎橋から次の橋までわずか1分。



入山橋には水道管も併設されている。



水道管との隙間からは、
すぐ下流側の橋がすぐそこに見えている。



数十mで諏訪橋。



さらに下流にある膳棚橋(ぜんだなはし)までもおよそ1分である。



さらにそこから約1分で中島橋。
ここで、右岸側の住所が見沼区春岡に変わった。



橋のたもとにあるゴミの集積所が、妙に住宅地の生活感を醸し出している。



中島橋から下流へ数mの右岸にある案内板。
ここは大宮市(現さいたま市見沼区)深作で、上流の利根大堰から36Kmのところ。
そして、下流側の川口グリーンセンターまで
17.9Kmであることを示している。



つづいて稲荷台橋。
右岸側の住所は見沼区春岡である。



道に覆いかぶさるクズの花の下を、さらに下流へと右岸側をひたすら進む。

どこにも橋の名前が書かれていない、いわゆる名無橋である。



また橋があるのか、と思ったのだが脇に小屋があるので橋とは違うのかも知れない。



近づいてみると、やっぱり橋ではなかった。



沼代用水路が、二つに分けられているようである。



しかし、下流側ではまた一つになっている。
これでは流れを二つに分ける意味がないのではないか。



この施設は大宮第一調節堰であった。
一つの流れを複数に分ける分水工ではなかった。



ここでは、流れを分けているのではなく、堰を調節することで流れを調節しているとのこと。
海崎橋からここまで六つの橋があったが、おおよその距離は400mぐらいであるから、400÷6=66mほどの間隔で一つの橋がある計算。
暗算でも計算ができたので気持ちよく下流へと下る。

 

(写真と文 by pokkunさん)


吉見百穴

2013年09月12日 19時46分10秒 | gooな場所



市野川を右岸から左岸へ渡ろうというところ。



場所はここ。
東松山駅から真直ぐ東へ40分ぐらいの所。(地図中央の②のちょっと左の所)

橋の真中を過ぎると吉見町。
百穴に行くには左に曲がれと言っている。
ここに来る事になったのには訳がある。
吉見百穴は、ホントは幾つの穴があるのか?
その検証に来たのである。



吉見百穴は国の史跡に指定されている。
そのために入場料をいただくのだと言う。
ついでだが、百穴は「ひゃっけつ」ではなく「ひゃくあな」というのが正しい読みだという。



入場料は300円。



これはこれは驚いた。
ひと山全部が穴だらけである。
が、ひとつひとつ数えなければならない。



この穴の数を数えるのは容易ではなさそうだが・・・



穴の数を数えながらも、さらに聞かれそうな事柄も暗記する。



山の上へと階段を昇る。



こんなことも聞かれそうなので読んでおく。



さて、数えたのは幾つまでだったか?



64だったか55だったか。
いや、60は超えたような気もする。



そうこうしているうちに、中腹より少し上あたりに到着。
東松山駅方面がよく見える。



ベンチに腰を下ろして小休止。
何気なく見たパンフレットで大発見。
なんと、穴の数は219個であると書かれている。
わざわざ数える必要などなかったではないか。
まぁまぁ、なにはともあれ、これが分かれば一安心。



穴の数は分かってしまったので、これから先はのんびりと見て回ることに。



戦時中は軍需工場として使われたという。



中へ進むにつれて、だんだん涼しくなってくる。



数十m進んだところで分かれている。
まだ奥へ進むのは可能であるが、背筋が涼しくなってきたので無理をせずに外に戻る。



数える必要がなくなったので気が楽である。



別なルートからもう一度山に登る。



もうすでに電柱より高い。



こんな急な斜面に、



はるか太古の昔に、



よく穴を掘ったものだ、と思う。



だが、貴重な史跡だというのに落書きをするお馬鹿さんがいることは残念である。



今日、ここに来て分かったこと。
吉見百穴の穴の数はホントは219個。
なので、正確には「吉見219穴」である。
日常の生活で役に立つことはないが、現地まで足を運ぶこと、そして数を数えること、それら自体がボケ防止の一つになるかも知れない。

 

(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(43)・覚蔵院

2013年09月10日 08時59分04秒 | gooな場所

大学専用の橋を過ぎたあたりからは、見沼代用水はカーブしながら住宅地を流れる。



数分ほど下ったあたりで、右岸に大きな屋根が見え隠れする。
お寺の屋根のようである。



さらに数分下ると、海崎橋(かいざきはし)に着く。



道路を渡って海崎橋の上流側を振り返ると、右岸の「緑のヘルシーロード」のすぐ脇にも道がある。
この道を行けば、先ほどの大きな屋根の所へ行けそうな気がするので行ってみることにする。



予想は的中した。
海崎橋から数分の所にお寺があった。



お寺の名前は「覚蔵院」です。



門前には庚申塔や馬頭観音があります。



石碑の下の方に彫られている、この辺りの旧地名、「深作村」の文字。



覚蔵院本堂。
本堂のすぐ裏側は見沼代用水です。



左側から見る本堂。



右側からみる本堂。



境内にいると、異空間に来たようです。



タイムマシンで100年も200年も昔に来たような。
いやいや、そんなことは現実にはありえない。
おそらくは、雑踏の中からそれのない所に来たからであろう。



覚蔵院で一休みさせていただいた後は、海崎橋からさらに「緑のヘレシーロード」を下る。


(写真と文 by pokkunさん)


一番花確認 幸手・権現堂 彼岸花

2013年09月07日 20時23分30秒 | gooな場所

 

 

9/7の権現堂です。
彼岸花の芽はまだでしょうか。


 
よく見ると・・ 所々で芽が出てきています。(画面右下)



こちらでも



黄色いリコリスのそばでも



芽を出しさえすれば、1日に10センチぐらい伸びて



60センチ前後になると花が咲くそうですから、そろそろここにもガードロープが設置されるでしょう。



雨で土が流れて球根が露出した所ですが、期待していた球根からの芽は出ていませんでした。



9/1に来た時に、60センチぐらいになっていた茎には白い花が咲いています。



ツボミでは分からなかった花の色は白でした。
白い花の向うに紅い花が見えました。



花が咲いているように見えますが



やっぱり咲いていました。
これが今年の彼岸花の一番花です。

 

(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(42)・大学専用の橋

2013年08月29日 21時07分04秒 | gooな場所

出戸橋から見る見沼代用水下流。ゆっくりのんびりと下流へ下る。

森の上に大きなアンテナが見えてくる。森の中にあるのは芝浦工業大学。
アンテナは芝浦工大アマチュア無線クラブのものか。

 


やがて、森の脇に橋が見えてくる。


 


画面右の道は芝浦工大につづく。
 


橋はコンクリに鉄板を敷いたもので、川を渡ることだけの最低限の用途を供えたもの。
橋の名前を示すものは何もない。

 


橋の中央から上流側を望む。
 


橋を渡った先にあるのは、芝浦工業大学の運動場のみである。

 


近隣の案内板を見てもこの橋は載っていない。
おそらくは、大学と運動場を結ぶためだけに簡易に作られた専用の橋ではないかと思われる。

 


さらに見沼代用水を下流へと下って行く。

 

(写真と文 by pokkunさん)


見沼代用水(41)・丸ケ崎観音

2013年03月02日 20時40分20秒 | gooな場所



氷川神社を見て、昼食をとり、新出戸橋に戻ってさらに下流へと下る。



1分と歩かぬうちに下流側の橋に着く。
橋の上流側には、水道管が岸から岸へ渡っている。



橋の名前は出戸橋(でんどはし)だと思う。
ここまで親切に書いてくれているのだから信じたい。



橋から見る上流側。
水道管があり、その向うに新出戸橋が見える。



左岸側から見る右岸側。
橋の30mほど先にお堂がある。
(画面中央の建物の奥)




お堂は丸ケ崎観音堂である。




庚申塔は江戸期のもの。



馬頭観音も江戸期のもの。



こちらも江戸期のもの。



ここにある石碑・石仏はほとんどが江戸期のもの。
この供養仏は、明和九年の文字がはっきりと読み取れる。



観音堂脇の案内板に目を移すと



この観音堂も掲載されている。
橋の名前は出戸橋で合っている。
それにしても、この付近だけでもこれだけの歴史的・文化的なものが残されている事に驚かされる。



観音堂(画面右)から見る出戸橋。



出戸橋から下流へは、右岸の「緑のヘルシーロード」を下る。

 

(写真と文 by pokkunさん)