リスニングルームは室内の響きだけ良くすれば良いという訳では無いというのは少し前から考え始めていることだが、その辺りを掘り下げて考えてみたい。
理想的なリスニングルームを考える場合、アプローチの仕方は異なるにしろ、それなりの容積と面積を必要と考えるケースが殆どである。
そして殆どの場合、リスニングルームのオーナーは敷地を持て余しているわけではなく、広大な屋敷の数ある部屋の一画にリスニングルームを作るというわけではない。
さらに音楽鑑賞を行う場合、真剣に鑑賞のみを行う場合と、視覚的に何かしながら(読書、スマホ、PCなど)鑑賞する場合がある。
上記の理由から、単純に真剣に音楽鑑賞をする時だけを考えて最適化した仕様にすると、
「所有敷地の多くを占有した一室なのに利用する時間が少ない、または他の用途に利用しづらい」となってしまう可能性が高い。
そのため割と頻繁に行われるのが、ホームシアター機能とのコンパチブルであり、それを自分も実践している。
ホームシアターがメイン機能でステレオがサブ機能であればいいのだが、ステレオメインである場合、実際に利用してみると、ちょっとどうなのかなと思ってしまうのが現実である。
ステレオのセッティングに自由度を与えるためシアターのサラウンドバックとステレオを兼用とし、オーディオのフロント面とシアターのフロント面を別にしたことはそれなりに機能しているのだが、音質的な問題以外が考えきれていなかった感じがする。
ホームシアターにしてもステレオ再生にしてもPCなりタブレットなりスマホなりテレビなりで鑑賞することはできる。サブスクリプションサービスの普及もあり、そのアクセスの容易化は驚嘆に値する。
それゆえ、ホームシアターにしろステレオ再生にしろ大仰なシステムを利用する場合は、手軽さよりもそのクオリティや核心に真剣に向き合って鑑賞したい時に限定しがちである。利用アクセスの容易さは情報端末を用いたサブスクリプションサービスには決して勝つことはできないからである。
リスニングルームの中にステレオシステムとマルチチャンネルのシステムをそれなりに本気で導入すると機材だけでかなりの専有面積を占めてしまうし、シアターの暗室を作るため採光照明の手段はかなり制限されてしまう。なのでそれ以外の用途では利用しづらい部屋になってしまう。
相応の面積を使って造るリスニングルームを真剣に聴く以外でも利用しやすいものにするにはどういう活用がいいのかと考えると、他にある解決策が応接室を兼用するというパターンである。
家族との交流、同じ趣味を持つ者との交流、来賓に対する応接、それぞれで若干対応が異なるが他人と関わり易い機能を搭載するという発想である。
だがこれもよくよく考えてみると個人的には相性が良くないのではないかと思えてきている。
大前提として応接の場合、人と人が向き合うことになるが、オーディオリスニングの場合は鑑賞するときにリスニングに望ましい方角が1方向しかない。
客がリスニングに理想的な方向に向けたとして、自分がスピーカーを背に座ることになる。
そんなところにソファでも置くのか、毎回移動させるのか。
それは具合が良くないとのことでスピーカーから90度傾斜した向きで客と自分が相対する場合、両者ともリスニングに妥協したポジションになる。そして来客がいないときにはリスニングポジションの付近の左右に邪魔なソファが2つ鎮座することになる。リスニングを妥協するなら、あえてその部屋で応接する必要があるのか?
そういったことを考慮すると応接室という用途での相性はあまり良くないのではないのかなと思う。基本的には書斎の延長線上と思うので1人で居室している用途を大事にする設計思想の方がいいのではないかと思っている。
基本的にはリスニングルームは防音室である。外からの音が遮断され、隔絶された空間となる。空間として隔絶するのは音漏れによる他者との干渉を避け、他者の音が再生音楽に干渉するのを避けるからである。
そういう隔絶された空間を利用する場合、やはり自分以外の人間と共有する空間としては使いづらい、少なくともメインの用途としては自分独りが篭もるための設計を目指す方が理に適っている。
別に再生音楽リスナーでなくても独りで篭もりたいという欲求は古今東西存在する。家を建てる時に夫が書斎を欲しがって揉めるのはよくある定番の問題となっているし、落ち込んだときに「独りにして欲しい」というセリフはよく聞かれる。
独りに隔絶されたいというのは自分が耽るために必要だからだと思われる。
音楽を聴き耽るだけでなく、歌う演奏する。書物や情報端末を読みふける。嗜好品をたしなむ。絵や書をかいたり、物を作ることに没頭する。様々なことに思いをふける。激しい運動は無理だとしてもストレッチやヨガなどで体に心を通わせる。そういったものに耽る、または意図的に何も考えないような行為(いわゆる瞑想)に最適化した部屋にすることがリスニングルームに相性がいいのではないのかと思えてきている。
脳に入力する・・・読む、観る、聴く、食べる、飲む
脳で熟考する・・・過去を内省する、未来に想いを馳せる、瞑想する
脳から出力する・・・書く、描く、歌う、弾く、作る、体を動かす、表現する
こういった行動の大部分は別に特別な部屋がなくても可能ではある。だが、一般的な外界と隔絶されひたすらに自分に向き合える空間であればこそやりやすい、捗る、新たな境地で行えるのではないだろうか?
リスニングルームに他の機能を持たせるとしたら応接よりもこういった行為を行うことを支援するような部屋にすることが良いのではないか?
上記したような行為はありふれた物ではあるが人間としてかけがえのない営みであろうと思う。その環境を大事にするというのはオーディオ趣味の人間が高じて専用室を造るという行動から一歩進んだ、多くの人に理解される余地のある行動ではないだろうか?
オーディオリスニングの音質というものの大前提は自己完結であり自己満足である。
科学的であろうが独善的であろうが、その上位に自分の満足が存在する。
客観的にどれだけ良かろうが悪かろうが所詮は自己満足を達成できているかが一番の大事である。
音質を良くする為の部屋というのは大事ではあるが、上記に挙げた脳の入力、熟考、出力を支援するための部屋という発想を取り入れて「音の良い部屋」から「人生を豊かにするための部屋」への発想の飛躍をしてもよいのではないかという考えに至っている。
リスニングの姿勢は基本的に座位であるが、姿勢を正したい時、リクライニングしたいとき、横になりたいときがあるように、その他の脳の入力、熟考、出力をする際に最適な姿勢は様々である。脳は働くけれども体が疲れているときは横になりたいし、体が元気を持て余しているときは歩き回りながら考えたいとなる。
コンディションに応じて姿勢を変えることに対応できる部屋が良い部屋、使い易い部屋、満足度が高い部屋になる気はしている。
理想的なリスニングルームを考える場合、アプローチの仕方は異なるにしろ、それなりの容積と面積を必要と考えるケースが殆どである。
そして殆どの場合、リスニングルームのオーナーは敷地を持て余しているわけではなく、広大な屋敷の数ある部屋の一画にリスニングルームを作るというわけではない。
さらに音楽鑑賞を行う場合、真剣に鑑賞のみを行う場合と、視覚的に何かしながら(読書、スマホ、PCなど)鑑賞する場合がある。
上記の理由から、単純に真剣に音楽鑑賞をする時だけを考えて最適化した仕様にすると、
「所有敷地の多くを占有した一室なのに利用する時間が少ない、または他の用途に利用しづらい」となってしまう可能性が高い。
そのため割と頻繁に行われるのが、ホームシアター機能とのコンパチブルであり、それを自分も実践している。
ホームシアターがメイン機能でステレオがサブ機能であればいいのだが、ステレオメインである場合、実際に利用してみると、ちょっとどうなのかなと思ってしまうのが現実である。
ステレオのセッティングに自由度を与えるためシアターのサラウンドバックとステレオを兼用とし、オーディオのフロント面とシアターのフロント面を別にしたことはそれなりに機能しているのだが、音質的な問題以外が考えきれていなかった感じがする。
ホームシアターにしてもステレオ再生にしてもPCなりタブレットなりスマホなりテレビなりで鑑賞することはできる。サブスクリプションサービスの普及もあり、そのアクセスの容易化は驚嘆に値する。
それゆえ、ホームシアターにしろステレオ再生にしろ大仰なシステムを利用する場合は、手軽さよりもそのクオリティや核心に真剣に向き合って鑑賞したい時に限定しがちである。利用アクセスの容易さは情報端末を用いたサブスクリプションサービスには決して勝つことはできないからである。
リスニングルームの中にステレオシステムとマルチチャンネルのシステムをそれなりに本気で導入すると機材だけでかなりの専有面積を占めてしまうし、シアターの暗室を作るため採光照明の手段はかなり制限されてしまう。なのでそれ以外の用途では利用しづらい部屋になってしまう。
相応の面積を使って造るリスニングルームを真剣に聴く以外でも利用しやすいものにするにはどういう活用がいいのかと考えると、他にある解決策が応接室を兼用するというパターンである。
家族との交流、同じ趣味を持つ者との交流、来賓に対する応接、それぞれで若干対応が異なるが他人と関わり易い機能を搭載するという発想である。
だがこれもよくよく考えてみると個人的には相性が良くないのではないかと思えてきている。
大前提として応接の場合、人と人が向き合うことになるが、オーディオリスニングの場合は鑑賞するときにリスニングに望ましい方角が1方向しかない。
客がリスニングに理想的な方向に向けたとして、自分がスピーカーを背に座ることになる。
そんなところにソファでも置くのか、毎回移動させるのか。
それは具合が良くないとのことでスピーカーから90度傾斜した向きで客と自分が相対する場合、両者ともリスニングに妥協したポジションになる。そして来客がいないときにはリスニングポジションの付近の左右に邪魔なソファが2つ鎮座することになる。リスニングを妥協するなら、あえてその部屋で応接する必要があるのか?
そういったことを考慮すると応接室という用途での相性はあまり良くないのではないのかなと思う。基本的には書斎の延長線上と思うので1人で居室している用途を大事にする設計思想の方がいいのではないかと思っている。
基本的にはリスニングルームは防音室である。外からの音が遮断され、隔絶された空間となる。空間として隔絶するのは音漏れによる他者との干渉を避け、他者の音が再生音楽に干渉するのを避けるからである。
そういう隔絶された空間を利用する場合、やはり自分以外の人間と共有する空間としては使いづらい、少なくともメインの用途としては自分独りが篭もるための設計を目指す方が理に適っている。
別に再生音楽リスナーでなくても独りで篭もりたいという欲求は古今東西存在する。家を建てる時に夫が書斎を欲しがって揉めるのはよくある定番の問題となっているし、落ち込んだときに「独りにして欲しい」というセリフはよく聞かれる。
独りに隔絶されたいというのは自分が耽るために必要だからだと思われる。
音楽を聴き耽るだけでなく、歌う演奏する。書物や情報端末を読みふける。嗜好品をたしなむ。絵や書をかいたり、物を作ることに没頭する。様々なことに思いをふける。激しい運動は無理だとしてもストレッチやヨガなどで体に心を通わせる。そういったものに耽る、または意図的に何も考えないような行為(いわゆる瞑想)に最適化した部屋にすることがリスニングルームに相性がいいのではないのかと思えてきている。
脳に入力する・・・読む、観る、聴く、食べる、飲む
脳で熟考する・・・過去を内省する、未来に想いを馳せる、瞑想する
脳から出力する・・・書く、描く、歌う、弾く、作る、体を動かす、表現する
こういった行動の大部分は別に特別な部屋がなくても可能ではある。だが、一般的な外界と隔絶されひたすらに自分に向き合える空間であればこそやりやすい、捗る、新たな境地で行えるのではないだろうか?
リスニングルームに他の機能を持たせるとしたら応接よりもこういった行為を行うことを支援するような部屋にすることが良いのではないか?
上記したような行為はありふれた物ではあるが人間としてかけがえのない営みであろうと思う。その環境を大事にするというのはオーディオ趣味の人間が高じて専用室を造るという行動から一歩進んだ、多くの人に理解される余地のある行動ではないだろうか?
オーディオリスニングの音質というものの大前提は自己完結であり自己満足である。
科学的であろうが独善的であろうが、その上位に自分の満足が存在する。
客観的にどれだけ良かろうが悪かろうが所詮は自己満足を達成できているかが一番の大事である。
音質を良くする為の部屋というのは大事ではあるが、上記に挙げた脳の入力、熟考、出力を支援するための部屋という発想を取り入れて「音の良い部屋」から「人生を豊かにするための部屋」への発想の飛躍をしてもよいのではないかという考えに至っている。
リスニングの姿勢は基本的に座位であるが、姿勢を正したい時、リクライニングしたいとき、横になりたいときがあるように、その他の脳の入力、熟考、出力をする際に最適な姿勢は様々である。脳は働くけれども体が疲れているときは横になりたいし、体が元気を持て余しているときは歩き回りながら考えたいとなる。
コンディションに応じて姿勢を変えることに対応できる部屋が良い部屋、使い易い部屋、満足度が高い部屋になる気はしている。