モッチリ遅いコメの距離感

オーディオルーム、シアター、注文住宅などに関してのblog。

自分の考える理想的なオーディオルーム像の暫定的総括(総論)

2021-08-31 08:16:52 | オーディオ
何年か前に石井式風リスニングルームを実際に建設して、部屋として改善の余地があることを測定したり室内音響について調べてみたりするうちに気付いた。
そこでどういった室内の響かせ方が良いのか過去の文献などを参考にしつつ、自分の好みも加味しつつ、考察した。
ところがリスニングルームの建築が大規模で変更が大変である割に、完成時の特性が不確実である、特性が予想通りだとしても個人の嗜好に合うか分からない、嗜好が経年と共に変化することに対応できないことが一番の問題であることに気付き、視覚的に調音しても見苦しくならず、しかも特性を本格的に可変できることに重点を置いた設計が望ましいことに気付いた。
ただよくよく振り返ってみると、現在のリスニングルームへの不満は響きだけではないことに気付き、どの辺りを改善すると不満が解消されるのかを考えた。割と無意識や深層の心の不満であったため洗い出すのに時間がかかったし、まだ未発掘のものがあるかもしれない。
最も代表的なものは居住性であり、響きの特性の良さを重視すると犠牲になりやすい部分であるが、人間は測定器ではない。特性を良くすることで鑑賞体験を良くすることは理にかなっているが、特性を良くすることにばかり傾倒しすぎて室内を不快な環境にしてしまい鑑賞体験の質を損ねてしまっては本末転倒である。その辺りを高いレベルで折り合いを付けることが理想的なリスニングルームと考えるようになった。

ある程度その辺りのエッセンスを列挙して、後で自分で見返すために総括した今回の記事である。


・オーディオルームの前にプライベートリビングルームとして良い部屋にする。

室内音響としてそれなりに理想的な環境とすれば床面積として大きく、上階を作れない程度に天井高が高くなる。それなりに面積を取る部屋がオーディオリスニング用途以外に向いていない、しかも真剣なリスニングに特化していてリラックスした鑑賞に向いていないのは勿体なく不適切である。
仮に延べ面積がすさまじく大きい大豪邸の一角に作るのであったとしても、用途が極端に限定された部屋は利用する時の心理的ハードルが大きいので滅多に使わなくなってしまうのが自明である。
音楽を聴かないときでも滞在したいような部屋にまずはすべきで、機器や部屋の特性の良さの恩恵を預からないようなカジュアルなリスニングもしやすい部屋にするのが前提と考えている。

・窓は鑑賞用と間接照明的な採光用で室内音響に配慮した上で付ける。

24時間365日同じ光学的に安定した環境でなくなる上に、反射音の響きが悪いガラス窓を入れるメリットは特性上は存在しない。だがリスニングルームは生身の人間の視聴体験を対象としたものである。24時間365日光の刺激が同じ部屋というのは飽きを感じる原因になる。窓に内扉を設置すれば窓ガラスを簡単に封じることもできるし、内扉で音響調整もできるから致命的なデメリットになりづらい。
朝焼けを見ながらペールギュントの朝を聴く、雨のしずくを見ながら雨だれ前奏曲を聴く、名月の夜に月光ソナタや月の光を聴く、そういったことは窓がなければできないことである。
そういった時季の移ろいを鑑賞しつつ音楽の鑑賞ができる部屋を理想と考えるか、若干の特性の有利のために窓を排除した部屋が理想と考えるか、どちらを理想的なリスニングルームとするかというのは一考に値するものである。

・真剣な音楽鑑賞以外に利用できる生活の環境を用意する。

防音や音響を完璧に行えば真剣なリスニングの鑑賞体験の質が向上することへの異論はない。ただ音の細部を聞き逃さないような真剣な鑑賞というのは聴き疲れするような聴き方である。先史時代で言えば狩猟の際に獲物の場所を探知する、外敵の気配を察知する時に用いられる機能を動員して行うものであり、毎日長時間利用するのはは苦痛な面も否めない。
リラックスした状態でも利用できるように柔らかな採光や照明、神経を澄ましすぎない適度な環境音、ながら聴きができるようなアメニティなどを用意すべきと考えられる。
当然ながら真剣なリスニングができなければ本末転倒なので、シリアスモードとリラックスモードで部屋のオンオフができるような機構が照明や防音に必要であるとは思う。

・防音があまり必要ない立地

高S/Nのためにリスニング中に環境音が入ってくることは本格的なリスニングであれば避けるべきだが、強力な防音と常に静かすぎる環境は居住性にとってはネガティブな影響もある。
そもそもオーディオリスニングはホームシアターや楽器演奏よりも比較的騒音レベルは低くなり易いので立地をどうにかすれば強力な防音は必須ではない。
理想を言えば近隣に距離を置きつつ母屋からも物理的に隔離した離れのような建築物で閑静な立地が理想だろう。その条件であればそこそこの防音で十分であり、そこそこの防音で済むなら居住性も犠牲にならずに済む。

・十分なスペースと調音スペース
以前考察したように、部屋の響きを客観的にそれなりに良いものにするには壁とスピーカーとの距離を適正なものにしなければならず、反射のさせ方も工夫が必要である。
適正な距離にすることを考えると相応の広さが必要になるし、時間軸としてほどよく分散された望ましい反射の仕方を考えると反射壁に相当する部分に厚みを持ったスペースと反射挙動の非統一性が必要である。

各論は以前の記事の中にとっちらかっていたり、ろくに考察していなかったりするが総論としてこのあたりを留意すると良いのではないだろうかというのが現時点の自分の考えになっている。
オーディオリスニングは波動物理学と電気工学と生理学と心理学の混在する奥深さは感じていたが、リスニングルームそのものを考えると、部屋はそれ以前に所有者の生活の場であることを忘れてはいけなかった。生活の場というのは人生の一部を過ごす器であり、その事実と向き合わなければ理想には到達しないと思う。まだ十分考察しきれている感じではないが、そこを深く追求するのは学問的なところから外れてしまいかねず、正解を見つけづらい分野かもしれない。また考察する機会を持ちたいところではある。
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何は突き詰めるべきで何はバランス取るべきかという基準を考える③

2021-08-28 15:14:57 | オーディオ
第1回で前回は機材や室内音響のアップグレードをする動機を考察し、その動機に見合った形での室内音響の突き詰め方について考察した。

第2回では聴く者の感受性や聴力が年齢と共に衰えるという避けられない不都合な事実に向き合い、それでも音の響きを追求する必要があるのかという疑問について考察した。

第3回の今回は防音についてである。
外からの音を入れない静かな部屋というのはより良いリスニング環境にとって当然のように必要であり、そこに議論の余地がないように思える。
S/N比が良い環境がより良い音と言われており、LEVがノイズ成分ではあるが適度に存在した方が良い音と言われていること以外はそれは事実だと思われる。
せっかく微細な信号まで音として拾い上げられる高性能システムがあったとしても、外部から侵入する騒音や室内家電の動作音などが存在すると微細な音楽表現が環境音に埋もれてしまい性能が活かせない。
もちろん再生音量を大きくすれば微細な音楽表現も環境音に埋もれずに済むが、そうすると再生音量が大きすぎて聴き疲れを起こしてしまう。

それならば防音性能を極大にして環境音がほぼゼロという状態がシンプルに最高ではないかと思える。自分も実際に思っていた。
だがそれなりに防音性能の高いリスニングルームを実際に使用してみた結果、防音室内の環境は「音楽の再生中は至高」というのが実態であり、音楽が停止した時間はそうでもないようである。
音楽を停止すると防音室内の環境音は非常に少なくなる。静かすぎると人間としては様々な事に敏感になり落ち着かず、逆にストレスになるのである。
環境音が非常に少ないときに感じる生理的耳鳴りも音が少なすぎるときに内耳が自発的に音を作ろうとする結果であるらしく、音がなさすぎる状態というのは人間にとっては快適な環境とは言えないようである。

もちろん真剣に音楽鑑賞をしたい場合は防音室内の静かな環境で感覚を鋭敏にして鑑賞するのがベストであろう。だが音楽鑑賞をしたいときというのは毎回のように交感神経優位な聴き方をしたいわけではない。リラックスして体を休めつつ副交感神経優位な状態でアバウトに聴きたい時もあるだろう。
防音室内の静かな環境は強制的に交感神経優位な聴き方を誘発し、副交感神経優位な聴き方をしづらい状態になっていることになる。実際に防音室を使用していてもそれは実感として感じるものがある。

つまり外部からの騒音を完全にシャットアウトし、室内でのノイズ源を完全シャットアウトした部屋は、音楽を再生し真剣に聴いている時には素晴らしい部屋ではあるが、再生を止めた途端に不快な部屋に変わるのでさっさと他の部屋に退散すべき部屋ということになる。
音楽を聴くが楽しいにしても休憩したいときはあるし、そもそも音楽を聴くときだけしか使えない部屋というのは勝手が悪すぎて親しみが沸きづらいので他の事も快適にできる部屋が良いと以前から述べてきた。
その事を考慮すると、ただひたすら防音されただけの部屋では親しみやすくはならないし、つい滞在したくなる部屋にはならないということになる。

騒音環境下では就寝する際に適度な雑音があった方がよく眠れるらしく、意図的に環境音を発するグッズがある。音楽再生を切った後にそういうものを使ったり、再生システムで小さなホワイトノイズや環境音を再生したり、サブシステムにそういうのをさせたりすれば適度な環境音を作ることはできる。
ただ音楽再生が終わったところでそういった環境音生成システムを起動し、また音楽再生するときに環境音生成システムを停止するというのをいちいちやることを考えると理想的な部屋とは言いがたい。

それを考慮すると「自分の考える理想的なリスニングルーム」には可変式に環境音が入る機構が必要と考えられる。

一つはリスニングルームに隣接する部屋は適度な環境音が発生もしくは侵入する普通の部屋であり、真剣に聴いていない時や音楽を再生していない時には防音ドアを開放しておける仕組みにするという手段がある。
ただカジュアルにまったり音楽鑑賞するときも防音ドアを開放しておくことになるので、それが許されるほど騒音問題が起こらない立地にリスニングルームを設定しなければならない。

別の手段としては極端に防音効果の高い窓を使用せずに多少の環境音は入るようにする。真剣に聴きたいときは窓の外側か内側にシャッターを付けて二重層にして防音できる機構にするというものである。
毎回その開閉をするのは大変なので電動シャッターをすべての窓につけなければならないが、比較的現実的かもしれない。

もっと手軽な手段としてはエアコンを防音でない一般的なものを使うなどがある。真剣に聴くときには停止して、再生していない時には起動して環境音にする。むしろコストとしてはマイナスになる手段である。

環境音にも快適に思えるかどうかは種類があると思うし、その辺りはしっかり考察できていないが、防音は高性能であれば無条件に良いわけではないということに気づいたので今回記事にしようと思った次第である。
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何は突き詰めるべきで何はバランス取るべきかという基準を考える②

2021-08-27 13:17:04 | オーディオ
前回はそもそも機材のアップデートやルームチューニングで室内音響のアップグレードをする動機を考察し、その動機に見合った室内音響の突き詰め方について考察した。

今回は人生と老化と感性という観点からの考察である。最近ますます物理学的な考察から離れているが、これを外して考えるわけにもいかない。

ピュアオーディオにおいて、そこそこの到達点と言えるような目標としていた機材を揃えつつ、それを鳴らすリスニングルームもそれなりのものとするには、社会に出てから多少の蓄えを得ないと実現できず、早くても30歳前後、多くはそれ以降となる。

自分のように1度目だとあまりよく分かっていなかったから2度目をどうするかと考察をしている場合にはさらに年齢は進んでいるし、1度目のことであったとしても、それを長い期間使うことを考えると使用者の年齢はさらに高いことも想定せねばならない。

30歳以降となると、やはり20歳の時には余裕で聞こえていた超高域にまったく聞こえない周波数が出てきたりするなど聴覚の劣化は避けられない。

可聴帯域よりも問題なのは感情を司る脳領域の働きが鈍ることである。昔のように音楽で心を動かされる体験が起こりづらくなっている。

何が言いたいかと言うと、人生の中でオーディオシステムのそれなりの到達点やリスニングルームを手に入れて利用する頃には聴覚や感受性が劣化していることが大半なので、そこまでする価値がないのではないかという疑問に向き合わなければならない。

その疑問は昔から感じていたが、自分の体に老化を感じ始めるようになってみて、ある程度は否定できるものであると実感している。

聴覚の劣化はあるが、超高域は特に音楽的に重要なものではなく、鑑賞にさしたる影響はない。高齢になればより高域が聞こえづらくなるだろうが結局はメインの周波数でない。
高級オーディオも別に超高域を聴かせるためだけに高級な作りをしているわけではない。

そして否定できる一番の理由は、老化すれば鑑賞体験による感情への作用が鈍るが、他の事に対しても同じように感情への作用が鈍ることである。
リスニングルームを造ってもオーナーの感性が鈍っているのでは造ることに意義はないと考えたとしても、他の事に対しても同様に昔ほどには面白さを感じる感性があるわけではない。
むしろ積み重ねがない趣味を新しく始めようとしても感性が鈍っている状態では途中で飽きてしまいやすい。
特に体を動かす趣味は若い頃よりも確実に長時間できなくなるので、楽しいと感じたとしてものめり込むほどやるには体がついていかない。
趣味の移り変わりというのも30歳越えるとそんなにしょっちゅう変わる訳では無いと思うので、今までやっていた趣味が今後飽きて無駄になるというリスクはそこまで考えなくていい。

つまり過去と比べて感性も耳も鈍ったからオーディオやルームチューニングをやる価値がないという理屈は、それを言ったとしても過去の自分に戻れる訳ではないのだからナンセンスな考えである。
オーディオではない別のことをするべきかというと、他の事も同じくらいに楽しむ感性が鈍っているのだから、老いてもなおオーディオを続けるべきか他の趣味をするべきかという疑問は、五十歩百歩だろうというのが解答になる。

少し年齢のピークを過ぎただけで可能性を閉じるような思考をするのはどうかとも思うが、若い頃のように無限の可塑性があることを前提とした考えでなく、閉じていく可能性の中での現実的な将来を見据えた考え方はピークが終わったからこそできるのかもしれない。

書斎とか趣味部屋とかシアタールームとかリスニングルームとかそういったものを好きなように設定できるのは大概は身体能力的なピークを過ぎた後になる。だからこそ今後可能性が閉じていく自分を見据え、それでも続いていく人生を見据えた終の棲家となれる空間を造っていくべきなのではと思う。音の響きの良さを考えるのもいいのだが、そこだけではない課題に向き合うべきなのでは思う今日この頃である。
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何は突き詰めるべきで何はバランス取るべきかという基準を考える①

2021-08-26 17:54:22 | オーディオ
以前の記事で、いろいろ考察していく中で、低レベルではあるものの室内音響的にこういう部屋にすると良いのではないかというのをある程度は明示してきた。
ただ、それを備えた部屋をシミュレートするにあたって、部屋としての魅力を高めようとすると室内音響のあるべき要素とバッティングしてしまう事案が複数発生した。
その中で仮想上の理想の部屋であろうとも、ある程度は音響的な妥協をすることも必要であると考え、具体的に妥協すべき部位を考察した。

今回はどのようなポイントを妥協してもよいものなのか、妥協すべきでないのか、今までは感覚で決めていたものをしっかりした価値基準を明確にすることでブレない、応用しやすいものにしていこうという記事である。

コンシューマーオーディオの大前提として自己満足のために行うものである。なので「〜すべき」というのは基本的に存在しない。
他人に関してのスタンスはそうであることに違いないのだが、自己に対するスタンスは別である。仮想として考察している音質的に良好な部屋に関して、音響的に好ましい影響を与えるであろう仕掛けを積極的に付与すべきというのは間違い無くやるべきことである。
ただ、音がいい仕掛けだけをただ単純に付与し尽くしただけでは「ただ音が良いだけの穴倉」になってしまう。
まったく音質向上への配慮がされていない部屋が良いとは言えないが、ただ音を良くする為の仕掛けを極限にまで施した部屋が良いとも言えないので、その間のどこかに理想があると言える。それがどのあたりなのかを考察する。

今回の記事ではオーディオファイルがグレードアップしたいと思いコンポーネントを買い替えたりルームチューニングを行ったりする動機について整理し、その観点から室内音響処理の取るべき対応について考えてみようと思う。
理由はいくつか考えられる。


①再生音楽の特性の向上により、好きな音楽を聴くことで得られる心理的効果を向上させたい。

聴くのが好きな楽曲があって、それを聴いた時に得られる「気分の良さ」や「感動」をより増強させるために良い機材が欲しいと思う。
この希望は根源的には音響に拘る人の最大のモチベーションの理由であり、世の中で行われている大半の買い換えの建前上の理由はこれである。ただ実際はそれが理由とも言えないケースも存在するのも事実と言える。
「好きな音楽を聴くことで得られる心理的効果を向上させたい」というのが理由で室内音響の改善に取り組むのであれば、そもそもそのリスニングルームが居室中の人間に与える心理的効果を良くすることも当然のように大事と言えるのではないだろうか。
「この部屋は音が良くて好きな楽曲がより美しく聴こえるので良い気分になれる。でも部屋自体の雰囲気は異様で居心地の悪さを感じる。」というのではよろしくないと思うのである。
部屋の音響処理によりリスニングの心理的効果にプラスの付与効果は見られるが、居住性の悪さによるマイナスの効果も付与され、折角のプラス効果が相殺されてしまう。
①の理由でリスニングルームを設計するとしたら、居住性の悪い部屋にしてはいけないのである。研究目的の実験室とは明確に正解が異なる要素はここにあると思われる。


②今よりも良い特性になることが期待できる機材を導入することで、保有システムがどのような音になるか興味がある。もしくはより良い特性になっているという安心感が欲しい。

「①」の理由で買い替えができるならそれが理想であるが、試聴や前評判で分かることはごく一部である。
自分のシステムにその機材を組み込んだときにどこまで心理的な向上効果があるのか、聴けば判断できるものなのか、聞こえ方の変化による短期的な印象の変化だけなのか、耳が慣れてもプラスの心理的効果が継続する長期的な効果なのか、そんなものは買って導入するまでは分からないことが大半である。
そのため今の機材よりも特性の良さそうなものに買い替えるというのは一般的によく行われる。自己に対する心理的効果が不明なのであれば客観的な数字に頼ろうとするのは当然と言える。
今考えている仮想のリスニングルームも結局はそれである。特性によって心理的効果を予測しているだけに過ぎない。
もし機材の導入による変化が明確でなかったとしても(もしくはアクセサリーなど細かいところの変更のため明確な変化がそもそも望めないとしても)、前よりも理想的な特性に少し近付いたという心理的満足感や安心感を得ることはできる。精神衛生上の効果は保障される。

この効果をルームチューニングにそのまま適用しようとすると、「自分が気に入るか分からないが、客観的には良い」と考えられる音響処理を進めていくということになる。
その考え方だと音響処理というのは部屋設計の絶対最優先事項ではないと考えられる。
やった方が特性上はプラスに働くと思われるが効果がどこまであるのか分からない、というものであれば居住性が確実に犠牲になる場合に犠牲を払ってまで音響処理をやるべきではないと考えられる。
実際にはどういう場合かというと、音響処理は比較的効果が大きい場所と比較的小さい場所がある。効果が小さい場所でかつ居住性に支障が出る部位に関しては音響処理よりも居住性を優先させてよいのではないか。具体例で言えば一次反射面以外の床などが挙げられる。


③資金と時間と情熱を注いだシステムならそれに見合う豪奢さが欲しい

この理由単体で機材を購入することはまずないと思われるが、だからと言ってオーディオ機器に途方もない金額と情熱を注いでいる人が「音は良いけれども地味な外観の機材」で満足する例は少ない。
この不都合な事実に関しては別記事にして書く機会を作りたいとは思うが、いずれにしろオーナーがいかにオーディオシステムに情熱を注ぎ込んできたのかというのが一目見れば分かるような豪奢さはオーディオ機器にとってかなり重要な要素である。

では室内音響にとってこの要素はどうか。音響処理として現在では拡散が重要視されている。拡散壁は一般的には特異的な視覚上インパクトの高い外観になりやすく、幅広い周波数を拡散しようとすると相応の大きさや厚さになる。
つまり本格的な拡散体を隠すことなく見せつけるように設置すれば、再生音楽にいかに情熱を注ぎ込んできたのかを一目見れば分かるような豪奢な視覚的効果を持たせつつ、音響処理もできるということになる。

オーディオシステムとして豪奢さを見せつけるようなシステムを志向する人ならそれでいいのかもしれない。ただ自分の考えとしてはそういった志向から離れてきており、機材は見た目が地味でもいいし、目立たせず設置する方がいいと思っている。拡散体もあまり目立たせずに視覚的なカオス感はあまり無い方がいいと思っている。
自分のような考えの場合であれば音響処理は視覚的効果が大きすぎない範囲でやるべきだろうとは思っている。ただこれは結局は考え方の方向性の違いではあるので絶対的なものではないと思う。

④音にインパクトを与えるため癖や歪みを付与したい。

実際にこれをやっているのは上級者なので自分がその域にはなかなか行けないのだが、特性が比較的正しいという音は明確な欠点はなくなるが、案外パンチ力がない心を打つ音になりにくいという傾向はある。
むしろ歪んだ音の方が、少なくとも短期的な試聴では心の琴線に触れることも珍しくない。真空管アンプなどがその一例である。

これは室内音響でも起こりえることではある。キレがいいとかボーカルが前に出るとかそういうものは特性としてあまり良くないこともある。
壁面処理でより好みの音にするという目的で特性上はあまり良くないかもしれない処理を意図的にするというのはあまり無いがアリだとは思う。
特性に縛られない機材の選び方はあるのに、響かせ方は特性に縛られないといけないとは思わない。特性の良くない音だけれども一聴したところ良いと感じたという事象に対して、自分自信のかけがえのない優れたセンスが解釈した感性と受け止めるのか、聴き方を間違えているだけと受け止めるのかということがある。
評価の確立しているピカソの絵を自分は良いと思わないと思うのは問題ないと思うが、世間が良いと評価していない無名作品を自分が気に入るのも問題ないとは思う。
だがピカソよりも無名作品が良いとあたかも揺るがない事実のように吹聴したとしたら、それは自分の感性の過信と思い上がりと言わざるを得ない。
特性を逸脱して癖を付けるとしたら慎重さと謙虚さは必要なのではないだろうか。
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B&Wの800シリーズ新モデルに関する感想

2021-08-25 19:38:03 | オーディオ
B&Wのダイヤモンドツィーターを搭載したシリーズとして4世代目、かつメジャーアップデートから2世代目の800シリーズが海外ではおおむね発表されたようです。
https://www.phileweb.com/news/audio/202109/01/22726.html

https://www.youtube.com/watch?v=7Y4BjZ2_f1k

25cmのダブルウーファーを搭載する800相当が801という番号が付けられています。
801が欠番なのを詰めた形ですかね。

ウーファーの天板が金属製になっており、見た目としてチェリー色に相当するカラーが復活しているようです。
その他に一度D3で短くなったツイーターのエンクロージャーが以前のように長いものになっているようです。
804や805あたりには上位機種同様にアルミの背板が入るようになりました。
ダンパーなど細かい部分も改良されているようです。

総合的な印象としては元々マイナーアップデートが予想されていただけにこんなものかなとは思いますが、他のブランドの変遷などと比較するとかつては新進気鋭のブランドのイメージだったものが今はむしろ保守的なイメージが先行しているように感じます。

Matrix時代も十分評価はされていましたが、B&Wの商業的なピークとしてはOriginal Nautilusでバッフル反射を抑えつつ、逆ホーンで後方の逆位相音を消音するというスタイルを作り、
Nautilus800シリーズでそれを現実的な価格やサイズに落とし込み
次の800Dシリーズでは人工ダイヤモンドで振動板を造るという技術的インパクトの高い手法を取り入れた辺りがピークだったのかなと思います。

その後も地道な改善や振動板の素材の改善、1つ前の世代ではメジャーアップデートも行われましたが、大枠の設計思想としては大きな変化は無いような気がします。


他社の大まかなトレンドからすると、バッフル反射を流線型で可能な限り減らすよりも高中低音の指向性が同じくらいになるよう揃えることが意識されやすくなり、バッフル反射は適切にコントロールすればあった方がよいという考え方が現時点では優位に思われます。
背圧のコントロールの仕方も複雑なシミュレーションが可能になったことから進歩しており、高度に計算されたバスレフ、板振動での吸音、密閉型、metamaterialなど様々な手法を行われるようになった今となっては、逆ホーン型がベストな背圧消音手段とは言えなくなっているような印象があります。
また3wayの特徴として高中低で音の出る位置が異なることにより音域で音像が異なる印象がある、頭の位置がずれた時に音色が変わると言われていた問題は、
3wayの宿命、つまりは豊かな低音との引き換えに多少は許容しなければならないものとかつては思われていた節がありました。ただ最近は同軸や仮想同軸の設計により積極的に解消しようという流れがありますが、B&Wの設計思想からはそれは感じられません。

トレンドに乗って他社と同じような設計にしたところで商業的に成功するとは限りませんのでB&Wとしては妥当な方向性なのかもしれません。
とはいえ近未来的な流線的フォルムとダイヤモンドというプレミアムなイメージを押し出しつつも、設計思想は2000年前後という古き良き時代を懐かしむようなブランドになっているような気がします。
今後のトレンド次第では再評価がされる流れがあるかもしれませんが、個人的にはもうあまり新型を欲しい、聴きたいと思わせてくれないブランドになりつつあるような印象です。

SACDによる周波数帯域の拡張やマルチチャンネルオーディオの勃興(結果的には不発)、ホームシアター隆盛によるビジュアルシステムの高度化の時代に
他にはない流線形と新素材と手に届く価格帯で提供する姿勢にかつては確かに魅了されました。世間一般ではオーディオブームは遙か昔に過ぎ去っていましたが個人的には熱い時代だったなと思います。

800シリーズは価格帯や今後の予想される販売量から考えても、かつてほど絶対的なコンシューマーオーディオのリファレンスになりづらくなっているような気がします。
そうであれば今後は何がリファレンスになるのか気になるところです。性能として妥当なだけでなく相応のシェアを有していることが必要なので、スピーカーの善し悪しだけでは予想できません。
シェアがあればリファレンスと相性の良い製品を作っておくと一定割合でベストマッチングで使用してくれることが期待できるわけです。そういうスピーカーは今後何が選ばれるのでしょうか
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レーザー8Kプロジェクターの登場だが。。。

2021-08-20 12:43:42 | オーディオ
個人的にはプロジェクターとしてレーザー4Kが普及機の大本命であり、それが普及機として成立するためには上位機としてレーザー8Kが広く販売される未来が必要と考えていた。

そしてビクターからようやくレーザー光源の8Kプロジェクターが登場するようである。
だが現実は想定したような素晴らしい状況ではなさそうだ。

まずは4K8Kの普及速度の鈍さである。
8Kなどというのは現時点ではBS8K以外の映像ソースはほぼ皆無である。
BS8Kもデモンストレーションの域を出ず、普及する気配が見当たらず、番組も再放送ばかりなので
五輪終了したので今後電波整理の対象にされるとも噂されている。

映像作品に8Kはほとんどなく、4Kですら広く普及したとは言い難い。UHD-BDのセル版を買うか、一部の高品質配信で視聴できるという程度で、相当意識してチョイスしてこないと現在流通しているものの大半は2K版という状況である。

ここから大幅に4K8Kが普及するとは考えづらい。
少し前までは4Kシフトを幾つかの界隈で試みていた気配があったが、
当面の間は普及品のクオリティは2Kで必要十分であり、4Kは追加のコストを負担する意欲のあるマニア向けという考え方が概ね確立しまっている感があり、むしろ後退しているように見える。

そういった現状で8Kレーザーが出ても、一昔前だったら「今後末永く使えるスペックの上級機が出たな」と思えるが、今となっては「時代が不要と判断したオーバースペック機をバカ高い価格で買ってもなあ」と思ってしまう。

そういう意味では「今後末永く使えるスペックの上級機」を求めるなら4Kレーザーのプロジェクターと言える。価格がこなれていない、サイズが大きい、騒音が大きいなどの問題が改善するかどうかが当面の興味の対象と考えられる。
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音響的には理想ではないけれども理想の部屋に必要なものを考える

2021-08-19 19:22:20 | オーディオ
先日の記事で仮想上の自分が理想的と考える部屋にも音響的な妥協が必要だという内容を書いたが、具体的に挙げてみようというのが今回の記事

①窓
現リスニングルームも窓は最小限にし、今は塞いでいるので実質窓なしの部屋になっている。
窓は音響的防音的にはメリットはあまりなく(壁との凹凸を作れることくらいか)、デメリットの方が多いと考えられている。
なので音響的には窓無しの方がより望ましいと思われる。
ただ窓なしの部屋は実際に長い期間過ごして見るとあまり居心地が良くない。
窓がないからなのか、天井が高いからなのか、壁が多くて木目色をしているのかは分からないが、現オーディオルームの居心地という意味ではあまり評価していない。
なので窓だけが原因とは言い切れないのだが窓はあった方がいいとは思っている。
ただ音響的に有害にならないよう配慮はしなければならない。
採光目的であれば高所であったり地窓であったりなどあまり一次反射面にならない場所に最小限の面積で設置すべきだし、
外の景観の鑑賞目的であれば鑑賞する場所を絞って窓を設置すべきだとは思う。

②ベッド
以前のこれについては書いたことがあるのであまり今回は書かない。
ベッド自体はそのものが吸音材になるので音響を必ずしも悪くするものではないが、ベッドを設置した上で左右対称の音響にするのはやや困難である。
さらにリスニングルームにベッドを付けるというのはなんというかカッコ悪く理想とは言えないようにも思える。
ただ居心地の良さを支援する物としては必要と思っている。
ソファベッドなどあまりカッコ悪くないものにしつつも、あった方が理想的だとは思っている。

③映像デバイス
ガラスとプラスチックでできた薄型の大きな面積の平面板であるディスプレイは音響的には明らかに悪影響の方が強い。
そして今回想定しているのはシアター機能を必須としないリスニングルームである。
なので基本的には排除していいものと以前は考えていた。
ただ排除してしまうと、その場所で映像を伴うコンテンツの鑑賞が難しくなる。
現代の娯楽の中で映像がなく音だけのものというとラジオと音楽鑑賞くらいなもので、それ以外は持ち込みのスマホかタブレットでないと鑑賞できないとなると、今現在の感覚でいうと不便な部屋と言わざるを得ない。
今はインターネット媒体が動画と音声付きのものが飛躍的に増えている。ニュースを見るにも動画が多くなっているし、調べ物をするにも解説動画などが増えている。音楽家もプロモーションのために動画コンテンツを作っている人が沢山居る。そういった媒体の音声の再生に対応していない部屋というのはどうなのかと思ってしまう。
それならスクリーンを入れてシアター機能もサブで備えるリスニングルームにすればいいと思っていた。
サブでシアター機能を入れること自体はアリだとは思うが、スクリーンでネットサーフィンを行うか、デスクワークを行うかというとスクリーンに文字を写すと視線の移動量が多くなり、不便で使い物にならないだろう。
だからシアター機能の有無は別としてモニターはあった方が良いだろうと今は思っている。
大きな物ではなく20インチ前後の文字を読むのにも使い勝手の良いサイズが想定している物である。
それくらいの大きさであれば音響的悪影響はそれほど気にしなくて良さそうだが、さらに影響を減らす努力として、使わないときに仕舞えるようなモバイルタイプのものがいいのではないかと思っている。
サブでシアター機能があっても良いと書いたがあくまでサブの機能に留めておくべきと今は考えている。遮光を本格的にやろうとすると居住性の意味でやや不利に働きかねないからだ。本格的なサラウンドスピーカーを設置することも居住性に不利に働く可能性が高いが、空間オーディオの普及具合によってはリスニングルームでもサラウンドスピーカーが必須と言わねばならない未来があるかもしれない。

④デスク
机はリクライニングチェアやソファとの相性が悪く、組み合わされることはまずない。
そしてリスニング位置の目の前に机という平面の板があると耳に机の反射音が至近距離から入ってくるので無視できない影響がある。
なので基本的にはリスニングルームのリスニングポジション周囲には机を置かない事が多い。
だが趣味であれ仕事であれ作業の多くは机を使用して行われる。デスクワークと言われるのもそのためだ。
リクライニングチェアを用いた第一のリスニングポジションにはさすがに机を置くことはできないが、その後ろにセカンドポジションとして机があると書籍を読んだり作業用の音楽の再生装置としてステレオシステムが活躍してくれる。
作業をしながらというのもあるが、机に肘を置いて座る姿勢が落ち着く時もあるのも大きい。そういう姿勢が取れる場所が部屋の中にあるのとないのとでは居住性の良さに影響があると思う。

⑤Bluetoothレシーバー
Bluetoothは可逆圧縮の伝送のため音質的には明らかにベストではない。ただ無線で取り回しが良くモバイル機器の多くに搭載されている。
先にも述べたとおり、音声付き動画を視聴する機会が急激に増大しているのに、その再生に対応できず、CDやファイル再生だけできるリスニングルームというのは、使い勝手を限定しすぎていて理想とは言えない気がしている。
だがネット上の動画の音声の大半はクオリティとしてベストを追求したものとは言えない。高音質再生を最大限まで追求するという挑戦の対象ではないと思っている。なのでそれなりの品質を確保した上で取り回しの良さを追求した方が良いと思われる。
無線で接続性の良いBluetoothがその用途ではベストと思われる。
なのでステレオシステムにBluetoothを受信してデジタル音声信号としてDACに送信するレシーバーを付けておけば、スマホ、タブレット、ノートPC、デスクトップPCで動画付き音声や音楽配信の楽曲をステレオシステムで再生することができる。
音響的にベストを目指せばBluetoothレシーバーなど入る余地がないと思われるが、自分にとっての最高のリスニングルームを考えた場合必要と思える。

こういったカジュアルな用途は別の部屋やサブシステムでやればいいと思っていた。
ただそういう考えでカジュアルな用途をどんどん排除して使えなくしていくと、音は良いけれど使い勝手が悪く面倒な部屋になってしまい、面積やコストをかけた割に使わない部屋になってしまう。
そういう部屋が理想とは思っていない。音響の良さを求めると多少は不便になってしまいがちなので、付与しても大きな問題にならない便利なアメニティは積極的に付けていき、不便さの改善と居住性の良さをなるべく向上する努力はした方が良いと考えている。
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理想的なリスニングルームに音響的な妥協は必要か

2021-08-18 13:36:16 | オーディオ
これまでシミュレーターなどを用いて、仮想のリスニングルームについて考察してきた。
予算として自分が負担できて作れるものなのかは一旦度外視しつつも、
明らかに無理な設計や明らかにコストがかかりすぎるものではなく一定の現実性は確保してきたつもりではある。

熟考の上で出来上がった仮想のリスニングルームが作る価値があって自分でも作れるものであれば、具現化を検討する。
理想的なリスニングルームのアイディアは出来たものの、新築しなくてもあるべきスペックを満たせる、ある程度妥協しても良いとという結論となれば、今のリスニングルームや中古住宅などを改装したりして具現化を検討する。
仮想のリスニングルームが現リスニングルームから移行することによる価値とコストが見合わないという結論になれば、その結論を尊重する。

人生で何度もできることではないので作るかどうかの前段階として、そういった事をしっかり考えないといけないと思い考察を続けているが(1度目の専用室は大して考えずに作ってしまったが)、その仮想であり理想と考えるリスニングルームが音質的にベストを突き詰めるべきかというのが今回の記事である。

音質の意味でベストだけを突き詰めないという意味では、以前にも考察した可変性重視というのはある。オーディオコンポーネントも定評のあるものを揃えて一発決め打ちで満足してその後一切変更しないというのが稀であるように、室内のルームチューニングも例え理論的に正しく、よく調整されたものであったとしても、それで満足するとは限らない。
より気に入ったものになるよう試行錯誤したいというのが当然の好奇心であるからこそ、理論的に正しい室内壁面処理を決め打ちで設定して建築するよりは、配慮されていない普通の部屋ではできないような本格的な音響処理を可変的に自由にできるように配慮した設計にすることが重要ではないかと考えた。

今回の主題はそこではなく、明らかに音響的にはメリットがないけれども、生活する上であるべきものを設置するかどうかという話である。
今や一昔前と異なり、スマートフォンやタブレットなどのワイヤレスでポータブルなAVもできる汎用機器がありふれている。さらにサブスクリプションサービスもかなり普及しており、購入という行為を経ること無く無数の選択肢の中から鑑賞したいものをチョイスし、そのまま視聴することができる。
つまり音質や画質に拘りがなければ、好きな時間に好きな場所で、未知の作品を鑑賞することができるのが現代なのである。
一昔前は、インターネットショッピングまたは実店舗で鑑賞したい作品を探して購入し、通販の場合は到着まで待ち、その上でプレーヤーにメディアを挿入してテレビやステレオの前で作品を鑑賞していた時代と比べると相当に利便性が格段に向上している。

ではリスニングルームであったりシアタールームであったりするような専用室での高品質視聴の場合はどうか。
サブスクリプションサービスはクオリティがベストではないので、メインメディアではないだろう。ダウンロード販売は高品質のものもありメインの1つではあるだろうが、全ての作品がダウンロード販売されているわけでもない。基本的には従来の現物のメディアが主力になるだろう。
視聴に関してはいつでもどこでもという訳では無い。専用室の中でしかも視聴に最適なポジションが事前に設定され、基本的にその場所での鑑賞となる。
本格的リスニングルームの場合、大型の映像ディスプレイはあまり設置すべきではないと考えられている。ディスプレイが室内音響的に望ましいものではないからだ。従って映像メディアを視聴したい場合はリスニングルームから出て他の部屋に行くか、持ち込みのスマートフォンなどで鑑賞することになる。
ロール可能なスクリーンであれば音響的なデメリットは少ないが、スクリーンやプロジェクターの起動や消灯など映像デバイスとしては小回りが良くないのは事実である。
本格的なリスニングルームで音響の良さを最優先にすればそういった使い方にどうしてもなってしまう。

今考えているのは理想的なリスニングルーム(少なくとも自分にとっては)である。
音響の良さを重視するあまり、隔絶された防音の洞穴のような空間に潜って、従来の不便な音楽再生しかできず、鑑賞するときのポジションや姿勢などが全て事前に設定されていて、それ以外のポジションや姿勢などでは使い勝手が悪く、映像コンテンツの鑑賞ができないような場所が本当に自分の理想的なリスニングルームなのかという疑問が湧いてくる。
その辺りが現在のリスニングルームを毎日使えない原因でもある。

かつてはカジュアルな映像鑑賞も音楽鑑賞もそれなりに不便だったので、専用室での不便さも目立たなかった。だがカジュアルが今便利になりすぎているので、専用室でクオリティを重視した鑑賞の不便さが目立ってきているのである。不便でもひたすらクオリティを求めるというのは修行僧のようであり、そもそもクオリティを重視する根源的な意義が疑問になってしまう。

音質的な悪影響はなるべく小さくなるよう配慮することは大前提ではあるが、理想的なリスニングルームだとしても音響にとってあまり良くないものも受け入れて、ある程度カジュアル視聴もできるよう組み込んでいく工夫は入れていかないといけないのではないかと考え始めている。
理想とは何かと意味を考えてしまうが、理想にも妥協は必要なようである。
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