モッチリ遅いコメの距離感

オーディオルーム、シアター、注文住宅などに関してのblog。

N響高崎公演に行ってきた。

2023-01-29 16:22:24 | その他


コロナも5類に分類される予定となるなど制限が少なくなる中で、そろそろ高崎芸術劇場の大ホールでのオーケストラコンサートを聴きたいと考えていたが、丁度NHK交響楽団が来るということで鑑賞しに行くことになった。

バルトーク/ヴィオラ協奏曲(シェルイ版)[ヴィオラ:アミハイ・グロス]
チケット買ってから聴くようにしてみたけれども、バルトークはなかなか魅力を理解しきれず、コンサートで実際に聴いてもなかなかピンとはこなかった。楽曲に対する理解が追いついていないのは仕方ないが、ソリストはベルリンフィルの首席ヴィオラ奏者ということもあり、とても華のある迫力のある演奏で演奏自体は素晴らしかった。

ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲 第1番、第2番
この曲は好きだったが、生演奏で聴くのは初めて。演奏会だと巧みなオーケストレーションがより映えて楽しかった。フルートがしっかり吹ききっていたので良い演奏だったとは思える。
席の関係かもしれないし楽譜通りなのかもしれないがウインドマシーンの音の異物感が強かったのと鉄琴が一部で音量過多で少し曲に集中できない部分があった。

ドビュッシー/交響詩「海」
コンサートで聴くのは二度目な気はする。この前のコンサートもオールドビュッシープログラムだったが、今回は交響詩のドビュッシー。
普通に良かったけど、なんか良くも悪くも録音を聴いているのと全然違う!とはならなかった。何度もコンサートの録画映像で体験しているN響の音だし、家の音響も十分とは言えないまでも一定の水準ではあるからこそなのかもしれないが、無難な印象が強かった。

ホールの音は中庸的ではあり悪くはなかったのだけれども、音楽ホール程の感銘は無かった感じだった。やっぱり大きめのホールだと音量がやや控えめになってしまう印象はあった。
今後行くとしたら音楽ホールのコンサートを優先して行きたいという印象ではあった。
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100万アクセス到達記念。

2022-11-02 11:06:57 | その他
12年前にblogが流行っていた頃に始めたこのblogが100万アクセスに到達したようだ。

このblogは他の人との情報をやり取りするというより、日記であり備忘録であり考えを整理するための作業であったりという自己完結した目的で始めたものであり、本質的には閲覧者が自分以外皆無でも問題ない。今もその目的は変わっていない。
運営日数も膨大であるため検索業者のクロールによるアクセスも膨大な量となっており、アクセス実数はもっと少ないものとも考えられる。

とはいえ100万アクセスというのは簡単なものではなく、継続という力によってもたらされたものであることは間違いない。今まで飽きっぽく長年同じ事を継続して研鑽していくということはほとんどやってこれなかった。内容の質はともあれ、ただなんとなく始めたblogをここまで継続できたことは少し誇りには思える。

それに今までに同じようなことに興味を持った人達が多少は覗いてくれて、何かを感じ取ってくれていることもあるかもしれない。自己完結しているblogとは言え、他者に何かの一助となってくれているのであれば、それは嬉しいことである。

最近はあまり記事にすることも減ってきてしまっているが、今後も細々と続けていきたいと思う。
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アフターコロナの日本・世界を考える。

2021-06-17 12:20:12 | その他
オーディオ・シアター・家のことしかほぼ書いていないブログではあるが、
今後コロナ禍が終わった後の日本と世界を予想しようとすると、文章にしないとなかなか整理が付かないので今回の記事にする。
数年後に見返して自分の身通す力の無さを笑うためのネタにでもなってくれればと思っている。

おそらくコロナ禍は今年度末へ向けて終息に向かうだろう。
日本、世界でワクチンが普及しはじめておりその効果もでている。
そのせいか新規感染者もある程度減少している。
ただ昨今の減少はワクチンだけでなく気温の上昇によるものもあるので、
気温が低下する頃にはまた少しは増加するだろう。ただ今年の秋冬になる頃にはさらにワクチン接種が行き渡っており大混乱をきたすことはないのではないか。
そして再び春になる頃から先はワクチンと気温上昇で緊急事態宣言を発出することはなくなるのではないか。

ただSIRSのように消滅するわけではなくインフルエンザのように風邪の延長線上の感染症として定着するだろう。
コロナ禍の国民総動員的な感染対策のかいがあってかインフルエンザ感染症は激減し、絶滅寸前になっている。インフルエンザが激減するほどの感染対策を施しても広く伝播したコロナウイルス感染症はインフルエンザ感染症の伝播力を遥かに超えていることは疑いようがない。
コロナウィルス感染症がインフルエンザ感染症と比較して恐れられている原因は先に述べた伝播力もさることながら重症化率が高いことにある。
重症化率が高い理由は免疫獲得していない人が多いからであり、変異による弱毒化が十分なされていないからである。
ワクチンにより1度免疫獲得すれば継続して接種するにしろしないにしろ、重症化率はある程度下がりインフルエンザ感染症程度にまで脅威の度合いが低くなるのではないか。
変異を繰り返すと弱毒化する傾向があると言われており、そうなればなおさらである。
なのでアフターコロナの時代はコロナウィルス感染症は残っているがインフルエンザの位置にコロナが置き換わる形で存在し、やや重症の風邪というポジションで人々に感染し続けると思われる。

ではアフターコロナの時代はビフォアーコロナの時代と同じで単にインフルエンザという名前がコロナに置き換えただけなのかというと、おそらくそうはならないだろう。
今までも職場や学校などで風邪やインフルエンザは流行していたが、少しの体調不良で休むことは悪となりがちであり、体調が優れなくても出勤する通学することは悪ではなかった。
他の人に風邪を移すと周りに迷惑がかかる割に、その迷惑が過小評価されていた節がある。その迷惑を過小評価していた割に欠勤欠席の迷惑が評価されるものだから、風邪でも動ければ出勤出席すべきとなりがちであった。
アフターコロナの時代ではコロナがインフルエンザ程度の脅威になったとしても体調が優れない人は家で休むというのが正解だと認識され、それを破るようであれば他の人から咎められるようになるだろう。

コロナが風邪の延長線上になったとしても、大半の人にとって当面の間はコロナウィルス感染症は風邪とは別格の恐怖となるだろう。
ワクチン接種によって脅威が減少したとしても重症化リスクがゼロになるわけではないので誰も安心しなさいとは断言してくれない。
感染制御のためにこれだけ国民に広くコロナウィルス感染症の脅威について植え付けられているので、例え重症化しないとしてもコロナ感染を恐れる心理は深く根付いていると思われる。

旅行などの行動はどうなるか、世界的にも旅行控えによるフラストレーションは相当溜まっているように思える。コロナが終われば皆が旅行を計画するだろうとも思える。
ただコロナパンデミックは突然明確に終了するとは思えない。先に書いたように気温によって増減を繰り返しつつ最終的にゼロにはならないまま脅威が減少した状態で定着すると思われる。
だからこそ、コロナ禍が終わったと判断するのは人それぞれの考え方や地域によって異なると思われ、皆が同じタイミングで旅行を始めるということにはならないのではないか。

規範はどうなっていくだろうか。コロナが脅威が減りつつ定着し、コロナへの恐怖を全国民に植え付けられた状態が想定されるので、今忌避すべきこととされている大人数での会食などは忌避され続け、以前よりは行われなくなっていくのかも知れない。
先に書いたように他人に感染症を移すことの罪深さが植え付けられたため外出時のマスクは今後も続くのかもしれない。

経済はどうなるだろうか。物流は今のように滞ることはなくなるだろうが、以前ほど供給の多様性や潤沢さが無くなっていることが顕在化された感がある。
今後も欲しい物が手に入らないというのはコロナと関係なく今後は頻発することのように思われる。
財政は慢性的な赤字であったが、コロナ禍を機に大きく悪化した。それを一気に財布の紐を締められるだろうか?恐らく締められる国もあれば締められない国もあるだろう。
そして日本は締められない国となるだろう。財政ファイナンスが影響していると思われる円安は続いている。財政が赤字を続けてもハイパーインフレのようなハードランディングは起こらないとしても円安によるコストプッシュインフレという実質的なスタグフレーションが続き、財政のツケを物価高という形で払わされるのではないだろうか。
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