能登でココロもどる旅

ぶなの森エコツアーのスタッフブログです。
能登の海・山・里で日本の原風景に帰る旅を楽しみましょう。

スタッフブログ

インタープリター山崎の日常、スタッフブログ「ゆらりぶらり」も日々更新中です!

鉢伏山をお散歩

2009年11月28日 | 鉢伏山
娘のしょうなのお友達と鉢伏山へ行きました。
くるみちゃん、ななみちゃん、ころもちゃん、しょうなとだいごです。

手をつないで目隠しをして木を探してみます。
目がみえなくなるととてもこわく感じます。

たどりついた木を数分間さわります。嗅いでもいいしなめてもいいです(笑)。

目隠しを外して・・・どれだったかな?

これにちがいない!あたり~。
どうしてこの木だとわかったかをいっしょうけんめい説明してくれました。

森は落葉だらけです。そこで落葉探しをしました。

歩いているとただの落葉ですが、よく見てみるといろいろな種類がありました。

それからたくさんの実も。

途中にある猿鬼伝説の鬼塚や岩井戸神社にも寄りました。




鉢伏山ファンの休日

2009年11月27日 | 鉢伏山
鉢伏山のファンを晩秋の山へお連れしました。
地元の中さんが休みの一日を鉢伏山へ当てて下さいました。
ご自身で鉢伏山へ何度も来ています。竹取物語にもご参加頂いた「お味方」です(笑)。

それならば今日こそは鉢伏山の懐深さを知って頂くよい機会です。

いつものブナ林はすっかり葉が落ちて白い幹が明るい晩秋の姿でした。

そのブナ林を下りて道なき道の水源を探り、川を遡って尾根にかじりつき、
ぐるっと回って元の所に戻ると驚かれた様子でした。

「こんなにいろいろあったのにこんなに近かったんですね。」
狭いエリアで次々とシーンが変わる中でいろいろな自然の姿を楽しめる。
それがここの利点かもしれません。
ガイドと一緒でなければ行けない鉢伏山の自然の深奥を体験して頂きました。

舞台を鉢伏山頂上エリアに移し、ブナの稚樹も植えました。
100年後の森のレイアウトを考えながらの位置決めに時間がかかりましたが
6本ほどのブナを植えました。

小さいので踏まれないように目印を多く付けてあります。

みなさん、鉢伏山へ登る際は気をつけて下さいね。

五箇山で観光を考えた

2009年11月25日 | エコツアー能登
五箇山といえば世界文化遺産に登録された合掌造りの山里です。

ひと山隔てて白川郷がありますが白川郷荻町は岐阜県側、
五箇山の菅沼や相倉集落は富山県側になります。
エコツーリズムのセミナーは合掌造りの民家「竹中家」が会場でした。
さすが五箇山です。

すべて天然素材で作られ自然と同化しているような人の住む家。自給を基軸にした生業の濃さ。
合掌造りの里は見渡す限り観光コンテンツの塊です。さすが世界遺産。
国際的なミシュランガイドにもしっかりと載っています。
ここならなんでもうまくいくんじゃない?とうらやましくなってしまいます。

・・・ところが。

「観光客の事前期待が高いことは、期待に応えるハードルが高いというデメリットでもある。
本当に地域を大切にしているか。それが真剣に問われる。
地域の利潤を増やすことを第一優先で考えているか。
その意識共有ができているか。市場の評価に対する危機感を持っているか。
20年後・30年後のこの地を、皆さん、どうしたいか描けてますか?」
講師・山田桂一郎さんの問いかけに会場が静まります。


かつて高く評価された「結」に基づいた村落共同体は高齢化や後継者不足が深刻で
世界遺産といえども世の大きな流れの例外ではありません。
観光に対するスタンスも観光業者・組合員・住民によって違いがあり、年代や立場によっても
大きな隔たりが見受けられます。実際に今、人がどんどん来ている地域でステークホルダーが
まとまることはむずかしいのです。

個別の問題の現れ方は千差万別でそれぞれ違いながらも、同じようなテーマ性がみられます。
だからこそ、リピーターを生み出す「らしさ・ならでは」の観光によって地域を活性化するモデルが
有効なのです。

例えば能登半島まで来る首都圏の人の大半は富山県を通過しながらその魅力を感じるはずです。
逆に富山県へ来た人がその先にある能登半島の魅力を知ることもできるはずです。
ヨソモノ目線では北陸全体がひとつのまとまった文化圏であり自然環境圏なのです。
北陸の本質的な価値を提供する体験プログラム・お宿・お食事・物産が点々と輝けば
旅人は自ら選択的にその点を結び線をつなげながら全域を巡ります。
それがこの地の本質に触れる旅となれば、再訪を心に誓うことになるでしょう。

前回の氷見と合わせて富山県の観光関連の方々とつながりができたのはよかったです。

円陣 engine

2009年11月22日 | エコツアー能登
これがかの有名な新聞紙で作った「紙袋」です。

ニューヨークでも大評判で輸出中のエコな商品の仕掛け人は
高知から来た㈱四万十ドラマの畦地さんです。
「考え方を売る」地域資源の商品開発を伝えてくれました。

「いしかわ地域づくり円陣2009」へ参加しました。

5つの分科会と全体会にはそうそうたるゲストと石川地域づくりコーディネーターが一堂に会し、
そうそうたるメンバー。これから始まる胎動を予感し刺激を受けました。

「恋のから騒ぎ」のひな壇演出の遊び心、私はウケました。

石川地域づくり表彰の授与式もあり、個人部門では能登町の数馬さんが受賞です。

能登半島里山里海自然学校も受賞し、赤石先生が活動報告を行いました。


あえのこと

2009年11月21日 | エコツアー能登
「あえのこと」をご存知ですか?
奥能登特有の習俗でユネスコの無形文化遺産に登録されて話題になっています。

12月5日に田の神様(タノカンサーン)を農家へお迎えしてねぎらって、
旧正月の2月に田んぼへ送り出す行事です。
神様を田んぼから玄関へ連れて来て座敷に通し、お風呂に入ってもらってからごちそうします。
おもしろいのは家の主が神様が見えるかのように話しかけ、振舞うことです。
例えば
「湯加減はどうですか?背中も流して進ぜましょう」
「ごちそうはたんとあります。ごゆるりとめしあがってくだんせ」
といった具合です。

「おさがりをちょうだいしみんす」といって
神様へのごちそうを最後に家人全員で頂きます。

かつて農家はとても貧乏でしたが、「あえのこと」の夜は魚も含めたごちそうを
おなかいっぱい食べられた日でした。子ども心に楽しみだったそうです。
「あえのことの夜に火を吹く者がおるか」といわれたように前かがみもできないので
反り返りの晩と呼ばれました。素朴でつつましい農民の暮らしが感じられます。

金七さんが不動寺で体験した「あえのこと」について実物を使ってお話し下さいました。

ラブロ恋路にて「あえのこと」にちなんだご膳の食事をしました。

奥能登全域の各家々で今も続く農耕儀礼です。

詳細はこちら
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/hogojouyaku/unesco/pdf/sanko_04_7.pdf

氷見で観光を考えた

2009年11月20日 | エコツアー能登
能登半島のつけ根にある「氷見」は寒ブリで有名な食の観光地。
海の向こうに立山連峰が見える自然豊かな港町です。
ここは富山県ですがヨソモノ目線の私にとって能登半島は分けることのできない全体です。

氷見でエコツーリズムのレクチャーがあったので参加しました。
観光カリスマの山田桂一郎さんと海島遊民クラブの江崎喜久さんが講師です。
会場の「永芳閣」と「ヒミングアートセンター」に氷見の未来を真剣に考える人たちが集まりました。
旅に人は何を求めているのか。異なる日常と地域のこだわりの価値とは。
それを求める人々を受け入れる側の本当の役割と心構えはどうあるべきか。
包括的な理論から現場の実例まで、実践のヒントが刺激的に提示されました。

日本各地で新しい地域づくりの胎動が試行錯誤されています。
観光についても例えばボランティアガイドのあり方や低価格の体験観光から脱皮が求められています。
エコツーリズムが提唱する顧客の期待に応えたプログラム(地域の素材を深く吟味し練り上げられたもの)を
ホスピタリティを意識した有償ガイドが行うというモデルは、ひとつの有力な回答となります。

さて、アートNPOヒミングは改装した古い醤油蔵が拠点です。

手前にあるのが「天馬船」。ブリの定置網の管理に使った古い舟でひとつの象徴です。
アート活動の中で氷見に眠る地域の宝に気が付き、人を結ぶ情報発信の取り組みを始めたそうです。


ヒミングは土日にカフェもやっています。
河口に面した蔵の中で素敵な時間を過ごすことができます。

http://www.himming.jp/

帰り道に大きな虹がかかりました。

希望の虹ですね。

鉢伏山 いろどり

2009年11月18日 | 鉢伏山
オレンジのウリハダカエデ

赤のウワズミザクラ

黄緑の葉ときれいな実のムラサキシキブ

信号機のような赤青黄色。
赤はホツツジ、青(緑)はヒメアオキ、黄色はクロモジで、日本海側の多雪地帯の
代表的な低木です。

キノコは以前とは違う種類に。気温も下がっています。

それにしてもこのドでかいキノコはなんやろ?(100円がスケールです)

鉢伏山 紅葉の森

2009年11月13日 | 鉢伏山
紅葉の森をただ美しいというだけではエコツアーガイドは務まりません。
うっとりしたい誘惑を抑えて、色の不思議についてです。


紅葉の色はよく見ると、みどり・きいろ・あかの3色とそのバリエーションといえます。
みどりの色素はクロロフィル、きいろはカロチノイド、あかはアントシアンです。


紅葉の基本的なメカニズムはこうです。
元のみどりの葉にはクロロフィルとカロチノイドの色素が含まれています。
秋になるとクロロフィルが分解されてカロチノイドのきいろが目立ってきます。
これが「黄葉」です。

また葉の中の糖分が行き場を失い、赤い色素のアントシアンに変わります。
この比率が高いと「紅葉」になります。


ひとくちに紅葉といっても、樹種による色づきは様々です。
それが集まった森の色合いも場所によって様々です。
尾根や谷、緩斜地や急傾斜、こちらの山と向こうの山によって特色が違います。

多彩な紅葉はそこに生えている構成木の多様さを示しています。
同時に自然環境を色で読み解くこともできるのです。

鉢伏山 The World of Moss

2009年11月10日 | 鉢伏山
「苔は遠目でみるとただのみどりの塊ですが、間近で見ると
いろいろな世界が広がっていておもしろい素材ではないでしょうか。」
お客様の指摘にハッとしました。そうだ、苔を観察しよう!

早速水源地へ向かいます。谷間でいつも湿った"MOSSY FOREST(蘚苔林)"状態。
苔にとっては理想的な環境です。
(ちなみにここでいう苔はコケ植物のことで能登方言のキノコではありません)

小さな世界に「センス・オブ・ワンダー」でした。
しゃがんでルーペで見ているうちに「風の谷のナウシカ」の腐海と
「もののけ姫」のシシ神の森の世界がオーバーラップしてしまいました。

眠る巨神兵。


腐海の上をメーヴェで飛行します。

続いて樹海の山を通過中。


もはやキノコは巨大な建造物です。


コダマが遊ぶ庭。


旺盛な生命力で木を覆っていくのが見えるよう。

イメージの飛翔が宮崎アニメに偏ってしまいましたが好きなのであしからず。
苔を観察しているとなかなか先に進めないことも新たな発見でした(笑)。

鉢伏山 子どもブナの引っ越し

2009年11月09日 | 鉢伏山
鉢伏山林道は今が紅葉のピーク。美しい色彩を楽しんでいると・・・

林道の「のり面(切土・掘削による人口斜面)」に見慣れた葉が。
なんとブナの稚樹(子ども)です。

見上げると道路の際に大きなブナが。こぼれ種が育ったのでしょう。

しかしここは道路ののり面。こんな環境ではブナは大きく育つことなく枯れてしまう運命です。
もっと前に雑草と一緒に下草刈りされてしまうかもしれません。

ブナの実から芽が出るのはそう簡単なことではありません。
このような稚樹は貴重です。


みすみす枯らせてしまうより生かしてあげたい。
ちょうど鉢伏山の頂上エリアはネマガリタケを刈り取って広くしたばかりなので
そこへ引っ越してみることにしました。

鉢伏山頂上エリアはブナが絶えてしまっていますが本来はブナ林が育つ場所です。

豊かな腐葉土の明るい森です。理想的な環境に穴を掘って植え付けました。
もしこのブナが活着したら・・・

今日は鉢伏山にとって記念すべき日として記憶されるかもしれません。
さあ、これから観察開始です。

奥能登 竹取物語 3回目!

2009年11月08日 | ― 竹取物語
今日は鉢伏山の頂上エリアのネマガリタケを刈り取る「奥能登竹取物語」の当日。
今回で3回目、ご参加頂いた地元の皆さんと私を含め総勢11人でいざ、紅葉の山へ!


鉢伏山頂上の所有者の坂下さんは三角点付近を国に永久貸与しています。

また興味深いお宝伝説(戦国時代の上杉勢や義経逃避行など)をご披露下さいました。

これまでに開いたスペースや道を確認し作業のコツをご説明した後、
枝切りバサミを手にして作業開始です。

下は9歳から上は90余歳まで、11人が力を合わせます。

目に見える成果に作業ペースも加速します。


またたく間にネマガリタケが山のように積み上がりました。

今回生まれた大きなスペースに、来春ブナの実を蒔きます。

みなさん、ありがとうございました。

というわけで帰り道、来年の種付けのためにブナの実を拾いました。


ブナの実は三角。これがあの大木になるとは不思議です。

「竹取物語」はこれからも継続します。自然と人を結ぶ大きな物語になっていくことを目指します。

竹取物語 森づくり

2009年11月07日 | ― 竹取物語
「竹取物語」の第三の目的=ゴールは森づくりです。
どういうことかというと・・・。

まずネマガリタケを刈ることは、実は自然の摂理に適っているのです。
タケやササは地下茎でつながって増殖(栄養繁殖)しますが不思議なことに
60~70年に一度、一斉開花してから枯れ果てます。
その後タケやササが回復するまでの数年間は苗木にとって千載一遇のチャンス。
この時にうまく育てばササを越えて大木となることができます。

私たちはこの「ギャップ」と呼ばれる樹木の更新を人為的に起こして森の成長を促します。
つまり「次世代の森」のはじまりに立ち会っているのです。

次世代の森はどうあるべきでしょうか。

竹取物語の舞台・鉢伏山の頂上付近はミズナラなどの明るい雑木林です。
薪や炭を産する森でも今はニーズが無く、放置されたら元に戻ってしまいます。
針葉樹の植樹もよく行われていますが森が単調になるだけでなく人の管理が不可欠です。
実際は放置林となって荒れているのが現実です。

一番よいのは自然の摂理に合わせて鉢伏山を本来の姿であるブナ林に戻すこと。

しかし鉢伏山の頂上エリアにはほとんどブナは残っていません。
そこで鉢伏山山域に残されたブナ林(白滝自然林)から種を拾って蒔いたり
稚樹を移植したりして少しずつブナを増やすことを来春から始めたいと思います。
ちょうど佐渡の朱鷺のように。

人の手で自然本来の姿に戻す森づくり。
それは環境の世紀となる百年後に向けた私たちのメッセージとなるでしょう。

竹取物語 人が関わる意義

2009年11月06日 | ― 竹取物語
「人の手による自然本来の植生の回復」といった言葉に
疑問を感じる人がいるかもしれません。
そもそも自然とは人が手を加えないことなのではないか、と。

答えはこうです。
人の利用によって維持されてきた山は人が手を加え続ける必要があるのです。
縄文時代から石斧で森林伐採が始まり、日本にはほとんど原始の自然は残っていません。
薪炭需要をはじめ様々に人が手を入れてきたのが日本の山の自然です。

それではなぜササ(ネマガリタケ)を刈るのか。
ササは日本の自然、特に寒さに適応した種族です。
常緑のササは本来明るい光が必要で森の外側を縁取る役割の植物です。
原生林のような暗い森ならばササは森の中に入ってこれません。

ところが実際には木の生育を阻害(更新妨害)するほど森の中に入って繁茂しています。
それは森が明るくなったから、つまり人が木を切ったからです。
よってブナを含む多くの木々がササに対して有効な防衛戦略を持っていません。
(刈る前)

それでも炭焼きが行われていた頃は枝拾い・落葉掻き・下草刈りなどでササの勢いは
抑えられていました。ところが熱源が石油に置き換わった昭和40年代以降、山は放置され、
今やササの天下となりました。森の時間単位ではまさに一瞬の変化です。

ブナなどの木の更新妨害の遠因に人が関わっているのだとしたら、
人の手によってササを抑えてやる義務があるのです。
(刈った後)

人と自然(山や森)の関わりを今日的なテーマで取り戻すこと、
それが「竹取物語」の本当の意義です。(更に続く)


竹取物語 ネマガリタケ

2009年11月05日 | ― 竹取物語
私たちは「奥能登 竹取物語」と称して鉢伏山のネマガリタケを刈り取っています。
それはなぜでしょうか?そもそもネマガリタケとは何ぞや?

ネマガリタケは一般名で「チシマザサ」と呼ばれます。

1.5~3メートルと大型のササで根元が曲がっているので「根曲竹」と言われるそうです。
日本海側の山地ではブナ林やミズナラ林などの林床にふつうに生えています。
春先に若い芽が山菜として楽しめます。

ところがこれが林床を埋め尽くすほど密生していることがあります。

こうなるとだれも中へは入れません。
山の恵みを得ることも歩くことも遊ぶこともできません。

ネズミと虫以外は動物も鳥も入れなくなります。
ブナ林の場合だと下層植生といわれるショウジョウバカマやオオイワカガミなどの草や
中低木のヒメアオキ・ヒメユズリハ・ハイイヌガヤ・オオカメノキなどが駆逐されてしまいます。
もっと深刻なのは森の木の苗が育たなくなることです。
こうしてネマガリタケの占有によって本来の多様な植生が失われてしまうのです。

「竹取物語」はネマガリダケを人の力で除くこと。

それによって本来の自然の植生を回復することが第一の目的です。
人の往来が回復して誰もが訪れる山になることが第二の目的です。

それには大きな意義があります。(続く)