能登でココロもどる旅

ぶなの森エコツアーのスタッフブログです。
能登の海・山・里で日本の原風景に帰る旅を楽しみましょう。

スタッフブログ

インタープリター山崎の日常、スタッフブログ「ゆらりぶらり」も日々更新中です!

能登人と過ごす能登時間 3

2009年07月27日 | エコツアー能登
「能登人と過ごす能登時間2009」にある能登町のプログラムは7つあります。
いま私は能登町に住んでいますのでちょっと地元の宣伝を(笑)。

①言葉さがしの旅:室谷一柊さん・朱琴さん

抒情書家の室谷ご夫妻。その作品は書道ではなくて「書」です。
墨を使って文字というよりも絵画的な自由な表現で言葉を和紙にあらわします。
ご夫妻のご指導で自分の内面から紡いだ言葉を探して作品を作りあげます。
アトリエは能登の古民家「五友宿」です。
半日+半日=一日をかけたゆっくりした時間の過ごし方も魅力です。
開催:通年

②大人のプラネタリウム:室石英明さん
能登の星空は半島の特性でたいへんきれいです。プラネタリウム「満天星」のある
能登町柳田の夜空は環境庁の星空の町コンテストにも入賞しました。
職員の室石さんの星のお話はとてもユニークです。大人だけを対象にした星の観察会。
星にまつわるお話には大人の恋や嫉妬の物語がたくさんあるそうです。
大人のプラネタリウムで素敵な夜を。
開催:8月7日(金) 8月29日(土)

③「猿鬼伝説」を歩く:とんと昔の会

能登町柳田は奥能登で最も雄大な「猿鬼伝説」の舞台です。多くの地名の由来にもなっています。
民話の舞台を歩き、「猿鬼講」でのお話とお食事をお楽しみください。
「とんと昔のことやった」で始まる語り部は「とんと昔の会」です。
開催:9月27日(日)

④伝統漁法「たこすかし」に挑戦:大瀧信夫さん
タコの習性に合わせた素朴な漁法のたこすかし。
秋の早朝と夕方にたこが沖から戻ってくる時が狙い目です。
竹竿と針と赤い布でどうやってたこが取れるかというと・・・。
指導の大滝さんが楽しく丁寧に教えてくれます。「捕れて感動!捕れなくて残念!」
開催:9月中旬~10月末まで

⑤春蘭の森で楽しむ山遊び:春蘭の里実行委員会

春蘭による里づくりに取り組んできた「春蘭の里」は、能登での農家民泊の先進地。
都会の子どもたちや大人が、素朴な能登の山里で農家の暮らしを体験しています。
「ふるさと」を楽しんでください。
開催:通年

私たちも柳田(当目)に事務所を開いてエコツアーの企画と運営を行っています。
あと二つは私たちのプログラム。
⑥鉢伏山のブナ林散策:坂下政行さん
⑦鉢伏山の竹取物語:山崎昭宏(私)
その紹介はまた次回。

能登人と過ごす能登時間 2

2009年07月23日 | エコツアー能登


旅に求めるものってなんでしょう。

いろいろな場所を見て回ったり、おいしいものを食べたり、温泉につかったり。
それぞれの楽しみ方がありますね。

でも旅から帰って永く心に残るのは、出会った人との思い出ではないでしょうか。
人の親切だったり、教えてもらったことに驚いたり、ひょんなことから交わした初対面の人との出会いであったり。

でもそういう人とのふれあいは急ぎ足の物見遊山ではなかなか起こるものではありません。
ましてふつうに暮らしている地元の方とは。

旅人が地元の方とのふれあいを無理なく楽しめるようにできないか。
その地の普段の暮らしや生業、その地の自然や文化のよさに触れることを今の旅人は欲しているのではないか。

そういった中から「能登人と過ごす能登時間」は生まれました。

これからの旅の楽しみ方には、その地域の人々との交流があります。
旅人とその地に暮らす人が一緒に「コト」をして過ごす時間を共有することで、
ホッとして心身をリフレッシュする機会になることが求められています。

「能登時間」とは能登には都会とは異なる時間があるということ。
それは時計の時間ではなく、心で感じる時間なのです。

だから能登へ旅するみなさん、
急ぎ足になりそうな衝動をおさえて、時間をぜいたくに使うスケジュールを組んでみてください!

そして忘れられない旅をしに、能登人に逢いにいきませんか。

能登人と過ごす能登時間
http://www.groovy-net.co.jp/noto-jikan/


能登人と過ごす能登時間 1

2009年07月21日 | エコツアー能登
「能登人(のとびと)」。

地域を愛し、地域に責任を持って、実際にさまざまな活動を続けていらっしゃる方たちに
スポットライトを当てたタイトルです。
地域の最大の資源が人であるというコンセプトがとてもよいと思います。

その活動の母体である「能登ネットワーク」の皆さんの想いを形にした冊子が2007年春に出版されました(左)。

それに続く2008年には「能登ふるさと博」の一環で「能登人」の観光プログラムが実現しました(右)。

題して「能登人と過ごす能登時間」。

様々なジャンルで活躍する「能登人」と語らいながら、
能登ならではの体験・交流型のプログラムを楽しんで頂く、というもの。
これからの観光・旅行・旅がどういう方向性なのかを明確に示したこのモデルは内外の注目を浴びて
好評を博しました。

今年も「能登人と過ごす能登時間」はリニューアルされて2009年版が始まっています。

さて、どんなプログラムがあるかというと。。。

食の体験 塩づくり 豆腐づくり 和菓子づくり キノコ狩り タコ釣り
文化体験 伝説の語り部 観音めぐり 草木染め 貝細工 ガラス玉
産業体験 珪藻土採掘 織物工房
芸術体験 書 陶芸 漆・沈金 押花絵 
自然観察 星空観察 ブナ林 山の保全 炭用植林 
海の遊び ダイビング シーカヤック
などなど、33のプログラムがあります。

能登島ダイビングリゾートの須原さんの「野生イルカと泳ぐエコツアー」もそのひとつでした。
これからも折をみてご紹介していきます。Webサイトもあります。

能登人と過ごす能登時間
http://www.groovy-net.co.jp/noto-jikan/

はじめての講演会

2009年07月18日 | エコツアー能登
生まれて初めて講演会の講師となりました。
岩井戸公民館でご近所の方を中心に、30人ほどお集まり頂きました。

せっかくご依頼頂いたのですから分かりやすくて楽しいものにしたい。
自分が感じているコトを共有して頂くためには・・・と考え、
音楽と合わせたスライドショーで私のイメージを疑似体験してもらおうと思いました。

タイトルは「能登はいいとこ」


「鉢伏山の森林浴」は8分。山の目覚めと生命力がテーマ。
「能登はいいとこ」は15分。撮りためていた能登の風景で構成しました。

私にできるのはヨソから来たフレッシュな感覚で能登がどう見えているのかをお伝えすること。

テーマはこの地ではじめたばかりのエコツアーについて、都市農村交流の新しい形としてご提案しました。
その基盤は「地域の宝」を活かすこと。地域の方が自らのよさに気づく「あるもの探し」にはヨソの目が有効です。
子どものようなみずみずしい感性を回復することやいろいろな視点で考えることの大切さを語りました。


能登へ来てまだ日も浅くとうてい内容がおぼつきませんでしたが、皆さんはご静聴下さいました。
「写真でみるとなかなかいいことに住んでるんだなあ」とおっしゃって頂きうれしかったです。

どうもありがとうございました。

能登島 イルカと泳ぐエコツアー 4

2009年07月16日 | エコツアー能登
ここが5頭のミナミハンドウイルカたちのホームです。意外なほどふつうの海岸です。
イルカは毎朝ここから沖に出て、夕方になると帰ってくるのです。

ドルフィン・ウォッチングのルールを守る証の黄色いのぼり旗が翻ります。
鎌村船長は決してイルカを追いかけたりしません。イルカがこちらへ来るのを待ちます。
イルカが興味を示すように微妙に操船しながら・・・。これが遭遇確立99%の技!

いましたっ!!! 何頭ものイルカが船の下を横切ります。

あそぼうよ、はやくおいでよ、ていってるみたい!

はやる心をおさえて、足ヒレをつけて、船から降ります。ゆっくりと順番に。
みんなでなるべく固まってじっとします。うまい人が深くダイブします。これもイルカと会うためのコツ。


シュノーケリングしながら海面に浮いていると、背びれを立てたイルカたちがまっすぐこっちに向かって泳いできます。
そして潜ったと思ったらすぐ横や真下をかすめます。 大きい!
イルカは斜め下しか見えないそうなので、おなかを見せる感じで通り過ぎていく時はこっちを見ている証拠。
イルカの声も聞こえます。クリック音もします。大興奮!!!約1時間があっという間でした。


野生のイルカと海の中で遭遇する感動は言葉に表せません。
ガラスケース越しでもない、船の上からでもない、同じにつながった水の中で種を超えたコンタクト。
イルカたちは不器用に浮いているのろまな友達に、わざわざ会いに来てくれているのです。
遊んでくれて、ありがとう! ヒトとイルカの立場が逆転してしまいました。

イルカのなめらかな美しい体。道具をくっつけている自分の姿がこっけいにも感じます。
カラダひとつになりなよ、ってイルカに言われたような・・・。

イルカは船も大好きです。
百戦錬磨の鎌村船長の操船は特に楽しいらしく、舳先で嬉々として泳ぐ姿はまさに遊びです。

弱肉強食ばかりではないピースフルで自由な海の懐深さをメッセージする野生のイルカたち。

海の中でイルカと泳ぐと、深い何かが残ります。
それがなんだろうと確かめたくて、また彼らに会いに行きたくなるのです。

野生イルカと泳ぐECOツアー
http://www.notodive.jp/dolphin-tour.htm


能登島 イルカと泳ぐエコツアー 3

2009年07月15日 | エコツアー能登
のとじま水族館の後は、近くの海でスノーケリングの講習です。
このイルカツアーの目玉は初心者でもイルカと一緒に泳げること。
そのための大切な練習です。まずウェットスーツを着るのが初心者にとっては大仕事。
へばりついて体が固まったようになりますが、水に入ると気にならなくなります。


スノーケリングはゴーグル(水中メガネ)とスノーケル(息つぎ用の筒)と足ヒレの三点セットが基本。
それぞれの道具のつけ方と使い方を須原さんが丁寧に教えてくれます。
だれでもしっかりマスターすることができるので安心です。


スノーケリングができるようになると、海の中をずっと見ることができます。
海にはアマモが繁茂していていました。海を浄化する大切な植物で全国で移植しています。
能登には天然のアマモがたくさん生えていて魚の隠れ場所になっています。
豊かな海を実感しました。

練習を終えたらいよいよイルカを見るために「ブライト号」に乗船です。


小さい船に乗ることもふつうの人にとってはけっこう大冒険の気分になりますね(笑)。
野崎港を出港し、海越しに剣立山連峰を眺めながら船が疾走します。
能登島の沿岸には定置網が張り巡らされていました。

15分くらいで七尾北湾の大口瀬戸に着きました。その先にイルカがいるはず。ワクワクドキドキ。
(続く)

能登島 イルカと泳ぐエコツアー 2

2009年07月14日 | エコツアー能登
午前のレクチャーの後は「のとじま水族館」へ昼食を兼ねて移動です。
ここでは能登の海を知る楽しみがあります。能登の海はどんな特徴があるのでしょうか。
ダイビングの本場である太平洋側と違うのでしょうか。

ちがうんです。
太平洋側はサンゴに魚がつきますが、能登の海には海藻に魚がつきます。
能登島周辺は魚種も多く特に夏場はトルネード(魚が体に巻きつく)となり、
海藻は森のようで、カリフォルニアのモントレーの海に雰囲気が似ているそうです。

のとじま水族館にその海の様子を再現したようなところがありました。
この海藻は外国産のジャイアントケープですが、よく似たホンダワラが
能登の海にはあるそうです。

また、とても深い富山湾の底から、冬、深海魚が産卵のために海面まで上がってきます。
ダイビングで深海魚が見られる日本でも珍しい場所なのです。

「能登の海はすごく海藻が繁茂しています。潜ってみるとまるで森の中を歩いているみたい。
シュノーケリングで海面を泳いでいると空を飛びながら山を見下ろしているみたいなんですよ。」
能登島ダイビングリゾートの須原さんがその魅力を語ってくれました。
彼女のおすすめは生態系を観察する「じっくりダイビング」。
やっかいもののクラゲも観察の対象となればすばらしい存在。
のとじま水族館のクラゲ展示室ではあまりの美しさにうっとりすること間違いなしです。

のとじま水族館にはイルカのトンネル水槽があって、日本近海にふつうにみられるカマイルカがいます。
船長の鎌村さんに近寄ってきました。イルカはヒレを手のように使うと語ってくれました。
ほんとイルカって好奇心旺盛でキュートで、ついつい微笑んでしまいますね。


それからイルカ・ショーもあります。ショー自体には特別なものはありませんが、
イルカの身体能力を確認するにはもってこいのチャンスです。
そのしなやかでダイナミックな動きには海生ほ乳類の進化の頂点といった美しさがあります。

それにたのしそう。ほんとうに「あそんでいる」んですね。
(続く…)

http://www.notoaqua.jp/


能登島 イルカと泳ぐエコツアー 1

2009年07月13日 | エコツアー能登
能登島ダイビングリゾートで「イルカと泳ぐエコツアー」に参加しました。
能登島には5頭のイルカがすみついているんです!


このツアーは「エコツアー」と冠するだけあってただのイルカ見物とは違います。
まずイルカの見える確率はこれまで99%という実績。これは安心できる要素です。

しかしその神髄はプログラムの「深さ」にあります。
まず、イルカと能登の海を知って「学び」ます。
次に初心者でも安心してシュノーケリングできるように「習い」、イルカとの遭遇に備えます。
それがイルカと仲良く一緒に泳ぐための「作法」です。

それらが一体化た1日プログラム。それだけにイルカと泳いぐ時の感激もひとしおです。

7年前に2頭のイルカがやってきて定着し、今では5頭の群れが暮らしています。
ミナミハンドウイルカです。
本来は熱帯の海に暮らすこのイルカが冬は7℃にまで海温が下がる能登島沖に
暮らしていることは学術的にも貴重です。

スタッフの須原さんの豊富な経験から、イルカの不思議で興味深いお話を聞くことができました。
イルカは人の顔を覚えるのはもちろん、人の心(の状態)にとても敏感で繊細だそうです。
きっと人間以上の何か特別な感覚を持っているのかもそれません。知性ある海の仲間なのです。


能登島ではイルカ・ウォッチングの自主ルールを制定しています。
イルカと生息環境に配慮した上で末永く楽しむための規制で、その説明もありました。
追いかけ回したり、エサでおびき寄せるのはご法度です。

エコツアーは持続可能がキーワード。
環境への保全や負荷の減少への取り組みが不可欠です。
能登島ダイビングリゾートの姿勢は、よいエコツアーの代表といえます。
(続く…)
http://www.notodive.jp/dolphin-tour.htm


これはブロンコ。ダイビングリゾートのペット、ニューファンドランド犬です。
ひっぱられてもむしられてもなにもしないおとなしい犬なのに友達がいません。
それはブロンコがあんまり大きいから。まるで子牛みたいです。
お散歩で出会う犬はみんな飼い主に抱えられてどこかへいってしまいます(涙)。

鉢伏山 今昔物語 4

2009年07月10日 | 鉢伏山
ブナ林を救ったもう一人の雄は原田正彰さん(村文化財保護審議委員・故人)です。先だって鉢伏山を村指定の天然記念物にした立役者であり、最初に鉢伏山の白滝自然林の保護のために動き始め、情熱をもって各所に説得に当たった当事者でした。
トレードマークの茶色の革製手提げかばんを持って郷土史の資料を基に、村の大切な文化遺産、自然が無事守られているだろうかと、村の隅々まで足を運んでいたそうです。

原田さんのお言葉です。

「雑木(ブナ)と言っているのは、自分が木の名を何も知らんがため。名を知っとれば愛情がわいてくる。人間一人一人に名前があるように、木や草の一本一本にも名前がある。「雑木」や「雑草」なんて生き物はいないのです。」

「以前、頂上に展望台を造ろうという話が持ち上がった。私、言うたんです。鉢伏山は奥能登第二の高峰で展望がきく。なんでその上に展望台が必要か、とね。鉢伏山は観光の山ではありません、自然の尊さを勉強する山です。」

一方で原田さんは住民の反対を説得して、五十里の河内川入り口に、みずからその一部に私費を投じてダム建設をすすめました。自然保護と治水を一体として考えていました。それは戦時中に村長だった父親の存在がありました。

「父はそれまで、町野川の氾濫を止めるために、鉢伏山での製炭用材の伐採を固く拒んできたんです。しかし、時勢がそれを許さなかったのです。」

原田さんは第二次大戦後、柳田村が洪水にみまわれるたびに、戦争末期に国の力におされて苦境に立ち、鉢伏山南面の豊かな広葉樹林を切った父親への想いをはせました。

風景にはその地の人の心が反映し、また人の想いが風景をつくっていくのです。

鉢伏山 今昔物語 3

2009年07月08日 | 鉢伏山
鉢伏山のブナ林の保護に大きな功績のあった竹内虎治村長(旧柳田村:故人)のお言葉、昭和60年(1985年)当時のものです。

「鉢伏山のブナ林が、村の生き方を教えてくれました。」

「うちの村は鉄道も海もないのです。都会から遠いので工場は来てくれない。能登半島へ来る観光客でさえ寄ってくれません。村の責任者としてこんなさびしいことはありません。」

「だが都会や町のようになろうと考えるのがムリだった。この村には都会にない自然があったんです。それを教えられた。スギを育てることはコツコツと材木をためることだからまちがってはいません。でも、それにふさわしい場所と、そうでないところがあります。みんなが植林に熱中しすぎて、自然林の良さを忘れかけていたのです。鉢伏山は村いちばんの山だし、白滝はその顔のような場所の自然林だったんです。」

「自然の山には生気がみなぎっていますね。若々しい立ち木、みずみずしい緑、積もった落ち葉、枯れ木、その間を流れる水。ありとあらゆるものがまじって、山の匂いというものがあります。人工林には絶対にないものです。だから生きものも集まってきます。メジロ、ウグイスが鳴き、ヒキガエル、タヌキなどが出てきます。これが本物の自然なんだ、都会の人が求めているのはこういうものなんだと感じました。」




「ブナ林の買収がきっかけとなり新しい村づくりの計画が始まりました。」

「自然を大切にし、自然の中で生きる村人。そこへやすらぎを求めてやってくる都会の人。素朴な自然の中で、村人と都会の人との間に心のふれあいが生まれます。
これまでの観光開発や工場の誘致といった夢を捨て、たっぷりある自然と村のふだんの暮らしが都会の人たちの魅力なんだ、という視点に立って「ふれあいの里・柳田村」という新しい村づくり、村おこしを進めています。」

    *              *            *

・・・ここから「特別村民制度」や「柳田植物公園」などがうまれたそうです。
30年近くも前のこととは思えないほどたいへん先進的なご見識です。いやむしろ早すぎたのかもしれません。なぜなら今こそ、そのコンセプトが生きる大きなうねりが起こっているのですから。

鉢伏山 今昔物語 2

2009年07月06日 | 鉢伏山
旧柳田村ではブナ林を保護するために昭和44年(1969年)、一体を村の天然記念物に指定しました。
昭和58年(1983年)1月には「21世紀に残したい日本の自然100選」(朝日新聞社・森林文化協会)に選出されました。



「村長、ブナ林が切られてしまう」

鉢伏山の自然と歴史をコツコツと研究している村の文化財保護審議委員・原田正彰さんが、
昭和57年(1982年)暮れに村役場へかけ込みました。
年明けて昭和58年(1983年)1月に「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれたブナ林が残る山頂付近は
「白滝の自然林」の名で親しまれていますが、山の持ち主二人が立木をチップ会社に売る契約をしたのです。
「雑木を切ってスギを植える」というのが持ち主の計画。
農業と林業で生きてきた村の人にすればごく自然な考え方でした。
跡地については公団造林申請書が提出されており、ブナ林は消滅の危機に瀕していました。

竹内虎治村長の決断は素早かった。
「村が買いましょう。自然100選に選ばれるほどの価値ある林なのだから。
いま見過ごして村からブナ林が消えたら、子孫に申し訳ない」

村長は持ち主と何度も話し合い、議会とも相談し金を借りるために県庁へも足を運びました。
石川県知事 中西陽一氏の支持もあり、自治振興資金を利用することができました。

そして同年8月に1100万円で白滝自然林10ヘクタールを買い取り、村有林として登記を完了しました。
年間予算22億円、村税収入1億8千万円の村にとっては大金でしたが、
ブナ林を買い上げた目的は自然保護と同時に治水のためでもありました。
懸念された土砂の流入を防止する水害対策も講じられたのです。



こうした保全の取り組みは柳田村の英断として当時大きな反響を呼びました。
鉢伏山は昭和60年(1985年)に「朝日森林文化賞(自然保護部門奨励賞)」に、
昭和61年(1986年)には「森林浴の森100選」にも選ばれました。
時を下って平成7年(1995年)「いしかわの森林50選」に加えられました。

鉢伏山の最後のブナ林は伐採をまぬがれて、往時の面影を今日に伝えています。

鉢伏山 今昔物語 1 

2009年07月03日 | 鉢伏山
鉢伏山の歴史。それは能登の山の歩みです。

鉢伏山は能登半島一の長流・町野川の水源です。うっそうとしたブナの原生林に覆われていました。
ふつうは標高1000メートル以上でしか見られないブナ林がこのような低い山にあるのはたいへん珍しく、
シベリア寒気団の北西の季節風に真っ先にさらされる能登半島の冬の厳しさを示すものです。



鉢伏山塊は修験道の霊地として大切に自然が守られていました。
鎌倉・室町時代に山岳信仰が盛んになり、山伏の住まいが地名として残っています。
寺に残る「天狗わん」と呼ぶ大きなお椀にも足跡がたどれます。
一方で樹海は生活の舞台でした。
能州木地師が神木として崇めたブナ材を求めた地であり、山は漆を豊富に産し、
のちの輪島塗の揺籃の地ともいわれています。
終戦の頃までは石川県下一の製炭地でした。

しかし営々と続いてきたこの大自然も短期間のうちに大変貌を遂げることとなります。

①炭の戦時徴収による急増とその後の需要急減
大規模な伐採の始まりは戦時中の軍用木炭の供出でした。
ところが戦後はエネルギー政策の転換により状況が一変、
薪炭の需要が低調となり生業として経済的に成り立たなくなりました。
後に続く大変貌の前触れとなりました。

②皆伐によるスギ植林事業
戦後の木材需要の急増により、自然林をすべて伐採(皆伐)して
スギやアテを植える人口造林が始まりました。
昭和40年代からは公団公社による大規模な造林も進み
またたく間に山は広大で単調な針葉樹の一斉造林地となりました。

③パルプ需要のチップ材
皆伐された「雑木」は製紙原料の木材チップとなりました。
高度経済成長期の旺盛な紙の需要に応えるものでした。
やがて役に立たなかったブナもチップにする技術が確立されました。
これはすべての森が伐採の対象となることを意味しました。



炭焼きの不振→雑木林をチップの原料→スギの植林→林業不振による放置林の増加

こうした大量伐採により400ヘクタール以上のブナ原生林が失われ、
山の保水力が弱まり、流域には洪水が多くなりました。

鉢伏山 新ルート開拓

2009年07月01日 | 鉢伏山
これから頂上までの新しいルートをつくります。
すでに頂上への直登ルートがあるので、新ルートは変化に富んだ遊べる道を作るのが目標です。
印象深いミズナラの大木はこのルートのアイコンです。


さっそくいつも通りの竹刈りです(笑)。この日は男3人がかりです。
刈払機も出動して作業ははかどりました。
駐車場もある「栗の木の門=チェスナッツ・ゲート」から入ってすぐに平らな場所を見つけました。
炭焼き小屋の跡かもしれません。ちょうどいいのでここを広場にすることにしました。


この日は佐野さんがチェーンソーを用意してくれたので木を切ることができました。
もちろん事前に山主さんの許可を得てあります。

大きな木でも元気のない木は半分腐っていたりします。幹や枝がいつ落ちてくるか分かりません。
また、もはや二酸化炭素を吸収するよりも排出する方が多い場合もあります。
安全面と森の活性化のためにこの木はむしろ切った方がよいという判断でした。

木を切らずに枝打ちする(枝を切る)ことで「空港のみえる窓」もできました。

七尾湾や立山連峰も一望の好展望です。能登空港も全景が見えます。
まるでミニチュアのような旅客機が離着陸する一部始終を見ることができて一大スペクタクルでした。

飛行機の名所になったりして。