能登でココロもどる旅

ぶなの森エコツアーのスタッフブログです。
能登の海・山・里で日本の原風景に帰る旅を楽しみましょう。

スタッフブログ

インタープリター山崎の日常、スタッフブログ「ゆらりぶらり」も日々更新中です!

送りのあえのこと

2011年02月16日 | 祭り
12月5日に田んぼから田の神様を家に迎えた「あえのこと」。
立春には田の神様を田んぼにお返しする「送り」で完結します。
2月9日に国重の吉村さんのお宅での様子を見に行きました。

個人宅ですがとても大きく古い家で舞台としての雰囲気は完璧です。

庭といわれる土間、囲炉裏が2つ、座敷や大きな台所など能登の家はふつうにすごいです。
送り出しの儀式は座敷の米俵にいらっしゃる田の神様をお風呂にご案内することから始まります。

ひと風呂浴びて囲炉裏の前でくつろいでいる神様。サカキが神様の依り代です。

ご膳の支度が整ったら再び座敷にお連れしておもてなし。ご馳走をご説明します。

おいしそうですね。

この一年の豊作を神様にお願いします。

今回は積雪があまりに多かったので玄関に一時ご逗留頂き、後日、田んぼへお連れするそうです。


吉村さんは定年後、生れ故郷の国重へ帰郷なさいました。
地域でほとんど廃れていたアエノコト、吉村さんも子供の時のごちそうの記憶しかないそうです。
そこで文献に当たりながら吉村家が代表して復活しました。他の農家の神様も一緒です。

今後アエノコトの継続が課題だとお考えです。
どこかにアエノコトを伝える資料や展示などを行うことは大切だとおっしゃっていました。
私も同感です。
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冬のふるさと博 寒ぶりまつり(宇出津)

2011年01月17日 | 祭り
寒波の中、能登町宇出津で恒例の「寒ぶりまつり」が開催されました。
前日からの大雪と凍える寒さでさすがにお客さんも少なめでした。
私も除雪に手惑い午後1時に到着しました。

おっと、路上をうろつく野良あんこう発見。

危ないですから近寄らないでください(笑)。

すぐに捕獲されて吊りさげられてしまいました。

今年はぶりが豊漁だそうです。津幡から来た小学校の先生も「がんど(=はまち)」さばきに挑戦です。

我が家の子供たちも去年に引き続き魚さばき体験にエントリー。サバを三枚下ろしに。

プロの魚屋さんが丁寧に指導してくれました。

凍るような指先でがんばりました。さばいた魚は頂けます。親孝行、でかした!

まるやま組のアエノコト

2010年12月17日 | 祭り
輪島市三井のまるやま組で12月12日にアエノコトがありました。詳細はこちら

ヨソモノたちが集まって地域の方に教えて頂きながら、農家であるとないとにかかわらず、
参加型の新解釈アエノコトです。

三井の丸山付近で確認された250種を超える植物名が書かれた和紙の中に栗と松の葉が入っています。
実はこれ、神の依り代です。デザイナーの発想はおもしろい。

まるやま組は輪島市三井の田んぼのビオトープ生きもの調査を続けています。
そこで「雑草」たちもお供えされました。

田の神様は最上流部のは「まるやま」という古墳を思わせるような特異地形を
取り囲む田んぼからお連れしました。

なんと自然農(不耕起栽培)の田んぼです。
新規就農間もない新井さんが取り組んでいる意欲的な田んぼです。

ここは冬水田んぼになっていました。

すばらしい里山風景となっています。

シーズンに来たらさぞのびやかでよい眺めでしょう。

ここでは萩野さんご夫妻が中心になって田んぼビオトープのいきもの調査(毎月第2日曜日)をしながら、
里山のゆたかさ、暮らしのかたち探っています。来年は私もぜひ参加したいと思っています。

奥能登の至宝 あえのこと ③

2010年12月08日 | 祭り
”あえのことシリーズ”のさらにつづきです。初めての人は①からどうぞ。
さて、「田の神様」はタノカンサーともいわれます。究極的には種籾(来年分の稲の種)のことです。
そして畑もつかさどる豊穣と生殖の神です。よって食材は象徴的な意味合いを含みます。

たとえば二股大根は人の形で子孫繁栄というのは分かりやすいシンボルです。

収穫の幸です。
米・銀杏・昆布・栗・黒豆などが農具(一斗箕)の上になれべられます。

煮しめ。うまそー。能登に来て何が旨いかって、これですよこれ。

メインディッシュのご膳もやはり箕の上に置かれます。
収穫物を入れる農具なので喜ばしい気持ちが表れているように思います。

田中さんの御口上によりご説明いたしましょう。
「今日の料理は、小豆飯を山盛りにしてございます。汁物は納豆汁でございます。
 平のものは椎茸、大根、人参、里芋などたくさんご用意してございます。
 お刺身はブリの刺身でございます。お頭はハチメでございます。
 それではお神酒もたくさんございますのでお注ぎいたします。」
 (能登町広報2009年1月号より抜粋)

「あえのこと」は料理が重要な一面を担っている行事です。
食材のいわれには諸説あって各家庭により様々に解釈され、
それだけでも民俗学の研究課題になりそうです。
またしきたりも決まった形式はなく多様です。
いずれにせよ神と人が共に食す形態は同じで、皇室の新嘗祭との共通性も指摘されているそうです。

それにしてもこれだけのごちそうを用意するのはたいへんな労力です。お風呂掃除もあります。
農家のお母さんたちはすごいです。お父さんたちもがんばります。
ちなみに栗の木の箸は一尺二寸で12カ月を表し、その日の朝に家長が山で集めて削り出したものです。

祈りと感謝の心で共に恵みを分かち合う家族の姿が残っていること、それこそが奥能登の宝です。
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奥能登の至宝 あえのこと ②

2010年12月07日 | 祭り
つづきです。
田の神様を床の間へお通しし、いよいよ食事でのおもてなし。ご夫婦の分をきっちり揃えてあります。
まず上座(神坐?)へお通しし、ご膳の上のお椀をひとつずつ開けます。

伝統的なごちそうが全貌を現しました。
家長はここで一年の稲作の様子をご報告し豊作に感謝の意を表します。
そして膳の内容をひとつひとつ丁寧に説明し、神様のご機嫌をお伺いします。

家長・田中登さんの晴れ姿です。

神様がお食事の最中に家長は静々と歩みより、田の神様へお酌をします。
また頃合いを見計らって甘酒もお勧めする気の遣いようです。

それもそのはず、「あえのこと」の意味はごちそうをして神様をもてなすことなのです。
やがて一時も経った頃、神様にお伺いし、膳をお下げします。
「今年の料理のお味はいかがでございましたでしょうか。
また、腹いっぱいおよばれになりましたでしょうか。
それではご膳を引かせていただきます。」
そしてお下がりを家族で食べるのです。かつて農家にとって一年で一番のごちそうの日だったそうです。

これが「あえのこと」でした。
特徴的なのはまさにパントマイムをしながら進行する手順のユニークさと、
この行事が家族単位で行われていることと、それを支える祈りとおもてなしの心です。
(今回の合鹿庵での田中さんの「あえのこと」は特別に一般向けに公開されたものです)
田の神様はこのまま冬を各家で過ごし、2月9日に同様のしきたりによって田へ送られます。
民間における新嘗祭や祈年祭の原初的形態をしのばせる素朴な行事として注目され、
文化人類学的にまた民俗学的に非常に興味深い事例です。
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奥能登の至宝 あえのこと ①

2010年12月06日 | 祭り
奥能登に伝わる「あえのこと」は知る人ぞ知るとてもユニークな農耕儀礼です。
国重要無形民俗文化財指定されており、昨年はユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
いったい全体どんな民俗行事なのでしょうか。私も初めて見たその全容を追って説明しましょう。

12月5日、ここは会場の「合鹿庵」。かやぶきの農家を柳田植物公園に移築しました。

農家の田中登さんが紋付袴の正装で田んぼに入ります。
ここで口上を述べて「田の神様」をお連れするためです。

神様の依り代を扇子に載せてうやうやしく家へと向かいます。
途中の階段では神様が転ばないように「お足下にご注意ください」と一声おかけします。
田の神様は目があまりよくないのです。

家に入ると家族一同で神様をお迎えし、囲炉裏端でしばらくお休みいただきます。
田の神様は夫婦神なのでお座布団もふたつご用意します。神様の依り代のヒサカキが仲良く並んでいます。

神様がくつろがれたらお風呂に入って頂きます。湯加減をお聞きし、お背中をお流しし、拭いて差し上げます。

まさに家長じきじきのおもてなしです。

さて、ここでひと休み頂いた後にいよいよメインがはじまります。

象徴的なしつらえが並びます。

会場もこのような人だかり。TV局も来ています。静かな中にも緊張した雰囲気が漂います。

なんせ今ここには神様がいらっしゃるのですから!
 つづく>

鵜川で にわか祭り

2010年08月29日 | 祭り
「鵜川」は能登町の海岸線の南端で穴水町との境界近くにあり、昨夜はお祭りがありました。
「にわか」という弘前のねぷたのような山車に木製の二輪がついています。それでどうするかというと・・・
はしる。

町内を走る走る。広場をみつけるとぐるぐる回る。

よっぱらった担ぎ手ははじめ大変苦しい思いをするそうですが
臨界点を超えるともうわけがわからなくなって夜の3時まで走り続けられるそうです。

にわか総勢9基は「男」で、弁天様のお宮で男比べをするのがクライマックス。
ずらりと並んで順番を待ち、1基ずつハレの舞台に臨みます。

中央の1基が全速力でお宮へ向かって突っ込み、急ブレーキで止まります。
後ろ半分が勢いで持ちあがるなど激しい様ほど、弁天様はお喜びです。

それが延々夜通し続きます。なんかヘンです。なんだかすごいエネルギーです。

「にわか」の武者絵もずいぶん手が込んでいますが、実は毎年新調されます。それもすごいことです。

書家の室谷文音さんも神出組のにわかに名を大書しました。
そんなこともあっていろいろなところで呼びとめられていました。
仕事として祭りに関われるというのも素晴らしいアプローチです。

彼氏のポールも担ぎ手として祭りに参加していました。

毎年この日は妻の郷里・富来の八朔祭りへ行っていましたが、今年は鵜川の「にわか祭り」を
初めて見ることができました。どちらも個性的で激しく、過ぎゆく夏を惜しむようなエネルギッシュな祭りです。
祭り半島・能登です。

柳田でキリコと灯りの祭典

2010年08月21日 | 祭り
8月21日に「キリコと灯りの祭典」が柳田植物公園で行われました。
笹川地区は朝5時集合、キリコを神社から運び出して、公園の広い芝生の上で組み立てました。

昔は「ござれ祭り」と呼んでいてキリコが20本以上出いていたそうですが今は半減しました。
それでも15メートル以上の高さのキリコも混じり整然と並ぶのは見事です。
昼間はいろいろなイベントで盛り上がり、夜には灯りが灯されて雰囲気満点。

山間部の柳田のキリコは漁師町のキリコに比べて格段に大きいので派手な動きはしません。
装飾も質素で落ち着いています。そして一番の特長は昔ながらのロウソクを灯していること。
柳田の人は口を揃えて「わしゃこのしずかーなのがすきや」といいます。

実際の見え方は↑この写真ぐらいです。ゆらゆら、うすぼんやりとゆらめくのは
確かにムードがあります。

最後はお待ちかねの打ち上げ花火。

距離が近いのでずいぶん迫力があります。

店先で呼び込みをやって楽しみました。知り合いも増えました。2年目の夏です。


矢並でキリコ祭り

2010年08月16日 | 祭り
8月14日、能登町矢波のキリコ祭り。地元の地元による地元のための祭りです。
漁師町のこじんまりとしたお祭りですが5本のキリコが並ぶと壮観です。

「民宿ふらっと」ベンさんが担いでいました。そうとう重そうです。

オーストラリアから移住してもう十年、だから担ぐのも今年で十回目です。
地元にしっかりと溶け込んでいます。

酔いも手伝ってハジケてますが、これでもNHKの「ためしてガッテン」では「夏おでん」に取り組み
能登の伝統的な調味料「いしり」を使いこなすイタリアン・シェフとして紹介されたその人です(笑)。

子供たちも鉦や太鼓を練習して今夜がハレの日です。

よく見ると私の住んでいるところのご近所さんがいました。
矢波のご出身だそうで毎年担ぎ手として戻るそうです。

さてキリコはお宮の前まで来ると互いに綱で連結されてから一斉に担がれます。
電車のようにユラユラと行きつ戻りつさまよいます。

どこかの集落のキリコが耐えかねて脚を下ろしたら全体が止まり、そこが「根性無し」ということになるそうです。
だから終いにはどこもへとへとになるまで担ぎ続けていました。はじめて知ったローカル・ルールです。

能登の祭りは種類も様々ですが、そこならではの祭りを盛り上げる仕組みがあるのは興味深いことです。