能登でココロもどる旅

ぶなの森エコツアーのスタッフブログです。
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鉢伏山 今昔物語 1 

2009年07月03日 | 鉢伏山
鉢伏山の歴史。それは能登の山の歩みです。

鉢伏山は能登半島一の長流・町野川の水源です。うっそうとしたブナの原生林に覆われていました。
ふつうは標高1000メートル以上でしか見られないブナ林がこのような低い山にあるのはたいへん珍しく、
シベリア寒気団の北西の季節風に真っ先にさらされる能登半島の冬の厳しさを示すものです。



鉢伏山塊は修験道の霊地として大切に自然が守られていました。
鎌倉・室町時代に山岳信仰が盛んになり、山伏の住まいが地名として残っています。
寺に残る「天狗わん」と呼ぶ大きなお椀にも足跡がたどれます。
一方で樹海は生活の舞台でした。
能州木地師が神木として崇めたブナ材を求めた地であり、山は漆を豊富に産し、
のちの輪島塗の揺籃の地ともいわれています。
終戦の頃までは石川県下一の製炭地でした。

しかし営々と続いてきたこの大自然も短期間のうちに大変貌を遂げることとなります。

①炭の戦時徴収による急増とその後の需要急減
大規模な伐採の始まりは戦時中の軍用木炭の供出でした。
ところが戦後はエネルギー政策の転換により状況が一変、
薪炭の需要が低調となり生業として経済的に成り立たなくなりました。
後に続く大変貌の前触れとなりました。

②皆伐によるスギ植林事業
戦後の木材需要の急増により、自然林をすべて伐採(皆伐)して
スギやアテを植える人口造林が始まりました。
昭和40年代からは公団公社による大規模な造林も進み
またたく間に山は広大で単調な針葉樹の一斉造林地となりました。

③パルプ需要のチップ材
皆伐された「雑木」は製紙原料の木材チップとなりました。
高度経済成長期の旺盛な紙の需要に応えるものでした。
やがて役に立たなかったブナもチップにする技術が確立されました。
これはすべての森が伐採の対象となることを意味しました。



炭焼きの不振→雑木林をチップの原料→スギの植林→林業不振による放置林の増加

こうした大量伐採により400ヘクタール以上のブナ原生林が失われ、
山の保水力が弱まり、流域には洪水が多くなりました。

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