鉢伏山のブナ林の保護に大きな功績のあった竹内虎治村長(旧柳田村:故人)のお言葉、昭和60年(1985年)当時のものです。
「鉢伏山のブナ林が、村の生き方を教えてくれました。」
「うちの村は鉄道も海もないのです。都会から遠いので工場は来てくれない。能登半島へ来る観光客でさえ寄ってくれません。村の責任者としてこんなさびしいことはありません。」
「だが都会や町のようになろうと考えるのがムリだった。この村には都会にない自然があったんです。それを教えられた。スギを育てることはコツコツと材木をためることだからまちがってはいません。でも、それにふさわしい場所と、そうでないところがあります。みんなが植林に熱中しすぎて、自然林の良さを忘れかけていたのです。鉢伏山は村いちばんの山だし、白滝はその顔のような場所の自然林だったんです。」
「自然の山には生気がみなぎっていますね。若々しい立ち木、みずみずしい緑、積もった落ち葉、枯れ木、その間を流れる水。ありとあらゆるものがまじって、山の匂いというものがあります。人工林には絶対にないものです。だから生きものも集まってきます。メジロ、ウグイスが鳴き、ヒキガエル、タヌキなどが出てきます。これが本物の自然なんだ、都会の人が求めているのはこういうものなんだと感じました。」
「ブナ林の買収がきっかけとなり新しい村づくりの計画が始まりました。」
「自然を大切にし、自然の中で生きる村人。そこへやすらぎを求めてやってくる都会の人。素朴な自然の中で、村人と都会の人との間に心のふれあいが生まれます。
これまでの観光開発や工場の誘致といった夢を捨て、たっぷりある自然と村のふだんの暮らしが都会の人たちの魅力なんだ、という視点に立って「ふれあいの里・柳田村」という新しい村づくり、村おこしを進めています。」
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・・・ここから「特別村民制度」や「柳田植物公園」などがうまれたそうです。
30年近くも前のこととは思えないほどたいへん先進的なご見識です。いやむしろ早すぎたのかもしれません。なぜなら今こそ、そのコンセプトが生きる大きなうねりが起こっているのですから。